生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

80年代の韓国ソング

재 취미는 K-POP를 듣는 것인데 특히 80년대 노래가 좋아합니다.

 

私の好きなことはK-POPを聞くことであるが、特に好きなのは80年代のK-POPである。

 

歌に影があり渋いのだ。

 

こういった趣味はマイナーすぎて誰もわからない。

 

日本人で知ってる人は指で数える程度だろうが。

 

 

 

①ナミ『悲しい人縁』

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②李ウナ『微笑みを浮かべて私を見送る姿のように』

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③ウォンジュニ『愛はガラスのようなもの』

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④チェホソプ『季節が過ぎれば』

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⑤ジャンヘリ『私に残った愛をあげます』

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派遣で酷い目にあった。

昨日は、1ヶ月半ぶりに仕事をしてきた。

クロネコヤ◯トの引越し部門での1日の派遣だった。

 

とにかく酷い目にあった。社員が酷かった。

 

年下の社員にちょっとしたことでもめちゃくちゃ怒られる。しかも、常に威圧的な態度と言葉で接してくるからホントに不快でうんざりした。

 

派遣ではじめて現場に来て何もわからない相手に対し容赦なかった。

 

年下の社員はタメ語でいつも命令してきた。

育ちが悪いのであろう。まともな礼儀がない。

 

私は年上、年下関係なく仕事など公の場では両者ともお互いに敬意を表して丁寧語を使うべきだと考えているのだが。

 

 

こういうブラックな労働の場では、目上の者は目下の者に対して指導と称して威圧的な態度で相手を支配するやり方が横行している。

 

恐怖による支配である。

 

恐怖による支配で、仕事ができるようになるのか?恐怖と緊張のあまり、心の安定感をもってちゃんと仕事ができるのか?

 

また、恐怖による支配によっては、人として大切な思いやりや優しさは育まれない。人間的な成長は望めないのだ。

 

仕事や部活となると、人間は鬼畜に変わってしまう。

 

労働は諸悪の根源だ。

 

仕事ができるかどうかが唯一の価値尺度となり、人の感情などは価値のないものとして扱われる。

 

また、仕事ができない人間には指導と称してイジメにも匹敵するような酷いことをしてもいいとなる。

 

労働は人から感受性を奪い、イジメを容認している。

 

 

 

なんだか、今回の派遣で精神的にダメージを受けて、労働意欲が失われた。

 

仕事は人間の基本だというが、働く意欲を失わさせる社会って何なんだよ。

 

もっと働きやすい社会にならなければならない。

気力が沸かない。

ここ最近、まったく体調がダメだ。

 

いつも、15時くらいまでベッドに横になってる。

 

昼頃には目が覚めているのだが、何かをする気力が沸かず、ずっと布団に入って横になっている。パワーが入らない。

 

寝たきりの状態である。

 

やりたいことはある。読書、韓国語、絵を描く、武術(太極拳)の練習。

 

やりたい気持ちはあるんだが、気力が沸かずに全く手に付かない。それで、寝込んでしまう。

 

元気もないので、ツイッターで元気な人のツイートを見るのはつらい。

 

仕事を頑張っている姿とか、ちゃんと朝早くから起きてツイートとかしている姿とかを見るとしんどくなり読めない。

 

あと、私は政治や社会問題について関心があったのだが、ここのところ活字を読む気力が沸かず、ニュースは一行たりとも読めない。それほど衰弱しきっている。

 

このまま、弱りきって死んだように生きていくのではないかと不安だ。

肩の力を抜いて生きる

私はニート生活をしているが、しんどさを感じる日々があった。

 

私は、生真面目な性格のせいか、せっかく仕事をせずにニート生活をおくるんだから、たくさんある時間をつかって何かしら有意義なことを成さなければいけないと考えてしまう。

 

しかし、自分が何も有意義なことができていなことに、いらだちを感じ、ストレスとなってしまう。

 

生活はだらしなく、いつも昼の2時か3時くらいに布団から出てくる。病気のせいで過眠になっているのもあるが、「自分、だらしないなぁ」と思い、つくづく自分が嫌になる。

 

昼頃に目覚めてからもパッとせず、1日の大半は悶々としている。ツイッターを見てダラダラしている時間が大半である。

 

理想のニート生活は、朝はちゃんと起きて、本を読み、韓国語の勉強もして、趣味的に絵を描いたり水泳などのスポーツも少しやって、時間を有意義につかうことであった。しかし、そんな立派な生活は全然できていない。

 

理想と現実のだらしない生活のギャップで、自己嫌悪に陥ってストレスになっていた。 

 

 

 

また、オフ会の主催もストレスになっていたようだ。

 

ニートや生きづらさを抱えた人たちの居場所を作りたいと思い、オフ会を開いているが、7回中5回は参加者ゼロで上手くいったとは言いがたい。

 

オフ会で人を集めなければいけないと、ツイッターmixiネット掲示板にオフ会の宣伝をして息巻いていた。

 

しかし、いろいろ労力を使って宣伝した割には、思ったように人は集まらなくて、がっかりして、それがまたストレスとなった。

 

この、オフ会の件でも、せっかくニートになったのだから居場所つくりという意味ある活動がしたいとやったが、オフ会は自分が思い描いていたとおりには上手く行かずに、しんどくなっていった。

 

理想が高すぎるのだ。

 

 

 

人間は、仕事をしていないと負い目を感じてしまうものだ。負い目を感じないために、仕事とは別の何か有意義なことをしなければいけない、と強迫観念的に考えてしまうのではないか。

 

私がそうだった。

 

そして、自分の思うようにコトが進まなくてストレスを抱えてしんどくなってしまう。

 

 

それで、反省した。

 

 

ニートで仕事をしていないことに負い目を感じ、何か特別なことをしなければいけないと思うのではなく、何も成さなくてもいいと思えることで、心穏やかになれるだろう。

 

 

肩の力を抜いて生活したほうがいい。

 

 

 

ニート生活はバラ色ということはなく、灰色の退屈な日々が淡々と続くのだと思っておいたほうがいい。

 

そして、物事はたいていは上手くいかない。上手くいったらラッキーだと考えておく。

 

自分の能力を生かすことができないのは不幸だ

 

 

自分に合わない仕事は苦痛だ。

 

仕事などの向き不向きを考える上で参考になるのが、ノーベル経済学賞をとった、アマルティア・センのケイパビリティという概念である。

 

センが途上国において問題としたのは、絶対的なカネの欠乏である貧困だけでなく、個々人が自分の能力を十分に生かすことができない状況であった。

 

人間は仕事であれ趣味であれ、自分のつちかった能力を十分に発揮できる環境にいれることが一番幸せだということだ。

 

自分の能力を生かすことができず、好きでもない仕事に携わり日銭を稼ぐのは不幸であり、人としての尊厳が毀損されている状態なのだ。

 

私は、完璧ではないが上級レベルの韓国語能力をもっている。しかし、これを生かす仕事というのは残念ながら無い。

 

 

自分の能力が生かされないことをするのは、苦痛以外の何ものでもない。

 

私は20169月から20172月まで野菜を扱う単純作業をしていた。

 

誰にでもできると思った単純作業の仕事だが、私には苦痛だった。

 

毎日、何時間も野菜を箱から出して袋に詰めていく作業を延々とやることは、私には耐えられなかった。

 

次の仕事は、単純作業ではない仕事を探そうと思っているが、自分の能力を生かせる仕事を見つけることはできないだろう。

 

仕事をするのは嫌だといっても、食べていくためには月10万くらいのカネは必要であり、嫌な仕事をして稼がなければいけない。

 

今のところ、私の能力では、残念ながらこの状況を変えることはできない。

 

悲しいかな、このまま、適性に合わないことをしてカネを稼ぐしか無いのだろうか?

ニート生活 何も成さなくていい

22日に仕事を辞めてニートになりました。

 

仕事が本当に嫌だったので、ニートになって爽快な気分になりました。

 

ニートになって何をしているかというと、意味あることは何もしてません。

 

毎日、昼過ぎに起きます。過眠は病気のせいもあり仕方ないです。

 

起きてからは、ネットをだらだら見たり、寝転んで読書したり、裏山に散歩に行ったりして暇な時間を過ごしています。

 

先週土曜日から太極拳を習い始めました。

 

また、畑でとれた野菜でキムチ、浅漬、たくあんをつくったりしました。

 

ニートは暇なので、いろいろなことをして暇をつぶさなければなりません。

 

暇の潰し方が上手い人がニート生活を楽しめるのだと思います。逆に暇つぶしが下手な人にはニート生活は苦痛になると思います。

 

私は暇な時間をのんびりダラダラと過ごすことにしました。

 

今までの私は、生真面目な性格から、意味あることをして何かしらの成果を出さなければいけないと考えていました。しかし、自分は何事も長続きせず、すぐ飽きてしまいます。難しい本を読むこと、韓国語の勉強をすること、すべて長続きしません。

 

これまでの私は、将来において役に立ちそうなことをやろうと考えていたのです。人間誰しも、人生において何かを成し遂げなければならないという考えをもっていると思います。でも、そのような考えがプレッシャーとなり自分をしんどくさせるなら、何も成し遂げない人生を送ってもいいのではないでしょうか?

 

これは、隠居生活をしている大原扁理さんの『20代で隠居』から影響を受けたことです。

 

私は、将来のことなど考えずに、今を楽しめて心地よいことだけやっていようと思っています。

 

 

しばらくしたら暇なニート生活にも飽きてくると思うので、その時にまたぼちぼち仕事を探そうと思います。

資本主義を超えた生き方が必要

広井良典は資本主義のことを「市場経済プラス拡大・成長」と呼んだ。

 

資本主義によって私たちが苦しむらなば、市場経済をどうにかしなければいけない。

 

何でも市場に任せるのではなく、DIYをしたり、交換をしたり、他人からタダでモノを恵んでもらっ

たり、サービスを受けるなど市場を超えた生き方が必要。

 

貨幣を媒介とせず=市場経済を通さずに、自分の手で作って充実感を得るのは重要だ。何でも市場で

商品を買ってまかなおうというのは、資本主義の奴隷となってしまう。

 

私たちは普通、市場経済でやりとりされる商品やサービスを買うカネを稼ぐために働いている。

 

市場経済への依存を低めることができれば、私たちは働く時間を縮小できる。そして時間という自由を手にすることができる。

 

頭ではわかっているが、中々実践がともなわない。