生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

自分の能力を生かすことができないのは不幸だ

 

 

自分に合わない仕事は苦痛だ。

 

仕事などの向き不向きを考える上で参考になるのが、ノーベル経済学賞をとった、アマルティア・センのケイパビリティという概念である。

 

センが途上国において問題としたのは、絶対的なカネの欠乏である貧困だけでなく、個々人が自分の能力を十分に生かすことができない状況であった。

 

人間は仕事であれ趣味であれ、自分のつちかった能力を十分に発揮できる環境にいれることが一番幸せだということだ。

 

自分の能力を生かすことができず、好きでもない仕事に携わり日銭を稼ぐのは不幸であり、人としての尊厳が毀損されている状態なのだ。

 

私は、完璧ではないが上級レベルの韓国語能力をもっている。しかし、これを生かす仕事というのは残念ながら無い。

 

 

自分の能力が生かされないことをするのは、苦痛以外の何ものでもない。

 

私は20169月から20172月まで野菜を扱う単純作業をしていた。

 

誰にでもできると思った単純作業の仕事だが、私には苦痛だった。

 

毎日、何時間も野菜を箱から出して袋に詰めていく作業を延々とやることは、私には耐えられなかった。

 

次の仕事は、単純作業ではない仕事を探そうと思っているが、自分の能力を生かせる仕事を見つけることはできないだろう。

 

仕事をするのは嫌だといっても、食べていくためには月10万くらいのカネは必要であり、嫌な仕事をして稼がなければいけない。

 

今のところ、私の能力では、残念ながらこの状況を変えることはできない。

 

悲しいかな、このまま、適性に合わないことをしてカネを稼ぐしか無いのだろうか?

ニート生活 何も成さなくていい

22日に仕事を辞めてニートになりました。

 

仕事が本当に嫌だったので、ニートになって爽快な気分になりました。

 

ニートになって何をしているかというと、意味あることは何もしてません。

 

毎日、昼過ぎに起きます。過眠は病気のせいもあり仕方ないです。

 

起きてからは、ネットをだらだら見たり、寝転んで読書したり、裏山に散歩に行ったりして暇な時間を過ごしています。

 

先週土曜日から太極拳を習い始めました。

 

また、畑でとれた野菜でキムチ、浅漬、たくあんをつくったりしました。

 

ニートは暇なので、いろいろなことをして暇をつぶさなければなりません。

 

暇の潰し方が上手い人がニート生活を楽しめるのだと思います。逆に暇つぶしが下手な人にはニート生活は苦痛になると思います。

 

私は暇な時間をのんびりダラダラと過ごすことにしました。

 

今までの私は、生真面目な性格から、意味あることをして何かしらの成果を出さなければいけないと考えていました。しかし、自分は何事も長続きせず、すぐ飽きてしまいます。難しい本を読むこと、韓国語の勉強をすること、すべて長続きしません。

 

これまでの私は、将来において役に立ちそうなことをやろうと考えていたのです。人間誰しも、人生において何かを成し遂げなければならないという考えをもっていると思います。でも、そのような考えがプレッシャーとなり自分をしんどくさせるなら、何も成し遂げない人生を送ってもいいのではないでしょうか?

 

これは、隠居生活をしている大原扁理さんの『20代で隠居』から影響を受けたことです。

 

私は、将来のことなど考えずに、今を楽しめて心地よいことだけやっていようと思っています。

 

 

しばらくしたら暇なニート生活にも飽きてくると思うので、その時にまたぼちぼち仕事を探そうと思います。

資本主義を超えた生き方が必要

広井良典は資本主義のことを「市場経済プラス拡大・成長」と呼んだ。

 

資本主義によって私たちが苦しむらなば、市場経済をどうにかしなければいけない。

 

何でも市場に任せるのではなく、DIYをしたり、交換をしたり、他人からタダでモノを恵んでもらっ

たり、サービスを受けるなど市場を超えた生き方が必要。

 

貨幣を媒介とせず=市場経済を通さずに、自分の手で作って充実感を得るのは重要だ。何でも市場で

商品を買ってまかなおうというのは、資本主義の奴隷となってしまう。

 

私たちは普通、市場経済でやりとりされる商品やサービスを買うカネを稼ぐために働いている。

 

市場経済への依存を低めることができれば、私たちは働く時間を縮小できる。そして時間という自由を手にすることができる。

 

頭ではわかっているが、中々実践がともなわない。

 

 

 

ポスト資本主義を読んで

広井良典2015)『ポスト資本主義』岩波新書

 

経済の拡大・成長がもう続かない定常化社会において、我々の働き方や生き方、社会保障はどのようになるべきかという話であった。

 

現代は、「1617世紀から続いた「市場経済プラス拡大・成長」としての資本主義システムが、成熟化ないし定常化する時期を迎えつつある」(888)という。

 

21世紀は世界人口の増加が終わり、地球全体で人口が高齢化していく。

 

また、地球資源の限界に直面したという工業化の外的な限界、モノがあふれ人々の需要が飽和した内的な限界にも直面している。

 

つまり、これまでの資本主義が実現してきた物質的な豊かさを今後も拡大していくには限界に来ているということだ。

 

定常化社会において必要な政策は、

(1)過剰の抑制、(2)再分配の強化・再編、とする(1781)、だとしている。

 

(1)については、

 

労働時間を減らして、ワークシェアリングなどを通して社会全体の失業率を減少させる(1809)。

 

今後は、福祉や教育といった労働集約的な分野は雇用を創出しやすい(1958)。

 

「資源の有限性が顕在化し、かつ生産過剰が基調となって失業が慢性化する成熟・定常期においては、人々の関心はサービスや人との関係性(あるいは「ケア」)に次第にシフトし、人が中心の「労働集約的」な領域が経済の全面に出るようになる」(1975)。

 

(2)については、

 

年金の付を役世代の保料ではなく税でまかなう。酬比例部分(二部分)の高な年金をもらう高者に年金税をおこなう。そして、相税を含む化で、「人生前半の社会保障」(子どもや若者に関連した支援)を厚くする(2211)。

 

日本では、所得つまり「フロー」の格差よりも、土地や金融資産といった「ストック」の格差の方が大きい(2233)。

 

そのため、「ストック」への課税を強化して、社会保障の財源に充てていき再分配をはかる。

 

ページ番号はKindleバージョン。

 

 

 

【所感】

経済的な豊かさを追求し続けた今までの資本主義は限界にきている。

求めるべき豊かさの方向としては、広井さんが言うように「時間」であると私も思う。

余暇などで自由に使える時間を増やしていき、精神的な豊かさを求める方向だ。

 

正社員の長い労働時間を削減すべくワークシェアリングにより、非正規労働者の正社員化をはかりつつ、失業者に仕事を分け与えるようにしていくべきだろう。

 

労働時間が減り自由時間が増えると、政治や社会問題、文化への関心をもつようになり知的な豊かさが増えていくと思う。これにより社会の文化水準も上がるはずである。

 

また、これまで資本主義が拡大させた格差も縮小していくべきだろう。

 

企業への法人税と、高所得者への課税を強化して、社会保障への財源にあてるべきだ。法人税は減税しても労働者の報酬には回らないので、法人税増税してベーシック・インカムなどの導入も進めていくべきだろう。

 

 

定常化社会において、これまでの資本主義が生んだ様々な問題を解消して、時間という豊かさを享受できる社会がつくられる必要がある。

 

 

 

 

 

アルコール依存症

私は、アルコール依存症を患っている。

 

 自分の飲酒の仕方がひどくて、このままではマズいと危機感をもってアルコール専門の精神科に自ら足を運んだ。ドクターに自分の酒の飲み方を話した結果、アルコール依存症と診断され、それ以降、断酒を続けている。2014年4月10日からである。

 

 大学生になってから酒を飲むようになるが、酒の飲み方は最初から酷かった。昼間に飲むことは文化祭などを除き滅多になかったが、夜の酒の飲み方が酷かった。ウィスキーや焼酎を酩酊するまで飲んで、気持ち悪くて吐くこともしばしばあった。 酩酊して、一人で歌を歌ったりしているのが快感だった。サークルの飲み会などでも意識を失うまで飲み、学生寮の廊下で寝ていたということもあった。

 

 酒の飲み方は大学院時代にさらに酷くなった。

 

 もともと大学院は、就職活動に失敗して消極的理由で進学した。しかし、ちゃんと研究をしなければいけないという思いは強かった。根が真面目だけど、やるべきことはちゃんとできない、いわゆる真面目系クズ。研究をやらなくてはという思いは空回りして、勉強は全くできていなかった。

 

 とにかく、不安で、その不安をごまかすために過食に走ったり(1日にコンビニ弁当7個食べるとか)、研究ができなくて大学院を中退したらどうしようと焦ってネットサーフィンで「大学院 中退」と検索ばかりしていたのを記憶している。

 

 不安のため飲酒量は増え、毎晩大学から帰ったら自室で焼酎を喰らう。 酒で酩酊してダラダラしている時間が幸せだった。 酒の量は焼酎で300mlくらい。多いときで500mlパックを空けるくらい。 次の日は決まってひどい二日酔い。

 

 大学院時代の就職活動も失敗した。 面接の前にコンビニでカップ酒を買って飲んでから行ったこともあった。面接前に酒を飲みすぎて気分が悪くなり面接を辞退したことも数回あった。

 

 就職活動に行き詰まり、結局逃げるように大学院の博士課程に進んだ。 だが、研究も行き詰まってしまい、どうすればいいのか不安から無気力状態になり、昼間から酒を飲むことをたびたびしていた。この辺りから、自分の飲酒問題に向き合わなければと思い始める。

 

 自分が酒を暴飲してしまうのは鬱が原因だろうと考えて心療内科に行き抗鬱剤をもらい飲んだが、やはり酒の暴飲は止まらない。 医者からは酒を止めるように言われるが、自分は酒を止めたくても止められない。医者に対して「酒が止められません。今からこの病院から出ると、前にあるコンビニで酎ハイ買って飲んでしまいます。どうしようもないです」と言うと、医者からアルコール専門病院を紹介される。

 

 何とかアルコール専門病院に行って酒を断つことができた。

 

 私がもっと早い時期に病院などに行き、酒の問題を克服していたら人生は違っていたのだろうか?しかし、根本的な性格が変わらないと酒を飲んでいようが飲むまいが、あまり生き方は変わらない気がする。

 

 私自身は、酒をやめてから、ムキにならず肩の力を抜いて生きようと考えるようになった。 鼻の穴を広げて何かを頑張ることを放棄した。等身大の自分で気張らずに生きたいと考えるようになった。

 

 デメリットは、アルコール依存症躁うつ病という病気を抱え、さらに何も能力や才能が無いため自分に対する自信が失くなってしまったことである。自分に自信が無くいつも暗い。これでは誰も周りに寄って来なくなり孤独に陥るという悪循環となっている。

 

 自分への自信をつけるには何かしら転機が必要な気がするし、時間がかかるだろうと思う。

 

 自分にとってアルコール依存症とは、自分への自信を失わせる病気であった。

ドロップアウトは怖くない

電通過労自殺で、女性は仕事(一流企業)を辞めたら人生終わるとか、世間体とか気にして、逃げるかわりに自殺を選択したんだと思う。

 

社会に必要なのは、ドロップアウトしても案外平気だよという雰囲気だろう。だから、ドロップアウトした人が生きているという事例を示していく必要がある。

 

私は大学院中退して肉体労働のバイトをやって生活はギリギリだが、まあ心穏やかに暮らしている。

 

ドロップアウトしても人生は終わらない。本来いるべき地位に落ち着くのだ。

他人から助けてもらおう

カネを稼げない人は他人から承認されるのが難しい。

カネを介さない関係で、素の自分でも承認してくれる人は貴重な存在です。

 

私は友達がマジで少ないけど、素の自分で接することができる友人が僅かにいる。私のことを経済的・精神的に助けてくれる同居人もいる。

 

生活が苦しくなった時に頼れる人がいるのは心強い。

私を助けたいと思う人が、この世にいたということだから。

このような関係は、表面的な関係ではなく、強い信頼関係がないと成り立ちません。

 

人から支援を受けることは恥ずかしいコトではありません。

人から支援を受けれるのは、その人との信頼関係を築いてきた努力の結果です。

他人から支援される人になるにも、努力が必要です。

 

他人から必要とされる人であるから助けてもらえるのです。