生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

「働きすぎることが美徳」を変える

日本では、働き過ぎが問題である。働き過ぎないと生活ができない。

 

さらに、仕事だけに専念していることが美徳だと思われている。会社の仕事以外のことをしたら、「仕事をしないでムダなことをしてる」と非難される。

 

人が自分の人生で何を大切にするかは、本人が自由に決めれるはずだ。

 

余暇や遊びが本人にとって生き甲斐なら、仕事を削ってそれに専念するような生き方もアリだと思う。

 

賃金労働以外の活動も本人が生きる上で重要ならそれが尊重される社会がいい。

働きすぎなくても生きていける社会に

東京都知事選でリベラル陣営は、「選挙に勝てそう」というだけで鳥越さんを擁立した。

 

鳥越さんに関して残念なのは、「これからの生き方、働き方」について言及が少ないことだ。 (小池さんだって、「都庁職員残業ゼロ」を言っている)

 

日本では、正社員にならないとマトモな生活ができず、正社員は長時間労働を強いられツライ。

 

猛烈サラリーマンにならないと生きていけないような社会構造が問題だと考える。

 

私は、ワークシェアリングでゆとりをもてる生き方がいいと考える。

 

日本では、会社における精鋭部隊が少数の正社員であり、正社員にかかる労働強度(責任、職務範囲の広さ)が強すぎる。

 

だから、正社員の職務を他の人に分け与える形で、みんなの労働強度を小さくして、労働時間を全体的に減らしていく。

 

仕事から解放された時間で、地域活動、文化活動などに携わればいい。

 

今の社会は、市場経済における活動だけが評価され、市場経済外の活動は低く評価される。

 

賃金労働以外の活動が評価され、承認される社会になってほしい。

 

首都である東京が変われば、他の地域にも波及してくる。だから、東京から変わることが重要なのだ。

素の自分を公開する。

私は、素の自分を公開してから、周りから人が離れていったが、わずかではあるが、新しい人間関係も生まれた。


「自分はこう生きてます」ということを、面と向かって言うことがしんどい、あるいは面倒なら、ネット上にでも書き散らしておけばいいのではないか。


対面では言うのが野暮ったい自分の情報をネット上に公開して、周りに知らせておくことが、自分に合った人間関係を作るのに有効だと思う。


それで、人が離れていっても、その人は自分にとって重要な人なのだろうか?自分を隠して表面上の付き合いでつながる人間関係は大切なのだろうか?


素のままの自分でいてOKな人を大切にすればよい。

オルタナティブ・ワールド

私はfbやブログでつぶやいて、現実世界とは違うオルタナティブ・ワールドを作っています。


現実世界はしんどいので、ネット上に私にとって居心地のよい空間を作っている。


私の作る別世界を楽しんでいってください。



ありのままの自分で生きたい(3)

大学院中退で職歴なしとなると正社員での就職は厳しくなる。


ハンディが大きい分、面接などでの対策を練らなければいけない。

 

それには、相当のタフさとパワーが必要。

 

でも、私にはタフさが無いし、パワーを出すほどのスタミナが残ってない。

 

ストレスがかかるコト避けて、ありのままのに生きたい。

ありのままの自分で生きたい(2)

大学院修士卒で、単純バイトをすることは、もちろん世間体を気にせざるをえない。

 

しかし、体調やメンタル的にしんどい仕事はしたくないという気持ちがある。

それが正直なところ。

 

自分に正直になり、それを公開することは中々勇気のいることだ。

ありのままの自分で生きたい

頑張りすぎる生き方を私はやめようと思ってる。

 

精神障害者であることが理由ではなく、自分に正直になって、ありのままの自分でいたいと思うから。

 

競争したくない。張り合いたくない。意地を張りたくない。


仕事選びでも、やりたい仕事とかはあるが、自分の体調や特性を考えたら、その仕事をこなせるかはハテナである。

 

なので、見栄を張らず、仕事は自分のできそうなコトをやるのが良いのかな。