生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

アルコール依存症からの回復

アルコール依存症とは

 アルコール依存症は、自分で飲酒の量をコントロールすることができず、酒を飲み続けてしまう病気である。

 「いつも飲みすぎるから今日は一杯でやめておこう」と誓って酒を飲み始めるも、一杯では止まらない。 二杯、三杯と続き、ずるずると飲み続けてしまう。 ほどよい酒量で切り上げることができず、必ず大量に飲みすぎてしまう。

 

 アルコール依存症者は、アルコールに対して脳の報酬系回路(心地よいと感じる機制)が過剰に反応してしまい、快感を得たいがためにアルコールの摂取が止められない。 つまり、アルコール依存症とは脳機能の障害といえる。アルコールに対してコントロールを失った脳は、もとには戻らない。

 

 アルコール依存症を治すには、酒を控える節酒は不可能なので、酒を完全に止めるしか方法はない。 そのため、アルコール依存症の治療は断酒を続けるために必要な処置を施すことだといえる。

 

●病院通院と断酒会

 私の病院では、まず3ヶ月間、月曜から土曜まで毎日通院する。病院では医者の診察に加え、午前と午後にプログラムがあり、15時頃に全て終わる。

 

 病院で以下のようなプログラムに参加してアルコール依存症についての知識や病気への対処法を学んでいく。

 

アルコール依存症についてテキストで勉強。

・健康教室(アルコールによる健康問題についての講義)。

・体験談発表。

認知行動療法(自分を苦しくする思考パターンを解明し、楽に生きれる考え方を身につける)。

 

 また、断酒会なる自助グループに何度も行った。アルコール依存症の人たちが断酒を続けるための集会である。 断酒会では、酒にまつわる体験談を一人ずつ話していく。

病院や断酒会ではいろいろなアルコール依存症者に出会った。

 

 

・会社に行くふりをして、電車の中で酒を飲み、始点と終点を何往復もして一日を過ごしていた人。

 

アルコール依存症になり家を追い出されてホームレスとなり、ホームレスになっても酒が辞められず、酒の万引きを繰り返し捕まった人。

・子供の頃から引きこもりになり、アルコール依存症に陥った人。その人はずっと「普通の人生を歩みたかった。なぜ自分はみんながやってる普通のことができないんだ」と言っていた。

 

 

 アルコール依存症になれば、失うのは健康だけでない。人間関係、社会的地位、財産といった人間の尊厳に必要なものをすべて失ってしまう。

 

 その悪循環を止めるには、酒を断ち人生を再構築するしかない。

 

 しかし、断酒が続く人は少なく、病院で治療を受けても1年後の断酒率は30%を切る。 酒を飲み続ける人は、そう長くは生きれない。自殺する者もいる。アルコール依存症者の寿命は52歳だとも言われる。

 

●断酒後の回復

 私はこの4月10日で断酒3年となる。 私が断酒できている理由はなんだろうか。

 

 それは、無理をせず肩の力を抜いて、頑張らない生き方を実践するようになったからだろう。

 

 アルコール依存症に陥る人は、マジメな人が多くて、みんなついつい頑張ってしまう。頑張って無理をするが苦しくなってアルコールに溺れるというパターンだ。 ストレスをためないように、無理をせず、頑張るのはほどほどにする。

 

 完璧主義の人は、完璧でない曖昧でグレーな生き方を認められるようになるのがいい。

 

 さらに、ありのまま等身大の自分で生きるようになったのも断酒を継続できている理由だろう。

 

 他人との比較をやめる。他人からの評価を気にしないで、自分のやりたいように生きていくことだ。

 

 他人からどう思われるかを気にして、他人から評価を得ようと振る舞うのは、もはや自分の人生が他人に支配されていることと同じだ。

 

 他人から評価を得たいがために、周囲によい自分を見せようと振る舞うのは自分の意思と反することもありストレスの溜まることだ。 他人からどう思われようが、自分の人生は自分でつくっていく。そういう姿勢なら自分のやりたいように生きていけて楽である。

 

 酒を辞めるといろいろ良いことがある。

 

・酒による無駄な出費がなくなる。

・二日酔いなどの体調の悪さがなくなる。

・酒を飲んでいることによる罪悪感がなくなる。

・突然キレることがなくなり、感情が穏やかになる。

 

 しかし、いいことばかりではない。人間は生きていく中で様々な問題を経験し、それらを乗り越えていかなければいけない。

 

 断酒後はシラフの状態で様々な問題を対処しなければいけない。酒に逃げることは許されないのだ。

 

 酒を飲まずに生きていくには、様々な問題をしなやかに柳の木のごとく対処する能力が求められるだろう。それが、難しいことでもあるのだが。

 

 

 

これまで、学生時代からアル中になった過程について記事を書いている。 

 

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【追記】

 

この後、2017年の8月9月の10日間ぐらい連続飲酒を経験しました。その時、野宿旅行に出かけたが転んだり寝込んだり散々な思いをしました。2018年9月11日から再び断酒しています。

(2018.8.11、断酒11ヶ月目)

 

アル中時の野宿旅行の記録↓↓

 

 

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大学院のドロップアウト

2012年、大学院修士課程を終えて、博士課程に進学した。

 

研究を続けて韓国に関わっていきたいという気持ちがあったが、実際は就活の失敗によるモラトリアムの延長であった。

 

こういう動機で博士課程に行ったらホントに人生は詰む(修士ならよいが)。

 

博士過程では最終的に博士論文を書かなくてはいけないが、博士課程入学時点では論文の見通しなんて全く立っていなかった。なにせモラトリアムの延長なんだから。

 

博士課程に進学する人は、進学時に博士論文の内容についておぼろげながらも構想をもっているものだが、私はそういった基本も全くできていなかった。

 

博士課程の最初の2年間は奇跡的に順調だった。

査読付き論文も一本書いた。学会発表も何度かこなした。韓国政府の給付奨学金にも毎年受かった(毎年100万円ほどもらっていた)。

 

しかし、博士課程の間もアルコール依存症は進んでいった。

博士課程に入ると授業がなくなるので、大学に行かなくてもよくなる。自分で勝手に研究を進める感じなので、自分で自分を律しなければいけない。

 

私は自分のことを全く律することができないだらしない人間なので、生活は乱れに乱れた。

 

夜中は遅くまで酒を飲み、朝は二日酔い、昼から大学に行ってフラフラの頭で研究をするという感じである。

 

 

研究がしんどいので、現実逃避ばかりしていた。父が借りている畑にしょっちゅう行って酒を飲みながら農作業をしていた。

 

また、大学に行く前はストレスから家で焼酎を一杯飲んでからじゃないと大学に出発できない状態になっていた。

 

こんな状態で文献なんてろくに読める訳がない。そして、将来の不安からか研究も集中できずにいた。

 

 

研究発表の内容もその場しのぎのものだった。まったく勉強不足。

 

博士課程を2年やっても全く博士論文の構想を描けなかった。文献を読んでも博士論文をどういう内容にしたらいいのか全くわからない。博士論文の構想ができていなきことに対して教授からも厳しく言われた。

 

次第に研究で何をすればいいのかわからなくなってしまった。研究するネタが無くなり何を書いていいのか途方に暮れてしまった。

 

やがて、パソコンの前に座っても何も書けなくなってしまった。不安が強くなり集中力が無くなって、本を読むことさえできなくなってしまった。

 

どうしようもなくなった。

 

何もできなく不安でしんどいあまり、昼から酒を飲むようになった。

 

完全に堕ちてしまった。

 

このままではいけないと思い、心療内科に通ったが体調は良くならなかった。

 

酒も止まらず、私はネットで調べて、自分がアルコール依存症であると認めるに至る。

 

それで、アルコール専門病院に行くことにした。

 

 病院に行きアルコール依存症の診断が降り断酒生活がスタートした。同時に躁うつ病も患っていることを指摘された。2014年の4月であった。

 

 

酒は辞めたが、全く研究には手が付かない。いくら文献を読んでも研究は進まないままであった。

 

大学院には在籍していたが、ほぼ休んでいる状態にあった。

この状態を2年続けたが、結局もう研究を続けることができないと判断して博士課程4年目で中退することにした。

 

大学院はアルコール依存症に苦しむなどしんどかったが、いい出会いや経験もあり、今から思えば充実した日々だったと言えるかもしれない。

 

 

大学院での失敗は以下に尽きる。

 

大学院に入る前に早く研究テーマを決めて安心したかったという思いから、研究テーマを安易に決めてしまったこと。

 

難しい文献などを読む能力が無く、じっくり腰を据えて研究に向かう集中力が無いにも関わらず、研究職に進むのは明らかにミスであった。

 

次回は、アルコール依存症についての知識編

 

 

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就活の失敗と博士課程進学

大学院に入り修士課程を終えて就職をするつもりだった。

 

しかし、学部に続き大学院でも就職活動は失敗する。

 

履歴書は上手く書けないし、面接では志望動機からして何を話していいか困ってしまう。

 

面接官からの「我が社に志望された理由は何ですか?」という質問に、「御社から呼ばれたので」とか言ってしまう。

 

ふざけているように見えるが、当時の私は必死だった。何も言うことが無いのだから。

 

次第に面接も苦痛になってくる。

 

大学は京都で、大抵の面接場所は大阪だった。私は面接が苦痛になると酒に逃げた。

 

京都から出かける前に酎ハイやカップ酒を飲んで大阪の面接会場に行くこともあった。また、行きの電車の中で、酒を飲みすぎてしんどくなって面接をキャンセルしたこともある。

 

就職活動中に東日本大震災が起こり企業の採用活動が一斉にストップする。

 

私は採用活動が休止している間に研究活動をしていたが、採用活動が再開したタイミングを見逃してしまい、これで就活は失敗したことになった。

 

休学して公務員試験でも受けるかなとか考えだした。

 

もともと、修士に進学する時、公務員を受けようと考えていたが、不器用でスペックの低い自分は研究以外の勉強に手をつける余裕がなかった。

 

ここで、ある知らせが飛び込んでくる。

韓国政府からの給与奨学金が当たったのだった。

 

これは、自分の研究への励みとなり自信がついた(実は簡単に受けられる奨学金だったのだが)。

 

このまま、就職したら自分の好きな韓国と関わることはできなくなる。

 

韓国に行ったり自分しかできないことをやるのは大学院の研究しかないのではないかと思うようになった。

 

そこで、何となく博士課程に進学しようと考えだした。

 

就職活動の失敗、給与奨学金の授与で自分の実力を勘違いしてしまい博士課程への進学を決めた。

 

研究者としての適性を全く欠いているにも関わらずである。

 

実力が無いにも関わらず博士課程に進学すると確実に失敗する。

次回は私が完全に潰れるまでの話をしたい。

 

(続く)

 

 

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生真面目とアル中

前々回の日記(↓↓)の続きである。

 

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2010年、大学院修士課程に進学した。

 

生真面目であった私は、学部での就職活動の失敗と卒業論文が上手くできなかったことを反省して、大学院ではマジメに勉強をしていい修士論文を書き、就職もちゃんとしようと考えていた。

 

その心意気はよいだろう。

 

しかし、現実は上手くはいかなかった。

 

まず、大学院生活で勉強をちゃんとしなければいけないという思いは強くあったが、大学院で読む文献が理解できなかったり、ディスカッションについていけなかったりして、次第にコンプレックスが強くなり、自分への自信がなくなった。

 

このまま大学院でも上手く行かなかったらどうしよう。不安でどうしようもなくなった。

 

不安で勉強は手につかず、ネットで「大学院 中退」とばかり検索したり、大学院中退者のブログとかを読みあさっていた。

 

それで不安が紛れるわけでもなく、夜に家に帰れば酒を大量に飲んでいた。夜中はずっと酒を飲んでいた。

 

朝は二日酔いでしんどくて、大学に行くのは昼過ぎになってから。こんな生活を繰り返していた。

 

頭痛や焦燥感がひどくて、「これはうつ病ではないか」と思い精神科も受診して薬ももらったが効果はなかった。医者からは酒を控えるようにと忠告されたが辞めれるはずもなかった。

 

勉強にストレスを感じ大学に行くのが嫌なときは、家にこもって朝から酒を飲んでゲームをしている時もあった。

 

大学院に入って早々、酒浸りの生活になってしまった。

 

酒浸りや引きこもりになるのは怠け者だからと思われる節があるが、生真面目な人でも陥ってしまうと思う。自分のことが上手く行かないことに過度にプレッシャーを感じてしまい、それに耐えられなくなり、しんどくなって逃げてしまうのだ。意外に思われるかもしれないが、アルコール依存症に陥る人にはマジメな人が多い。少々いい加減な人ならストレスをためにくいからね。

 

さて、大学院だが、修士1年の夏にした調査が上手くいき、ゼミで褒められてから少々自信がつくようになった。

 

しかし、相変わらず夜に酒浸りになる生活は続いたまま。

 

昼過ぎに大学に行くのはいいが、そんなに集中力があるわけでもなく、勉強もいい加減であり、研究がちゃんと捗ったとはいいがたい。

 

生真面目な性格だから、大学院で研究をマジメにやりたいという気持ちは強かった。しかし、自分の意思とは異なり行動はちゃんとできなかった。

 

私の大学院時代はアルコール依存症とともにあった。

 

私のアルコール依存症については以下。

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私は、学部時代から酒の飲み方はひどかったが、大学院に入ってから飲酒の酷さはますます悪化した。 

 

私がアルコール依存症に陥ってしまった原因として、私にストレス耐性がなかったことがある。

 

自分が何か新しいことをしようと思うと不安になること。スペックが低いにも関わらず自分に課すハードルが高くてすぐ挫折する。持続力がなく何かを続けようとすると苦痛になること。

 

さらに、実家で父がアルコール依存症であり、父のもっていた焼酎をこっそりと飲めたので、私はアルコール依存症になりやすかった。隠れ飲みである。アルコール依存が進んだ者は、自分が酒を飲むことに後ろめたさを感じており、皆が見ている前では酒を飲まず、隠れて飲むようになる。

 

父の酒を盗んで飲むほどアルコール依存は進んでいた。

 

アルコール依存症になると、アルコールを手に入れるためならどんな手段も講じるようになる。

 

ホームレスになってカネがなくなっても、万引きしてまで酒を手に入れたといいう話を、断酒会の人が話しているのを聞いた。

 

酒浸りになりながらも、私の大学院生活は続いていく。

 

(続く)

 

 

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引きこもりをこじらせないために

私は現在、半引きこもり生活をおくっているので、引きこもりについて気になって斎藤環氏の本を借りて読んでみた。

 

以下、『ひきこもり文化論』(ちくま学芸文庫)、『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(ちくま文庫)を読んで目に止まったことを書いていく。

 

不登校に関しては、「どうしたら学校に行けるようになるか」、引きこもりに関しては、「どうしたら社会参加できるか」に焦点が当たってしまうが、それらは別にどうでもいいことだという(『「治る」のか?』、p.34)。

 

斎藤氏は、「仕事に就くか否かといった問題は、今の社会にあってはほとんど「趣味の問題」ではないか」と述べている(『文化論』、p.227)。

 

一番大事なのは、「どうすれば本人がよりくつろぐことができて、最終的には元気になれるか」(『「治る」のか?』、p.34-35)であると斎藤氏は述べる。

 

 

 

ただし、引きこもっていても、家族以外の対人関係は必要だとする。

 

親密な他者が一人でもいたら大丈夫ということらしい。

 

対人関係が一人かゼロかでは生き方に大きな差が出てくるといい、対人関係がゼロの場合は生きるのが相当きつくなるらしい(『「治る」のか?』、p.43)。

 

しかし、現実には引きこもりが長期化すると対人関係がなくなってしまうケースが多いと思う。

 

私には親密な他者は同居人しかいない。家族以外での人間関係は一応あるが、社会的に孤立しているのは否めないだろう。オフ会などで友人を作っていきたいが。

 

phaさんなど友達の多いニートは羨ましい。

 

 

また、ひきこもりにとって「出会い」が大切だというが、出会いは人以外のものも含むという。

 

「人はみずからにとって大切な対象に出会い、それを愛することによって成長していく」(『文化論』、p.230

 

引きこもっている生活にも「出会い」はあるという。夢中になれる趣味などの出会いも立派な「出会い」であるという。

 

「ひきこもりながらも趣味に没頭する生き方は、愛すべき対象との出会いに満ちています。あるいは、何かを創造したり、鍛錬したりするとこ。その過程は、みずからの内なる他者とのリアルな出会いにほかなりません」(『文化論』、p.230-231

 

何らかの趣味や没頭できることがあれば、引きこもり生活でも人間的な成長ができるということか。

 

また、読書が好きな人は引きこもりから抜け出やすいという。

 

さらに、引きこもりをこじらせるのは、本人が自分に対して否定的なイメージをもってしまう時だという(『文化論』、p.234)。

 

引きこもり生活で辛くならないためには、何か自分が自信をもてることに没頭するなどして自己肯定感をもっておくことが重要なのだろう。

 

以上、引きこもるためのノウハウを斉藤氏の著書に基づいて書いた。

 

 

引きこもり生活をしんどいものにするのではなく、「元気に引きこもる」ことができて、引きこもりを「そろそろ抜け出したい」と思った時に困難なく抜け出すことができるようになればよいのだと思う。

挫折の始まり

私は、大学4年生になっても進路を決められずにいた。

 

進路のために何もしておらず、旅行に行ったり、サークルで遊んだりとテキトーな日々を過ごしていた。

 

当初は大学院に行って勉強を続けようかと漠然と考えていたが、大学院の準備もろくにできていなかったので、仕方なく、一年休学して就活をすることにした。

 

新聞社に就職したいと思っていた。しかし、バイトで時間を取られたり、自分の怠け癖のせいで、新聞社の入社試験の対策は全く手につかなかった。面接も全く準備不足でまともなことを何も言えなかった。

 

面接では、「社会をよくするために社会問題を提起する新聞記事を書きたい」と言ったが、面接官からは「社会をよくしたいなら国会議員とかになればいい」と一蹴されてしまった。

 

せっかく休学してまでやった就活はあっけなく敗北した。

 

情けなくなり、自分を責めた。なぜ、自分は目標を達成するために努力ができないのだろうかと。

 

就活から逃げて、もう2年ほど勉強しようかなと思い大学院への進学を考えた。

 

大学院の入試は何とかクリアーしたが問題はそれからだった。

 

卒業論文を書いている際に自分の能力不足に直面したのだ。

 

自分には、文献を読む能力や、文章を書く能力、論理的に考える能力などが全く無いことを知り愕然とする。

 

こんなんで大学院でやっていけるんだろうか?就活に失敗して大学院でも失敗する羽目になったら、もうおしまいではないのか?

 

そのような不安に苛まれ、パニックに陥る。

 

自分が大学院でも失敗して完全に負け組になったら、周囲からも笑われるのでないかというプレッシャーがあった。自分はそれだけプライドが高くて、周りからの評価を過度に気にしていた。

 

 

そのころから、ストレスからか頭痛や無気力状態がおこり、文献を読むことや文章を書くことがしんどくなっていた。考えることもしんどくなった。

 

この頃から、過度な飲酒が状態化し、アルコール依存に陥るようになった。

 

夜になると焼酎500mlのパックを一箱開けるような飲み方をしていた。朝には二日酔いでしんどかった。

 

こんな生活パターンで、まともに論文が書けるはずはなかった。なんとか卒論は書いたものの内容は薄っぺらいもの。

 

卒論を終えたのはいいが、状況は改善せず大学院生活もボロボロな状態になる。

 

(続く)

 

 

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高等遊民

私は大学院修士までとったのに、ニートとは誠に情けない。職歴が無いので、単純肉体労働にしか就けず、労働意欲を完全に失ってしまった。

 

ニート生活を続けていて、高等遊民という言葉が皮肉に聞こえてくる。

 

高等遊民とは、大学などで高等教育を受けた後も、ろくに仕事をせずに、読書や芸術鑑賞など文化的な趣味に毎日を費やす者たちである。

 

家が裕福で働かなくても親の財産などで生活できる恵まれた人たちである。

 

明治後期から昭和初期に、高等遊民と呼ばれる若者が増えて(毎年2万人〜25000人とも言われた)、社会現象となった。

 

当時の高等遊民ならびに大卒無業者の増加の背景には、大卒(当時は3%)でも就職難であったことや、軍国主義的な社会の雰囲気に適応できずに社会参加できない者がいたという事情があったという。

 

現代も、就職難であり、戦後は軍国主義の替わって労働至上主義が蔓延する社会になり、そういった労働環境について行けなくてニートになってしまう者がたくさんいる。

 

高等遊民がどのようなものかは、夏目漱石『それから』に出てくる代助が代表的だろう。

 

30歳になって仕事をせずぶらぶらしている代助に対して父親は忠告する。

 

「少しは人のために何かしなくては心持ちの悪いものだ。お前だって、そう、ぶらぶらしていて心持ちの良いはずはなかろう。そりゃ、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んでいて面白い理由がない」

 

「三十になって遊民として、のらくらしているのは、いかにも不体裁だな」

 

この父の言葉を聞いて代助は以下のように思っている。

 

“代助は決してのらくらしているとは思わない。ただ職業のために汚されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考えている丈である”

 

「働くことは、負けである」

テレビであるニートが言っていた言葉が思い返される。

 

私も労働なんかせず、語学の勉強や読書などをしていたい人間なので、代助と同じ心理をもっている。

 

また、高等遊民は、当時、危険思想とされた社会主義共産主義アナーキズムに馴染みやすく社会を紊乱させる存在とみなされた。

 

私も、労働は人間から優しさや思いやりを奪うものとして労働批判をしている。こんな考えでは労働を通した社会参加なんてできない。

 

以前の私は、労働教に完全に染まっていて、マジメに努力することを信条としていた。

 

しかし、大学院での研究の失敗、体調不良、アルコール依存症躁うつ病、仕事が続かない、などがこの3年間におこり、完全に社会で戦う意欲を消失してしまった。

 

そんな中、今は働く意欲が沸かないので、2ヶ月ほどニート生活をしている。

 

誰か、養ってくれる人が現れないだろうか・・