生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

二流エリートと自尊感情

日本は海外に比べて大学院修了生が少ないとされるが、日本の大学院生は修了してもなかなかいいポストに就けないし、私のように途中でバーンアウトして中退してしまう人もいる。

 

先進国を中心に教育期間(モラトリアム)が伸びている。韓国など兵役や留学、休学などをするので男子の学卒では30近くになることもある。

 

社会学ブルデューは「教育年限の延長というものは、二流のエリートに自分の二流性を納得させるまでにかかる期間の長さである」(上野千鶴子、2008『サヨナラ 学校化社会』ちくま文庫、p.221)と皮肉なことを述べている。

 

私は自分の二流性を認めるまでに11年もかかったことになる。

 

大学や大学院は、二流エリートがもっている潜在的能力なりエネルギーを、反社会的行動に誘導しないための装置として機能している(前掲書、p.222)。

 

二流エリートは歴史的に支配的エリートに対抗する勢力として体制を脅かしてきた。戦前は共産党や労組の幹部も帝大出身であった。オウム真理教なども高学歴の信者が多かった。

 

他人からサリンをまけと言われたら、他人から認められるためにサリンをまいた。

 

自分で自分の評価ができない、他人の目でしか自己評価できない従属的な意識は、学校で叩き込まれてきた習い性のようなもの(前掲書「、p.224)。

 

体制に対抗する二流エリートも学校化社会の価値観から自由ではなかったということだ。

 

他人の価値を内面化せず、自分で自分で受けいれることを「自尊感情」という(前掲書、p.224)。

 

他人から尊重された経験がない人は自尊感情をもてない。学校は劣位者の自尊感情

奪うだけでなく、優位者にも何らかの目的のために役に立たなければならないという強迫観念を植え付け自尊感情を奪っていく。

 

上野千鶴子は、自分が二流エリートであることを受けいれたうえで、競争から降りた若者たちとして「だめ連」を挙げる。

 

★だめ連★

1992年に活動開始。もてない、職がない、金がない・・・など「だめ」を自認する人が集まり、孤立して「だめ」をこじらせないように傷を舐めあう交流会。

 

学校行かなくてもいいじゃないか、就職しなくてもいいじゃないか、結婚しなくてもいいじゃないか、ダメでいいじゃないか・・・

 

二流エリートがオウム真理教などに入信してマジメに反社会的行動をするよりも、「終わりなき日常」(宮台真司)をまったり過ごすのがいい。

 

だめ連の人たちは早すぎる老後を生きているのだと(前掲書、p.228)。将来のために現代を犠牲にして暮らすよりも、いま・ここ大切に生きようということである。

 

これは、前にミヒャエル・エンデの『モモ』の書評でも書いたことだ。

 

 

nagne929.hatenablog.com

 

 

二流エリートは自分の二流性をこじらせないために、競争の風圧から逃れ静かに暮らせたらいいのだ。他人の評価を気にしない自尊感情を育てるトレーニングをしなければいけない。

 

 

 

サヨナラ、学校化社会 (ちくま文庫)

サヨナラ、学校化社会 (ちくま文庫)

 

 

 

韓国の国際結婚問題

韓国の農村では結婚相手が見つからない農家の独身男性が、海外の女性を嫁に迎えることが盛んにおこなわれている。

 

私の視察した村落では90年代初期は統一教会の女性、中国朝鮮族の女性であった。

近年は、ベトナム人やフィリピン人が多い。

 

移住女性の学歴は日本人は早稲田卒など高学歴の人もいた(統一教会)。

ベトナム人は中学卒。工場労働者。

フィリピン人の場合は短期大学(2年制)卒業の女性が多い。

結婚情報会社の仲介で来る。

 

統一教会信者(支援者インタビュー)

 

統一教を深く信じている。韓国の社会的弱者男性のもとに婚入をして歴史のマイナス部分が帳消しになるという考え。

信仰が厚いので困難に耐えて生きている。日本にいたらいい生活ができていたのに。現在は40代後半。夫は生活能力がないので女性が稼ぐ。3年ほど職業訓練を受ける。人形や財布などの作り方。ミシンの技術なども学び販売する。放課後の日本語の講師をしたり。韓国語が上手な人はセンターで多文化講師をしている。学力がある人は、保育教師、社会福祉師など勉強してなる人もいる。

 

自治体の職員に聞くところによると、移住者の中でも日本人が適応力が高いという。

 

日本人と結婚するためには、他の途上国の女性より仲介料が高い。男性の資格申請の条件が厳しい。ベトナム女性の場合は、財産および通帳残高が3,000万ウォン(300万円)程度あればいい。日本人の場合は5,000万ウォン。

 

◯農村人口への影響

 

2011年に当村落を訪問した際は、小学校の生徒59人中、国際結婚家族(フィリピン、ベトナム、中国朝鮮族、タイなど)の子女は12人も占めていた。

 

◯婚活ツアー

自治体が募集して独身男性を10人ほど連れてベトナムに行く。1人あたり400万ウォン程度の支援をする。ツアー自体は1,000万ウォンかかる600万ウォンが自己負担。2泊3日の日程で、その日のうちに女性を選んで結婚することを決める(顔を見てか、条件を見てかどうかは確かではないが)。男性がまず先に帰って来て、女性は自国での手続きを済ませてから韓国にやってくる。家計が苦しい家庭の女性が40〜50%

 

 ◯働き口

 

農家が稼ぐ収入を女性に与える家はほとんどない。だから、女性たちが自由につかえる現金収入を得ようと工場で働くようになる。農作業をせず、韓国語の勉強もせず、工場で働こうとする(キムチ工場、軍手工場など農工団地がある)。

 

工場で1日12時間働いて1ヶ月に200万ウォン(20万円)稼ぐ。韓国人より移住女性が給料20%ほど安い。工場の他は食堂(10:00〜18:00、朝に農作業を終わらせてから)。工場は拘束時間が長いので、子どもが幼かったり、農作業をかねて勤務することは難しい。その他は、農家での農作業をして日当を得る(一日40,000ウォン)。

 

 2年目になれば韓国語は勉強しなくなる。子どもの面倒や教育、韓国語の勉強には目を向けなくなる。

 

支援者は5年くらいは韓国語を勉強して能力を高め生活水準を高めるようアドバイスしているが、なかなか工場労働をやめないという。フィリピンの女性は英語ができるため、韓国ではメリットが有る。

 

◯家族との関係

 

夫から暴力を受けるケースをよく聞く。家から逃げ出す女性もいるそうだ。姑との関係もよくないケースが多い。姑は外国人女性を嫁とは見ずに金を払って連れてきた使用人のような存在と見ている。姑は家事などを昔風に洗濯は冬で水が冷たくても手洗いでやることを習慣として嫁に強制する。文明的な用具を用いることは贅沢だと考えているよう。

 

また、田舎に馴染むのためにも男性に尽くさなければいけない。家に夫の友人が訪ねてきたら酒をふるまいツマミも用意する。そうやって地域の住民と親しくなるという。

 

国籍も変えて韓国式の名前に変えた者もいる。外国の国籍だと車の保険料などが高くなる。だから韓国籍に変えようという。

 

しかし、夫が国籍を変えさせないようにする。国籍を韓国に変えると逃げていくかもしれないという恐れ。だが、支援者は、「国籍をそのままにしようが逃げる時は逃げてしまう」という。

 

◯血の継続

 

農村独身男性に対して海外女性をあてがうのは80年代の新潟県魚沼市など)の稲作地帯でも見られた。家の存続が目的だろう。韓国でも独身男性の母親が「結婚しろ」と迫るようだ。年配の世代が強固な結婚観をもっている。結婚しなくてもいいという観念が浸透すれば人身売買的な国際結婚もなくなるだろう。

 

川柳①(旅、ぐうたら)

川柳を書いてみました。現代の芭蕉と名のれるよう研鑽します!!

 

 

(野宿旅編)

①寝転べる ベンチがあれば 即昼寝

寝転べない ベンチの手すりは 撤去せよ

③足のマメ 踏めば踏むほど 硬くなる

④野宿旅 出費の半分 コカコーラ

⑤歩き旅 たまには車も 使いたい

⑥街でごろ寝 猫はよくても 人はダメ?

⑦歩き旅 コーラ依存じゃ 太ります

⑧買い物後 今日の寝床は イオンです

⑨最強の 無料の場所は イオンです

⑩見ないふり 黙って通る 警備員

⑪バトルせず 歩くだけでも ライフ減る

⑫とりあえず 100km歩けば 褒められる

⑬駅野宿 東日本は 厳しいね

⑭立ち退けと 言うだけでなく 寝床くれ

⑮田舎では 鐘が鳴るなり サイレン音

⑯夏の夜 野宿の邪魔だ 蚊とヤンキー

⑰公衆トイレ 洗濯水浴び いこいの場

⑱金使わん 貧乏旅行は 映えません

⑲電車駅 パンツ干したら 捕まるよ

⑳携帯食 昔は乾飯(かれいい) 今カップ

 

 

ニート・労働)

①一日の 多くの時間は 寝ています

②この浮き世 生きてるだけで 労働だ

③貧育貧 貧しいものは より細る

④はっきり言う 働かなくても 飯はうまい

⑤根気がない 何でも途中で 飽きるのだ

⑥働かない ニートと仙人 紙一重

⑦資本家に 吸い取られるよ 剰余価値

⑧働けど ギリギリでしか 生けません

⑨最賃は 生活できる 額じゃない

 

 

 

中朝国境ぶらり旅

昔の旅行のことも書いていきたいと思います。

 

大学生だった頃、2008年8月30〜9月7日まで中朝の国境付近をぶらぶら旅しました。当時は韓国語を勉強してたので、中国東北地方の朝鮮族自治区を探索してみようと考えました。

 

 

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毛沢東像)

 

白頭山の天池は有名なので日本語での情報はある(「地球の歩き方」など)。丹東市や集安市など中朝国境で観光地化されている所も情報はある。しかし、観光地化されていない中朝国境の姿も見たくて、情報が無い地域まで鉄道やバスで移動して旅をした。

 

そして、いつの間にか外国人立ち入り禁止区域でブラブラして、外国人宿泊禁止の宿に泊まっていたらしい。地方で宿に泊まっていたら軍人が数人部屋に入ってきてパスポートを取り上げられ、2時間ほど軟禁された。中国の未知の領域での旅であった。10年ほど経過しているので状況は少々変わっていると思う。

 

行程は、

 

大連市→丹東市→集安市→通化市→二道白河→白頭山→臨江市(外国人立入禁止区域)→大連市

 

◯食事

食堂に入り10元(150円)ぐらいで腹いっぱい食べれた。生ものには注意。

 

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◯宿

飯店などと書かれたのが宿。外国人が泊まれる宿と宿泊禁止の宿がある。普通の安ホテルで一泊100元(1500円)くらい。一泊8元(120円)の宿を見つけたが明らかに国内人専用であろう(出稼ぎや行商人が泊まる)。宿泊を断られる宿もあった。なお、泊まった宿で最安値は地方の宿(臨江市)で30元(450円)だった。地方やドヤ街的な場所なら安宿に泊まれるかも。安いとトイレ・シャワー共用の所も多く、大学の寮みたいである。

 

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 (都市部で小部屋で一泊1500円くらい)

 

◯トイレ 

汚い。公衆トイレは、いわゆるニイハオ・トイレがたくさん(部屋の中に溝があり、そこに排泄物を出す。仕切りとかがない)。10年で状況は変わったか?

 

◯旅の様子

関空→大連

 

大連市には、大学に日本語研修の留学できていた元留学生の友だちが住んでいたので、その人を頼りに飛んだ。大連は大都市で夜もにぎやか。中心街は家電製品などを扱うショッピングセンターが多かった。

 

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●中朝国境の町

 

大連からバスにて中朝国境の都市丹東市に移動。国境である鴨緑江には中朝友誼橋がかかる(長さ約1kmの二本の橋があり、そのうち一本は朝鮮戦争時に米軍機に空爆されて以降修復されていない)。

 

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中朝国境には日帝時代に日本によって造られた橋がまだ使われている(橋を新設する資金がないためとも言われる)。しかし、朝鮮戦争時に米軍に破壊され修復されないまま残っている橋もある。

 

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(集安市の田園地帯にかかった国境連絡橋)

 

丹東から列車に乗り集安市へ。

 

集安は田舎であり田園地帯が広がっている。中国の東北部は「中国の食料基地」と言われるほどで、トウモロコシなどの穀物の畑が広がっている。

 

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 鴨緑江の川幅が狭くなり間近にDPRKが見える。

 

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時折、DPRK行きの列車も見かける。

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対岸の山肌には「偉大な首領金日成同志の遺訓を徹底しして貫徹しよう」と書いてある。

 

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国境の川沿いには所々に監視カメラが置いてある。

 

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この日は、朝鮮族のタクシーの運転手のおっちゃんに韓国語で案内してもらった。親戚が朝鮮側に住んでいるが、食料が少なく嗜好品などが手に入りにくいという。誕生日でもケーキが手に入らないので豆腐で祝うほどだと言う話を聞いた。

 

次の日は通化市という地方都心に移動。中国の地方都市にはまだゴチャゴチャした市場が残っていた。

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たまに町を歩いていると耳が裂けるような爆発音がして、あたりが煙だらけになることがある。テロかと思うが、結婚式で爆竹を鳴らしている。けたたましい結婚式である。

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鉄道に乗り、白頭山の近くの白河駅に向かう。

駅近くの朝鮮料理の食堂で犬肉のスープを食べた。

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次の日は現地のツアーに参加して国境の白頭山(中国では「長白山」と呼ぶ)の天池へ(宿で手配)。森林公園などを回った後、天池に至る。山の麓で山頂行きの観光タクシーに乗り換える。

 

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白頭山朝鮮半島の最高峰であり、朝鮮民族にとって富士山みたいな存在である。山頂の火山湖である天池から金日成が誕生したという神話もある。

 

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国境の町なので、朝鮮族の食堂も多い。なおこのへんで食べて腹を壊した。付け合せのキムチのせいであろう。中国の地方では生ものは気をつけた方がいい。

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次の日は、白河駅からバスに乗り臨江市という場所に向かう。案内には朝鮮語表記もある。

 

● 何も情報がない地域へ

 

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対岸のDPRK側の川沿いでは、川で遊ぶ子どもたちの姿が見えた。

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川沿いの看板に「越境者の収容、(食料・宿の)供給を禁止」と書いてある。

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市内から少し歩くと川沿いは畑となっている。国境をまたがる鉄道橋が見える。

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臨江駅は利用客が少ないのに巨大で立派。中国の鉄道駅は地方でも巨大である。

 

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市内はトゥクトゥク自転車タクシーがあふれる。まるで、東南アジアの町のよう。

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市場で食べた。

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中国に行くと白酒(アルコール40度くらい)を飲んでいた。胃が焼けるように燃え上がりすぐ酔っ払う。今はアル中のため酒は飲めない。

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中国のケーキは毒々しい。

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中国の地方都市に行くと毎晩広場で市民による踊りがおこなわれている。毎日祭りのようだ(若者からは「ダサい」と不評のようだ)。

 

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●軍人の取り締まりに遭う

 

なお、この臨江の宿で30元(450円)のところに泊まった。この地区は外国人立ち入り禁止区域なのか、あるいは宿が外国人宿泊禁止なのか、部屋で酒飲みながらくつろいでいたらドアがノックされ、開けたら軍人が数人入ってきた。

 

銃をもった軍人に取り囲まれるなんて初めての経験だから、どうすればよいのかわからなかった。

パスポートを取り上げられて軍人同士話し合っていた。

 

ここで、あろうことか私は「トイレ行っていい?」と軍人に尋ねて、なんとOKをもらった。

 

緊張してたが、トイレを我慢できなかった。トイレに行ってシャワーも浴びてきた。緊迫した状況なのに空気が読めてない。

 

帰ってから軍人が紙に何か書いて見せてきた。「admit」と書いてあったと記憶している。この地区に来る許可証とかを持っているのか?という意味だろう。「無い」と返事して、いろいろ聞かれたが、結局わけのわからないまま軍人は部屋から出ていった。脱北者ではなく日本人だとわかったのか帰ったのか分からない。

 

一連の取り調べが終わって、宿のおばちゃんが「大丈夫か」みたいに声をかけてくれた。大丈夫だが、中国ではよく分からない地域でブラブラするのは厳しいなと感じた。

 

中国の外国人立ち入り区域は公開されてないからよく分からない(以下、黒色中国さんの記事)。

 

bci.hatenablog.com

 

結局、地域が立入禁止なのか、宿が外国人宿泊禁止なのかよくわからないまま(両方の可能性)、ことが解決した。けっこう適当だ。でも、スパイ容疑で逮捕されることもあるので、面倒くさいこともあるかもしれない。

 

さて、国境をブラブラして、大連に戻り街で遊んで、次の朝に出国。朝の市場で小籠包が6元で食べれる。中国は安くてたくさん食べれる。都会で1000円くらいの宿に泊まって町中をブラブラするのはおすすめである。

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ポルカ(投げ銭)で湖西歩き旅

今回は、ポルカ投げ銭アプリ)で支援してもらった旅費で2泊3日の歩き旅をした。

 

京都−敦賀(小浜にも寄り道する予定だった)の歩き旅を宣伝し、旅行資金を募った。

 

polca.jp

 

当初、ツイッターの友人と福井県敦賀で会う約束をして、そこまで歩く予定だった。その歩き野宿の旅を「いいね」と思った人から支援してもらい歩こうと考えた。

 

なんと、3,400円あつまった(うち300円はポルカから)。

 

ツイッターのフォロワーさんからの支援が多かった。

 

支援していただいた方には心から感謝です。

 

しかし、今回は歩きはじめから鬱で気分が落ち込むことが重なり、3日目で旅は断念した。

 

50km歩いた。

 

私の旅は1日に1500円くらいの出費であり、3400円の支援で2日は歩いた。

 

ポルカで支援していただいた資金を使い切ったこともあり、支援された分の歩き旅はできたと思った。

 

旅は楽しんでするもので、気分がすぐれない時は、旅は早々に引き上げるべきだろう。支援を受けたけれど苦しみながら旅をする姿は誰も見たくないだろう。

 

さて、今回は50kmと距離は短めであったが、琵琶湖のよい景色も見れた。

 

なお、福井には電車で後日行く予定であり、ポルカでお金が集まれば福井でぶらぶら野宿放浪をするかもしれない。

 

湖西はすばらしい。

・比良山系の近くの浜辺は湖水が澄んでいて綺麗。

・湖西の街道には屋根つきベンチの小屋が多くあり野宿がしやすい。

 

 

 

まず、国道367号線鯖街道)を京都市内から北上して大原、滋賀県大津市に入り途中峠から東に進み琵琶湖へ。

 

京都市内から10kmほど歩くと大原。美しい田園風景が広がる。日曜朝市や直売所もあり楽しめる。休みの日は観光客多し。

 

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国道脇の神社には湧き水がある。八幡宮という所だ。国道477号線との分岐から少し進んだところにある。雨上がり後だったので水量が多くておいしい。

 

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途中トンネルを抜けて東に進む。田園の中を歩くのは気持ちよかった。

 

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疲れたら木陰で休む。

 

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福島で歩いている時は原発付近では野草を取るのを控えていたため、野草への欲求がたまっていた。スイバを取る。

 

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昼過ぎに琵琶湖に到着。和邇(わに)駅の東にある浜辺である。しばし、ベンチでぼんやりしていた。東屋などもあり寝ることもできる。駅の近くに平和堂というスーパーあり。湖水は綺麗だが砂が多いから泳ぎにくいかもしれない。

 

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夜の料理は豚肉とさつまいものツル(昼間に道路脇で取る)の炒めもの。豚肉は98円/100gで、250円ほど買った。

 

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この夜は屋根付きのバス停で寝た。車がよく通るが寝れた。

 

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和邇駅〜近江高島駅まで20kmの湖西には屋根付きの小屋が多いので休憩や野宿に最適である。

 

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湖西は青色の琵琶湖と近江米の田園地帯が広がり美しい。

 

田園の中に鉄道駅がある(比良駅)。

 

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さて、琵琶湖で水が綺麗なのは近江舞子と言われる。人はけっこういるが、水の中に入ったり松の木の下で寝ることはできる。近江舞子駅から東に進むと水泳場が広がっている。

 

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さて、誰も人がいないビーチを教えよう。北小松駅から国道161号線を少し北に進み、すぐ横に琵琶湖が見えるようになる。そこは車などが置けるところが無いので誰も来れない。トイレもあるので便利である。

 

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国道161号線を北上して夜の20時頃に高島市に到着。この日は調子がすぐれず休み休み23kmの距離を歩いた。和邇駅から安曇川駅までスーパーが無いので注意。

 

道の駅「藤樹の里あどがわ」はたくさんの野菜や鯖寿司、鮎弁当など売っている。

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今回は、度々鬱に襲われ、琵琶湖で泳いだり昼寝したりしたが、3日目には朝から動けなかった。昼まで様子を見たが、歩けないと判断して電車で帰る。

 

歩き続けるのはしんどい。しかし、地方に行くと中小都市が15-20kmほど離れているのでスーパーなど無いので、結局歩かざるを得ない。気力と体力のある時に旅はするべきだろう。

 

歩くのはほどほどに昼にごろ寝したり野宿したり、そういう楽しみを増やしたい。

 

 

福島被災地歩き旅

今回は東日本大震災津波被災地を歩き野宿旅した記録である。

 

2018年7月の歩き旅は、7月11日に埼玉県川越市をスタートしたことに始まっている。

7/23までに福島県二本松市の道の駅「ふくしま東和」に到着し285kmを歩いた。

 

 

nagne929.hatenablog.com

 

 

nagne929.hatenablog.com

 

 

7/24に道の駅「ふくしま東和」を出発し国道349号線を北上。

 

福島第1原発の付近は通行止めとなっており、太平洋側に出るには川俣町→飯舘村南相馬と東北に回り込まなくてはならない。

 

原発の事故時、風は北西に吹いておりその方面にある町には写真のような放射線測定器が多く見られた。

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午前中には川俣町に到着し、公園の東屋で昼の間は休憩し、飯舘村方面に向かう県道12号線を東へ進む。13km歩いて飯舘村の道の駅「までい館」へ。

 

飯舘村は「計画的避難区域」に指定された自治体である。

 

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asahi.com(朝日新聞社):計画避難まず12世帯 福島、15日から飯舘村と川俣町 - 東日本大震災

 

 

飯舘村は2017年3月31日に避難地域として指定は一部を除き解除されたが、住民は避難したまま戻ってくる者は少ないらしい。2018年4月1日時点で住民登録者5,807人のうち村内居住者は743人である(出典:いいたてネットワーク)。

 

飯舘村の人口の推移(H29.1.1~H30.4.1) | いいたてネットワーク

 

 

7/25、飯舘村を歩いたが人が住んでない家が多く見られた。畑であったであろう土地も草が生えて原野状態であった。

 

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運び込まれた汚染土も放置されたままだ。

 

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 県道12号線だが道の駅「までい館」から南相馬市のIC付近までの20kmは自動販売機すら無い。昼の暑い時間に歩けばヤバイので、早朝から歩き始めて昼前には南相馬市に到着した。

 

この地域は野馬追が有名で、町中では馬を見ることも多い。

 

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この日は道の駅「南相馬」で寝る。

 

7/26は被災地を歩いた。

 

津波浸水区域は標識が立っている。

 

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各行政区には慰霊碑が立てられている。

 

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津波被災地は原野になっているか、太陽光パネルが張り巡らされている。

 


南相馬市被災地の太陽光パネル

 

海側に来ると、スーパー堤防が続く。

 

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炎天下の中、高台に神社を発見。人が立ち寄らないのか草で茂っている。しばし、境内の林で休憩した。

 

神社がある所は津波が到達しなかった高台が多いという。津波被害にあわない所に神社は作られている。三陸沖など歴史的に津波被害の多い地域では、昔の人が津波の到達しないところに神社などを作って、後世に伝えようとしてるのだという。

 

 

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県道74号線を北上し相馬市に到着。道の駅「相馬」に。

 

道の駅には津波被害についての資料が展示されている。

 

東北地方の太平洋沿岸はたびたび地震による津波被害を受けていて、明治三陸地震(1896年)でも死者21,915人を出している。東北の集落では津波の記録を後世に伝える『津波石』が317箇所もある。災害の起こりやすい地域は昔から言い伝えられていて、今回の東日本大震災の時に先人の遺訓が生かされなかった。

 

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2017年7月の西日本豪雨で土砂災害や浸水被害にあった地域は、過去にも同じ災害を繰り返しており、将来に伝えるため石碑が立てられていたりする。

 

www.sankei.com

 

河川の氾濫により浸水した岡山県倉敷市真備町でも、過去に川が氾濫している歴史がある。

http://okayamaken.fc2web.com/mabi/suigaisi.htm

 

過去の伝承が皆に周知されていれば災害被害も少なくなる。

 

 

グルメ情報であるが、道の駅近くのスーパーで「復興支援ロースカツ」が200円と安く、がっつり食べれた。

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道の駅「相馬」に売っている青のりソフトもおすすめだ。

 

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この日は道の駅で就寝。

 

7/27は23km歩いて宮城県に入る。この日は鉄道駅で寝た。津波被災にあった鉄道駅は新しく造られどこも綺麗な駅舎となっている。

 

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7/28は国道6号線を北上して岩沼市まで歩く(23km)。

 

この日は台風がやってきて夜には雨が降る。雨を凌ぐため駅の遊歩道の下で寝ていたら、「誰か寝てる」と言って通りすぎる通行人が数人いた。そして、警察に通報されたらしく警察がパトカーで数人やってきて職務質問された。しかし、「君、もうここから動く気ないやろ?」と言われ、「はい」と答えたら、「あんまり人から見えない所で寝てね。また通報されるから」と野宿をOKされた。

 

野宿して何度か警察から職質されたことがあるが、野宿を許可される場合もある。

 

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7/29は18km歩いて仙台駅に到着。今回の旅はこれで終了。424km歩いた。

 

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北関東・東北野宿旅(2)

前回の旅行記の続きである。

 

 

nagne929.hatenablog.com

 

 

7/20は道の駅「伊王野」を6時に出発して、県道76号線を北上。この道は6~7世紀における東北へ向かう古道である。また、源義経の伝説も残る地域を通る。

 

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午前中に関東と東北を分かつ明神峠に到着して福島県に入る。

 

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朝から14kmほど歩いて白河の関所跡に到着。

 

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白河関跡は自然公園になっており、芭蕉の詩の碑もある。

 

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松尾芭蕉は『奥の細道』で「心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定りぬ」 と書いている。白河の関陸奥(みちのく)への入り口として、平清盛も関所越えをしたときにその感慨の気持ちを詩にしている。松尾芭蕉も当初乗り気でなかった旅であったが、白河の関に着いたのが機転となり旅を続ける決心をしたようだ。

 

白河の関までで200km歩いた。私も旅の感慨に浸りましたよ。

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白河の市街地まで歩き白河ラーメンを食べた。国道289号線の南湖付近にはラーメン屋が並んでいるので、その中から店を選んで食べたらいい。写真はお弁当セットで800円。だしがさっぱりしていて美味しい。

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白河駅はレトロな雰囲気。駅の側には小峰城城址公園があり、公園ではベンチや東屋があり野宿できる。私は駅前のベンチで夜を明かした。

 

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夕ご飯はカップラーメン(野草盛り、たんぽぽ、オオバコなど)と、

自分で作った浅漬け。道端でスモモをひろったのでデザートに。

 

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7/21は白河から国道4号線で北上する。このあたりは宿場町が盛んで奥州街道と呼ばれる。10:30頃にイオンモールを見つけてそのまま夕方まで涼む。夕方には須賀川市に到着。ここには松尾芭蕉が栗の木がある庵で詩を読み、その歌碑がある。

 

 

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世の人の 見付けぬ花や 軒の栗

(地味なので、俗世間の人々の目には止まらない花だ。この庵の軒近くの栗の木は)

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この日は須賀川駅近くの公園の東屋で寝た。夕食は卵と鶏肉の炒めもの(材料費250円ほど、味付けだし醤油のみ)。

 

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7/22は須賀川を出発して午前中には郡山市に到着。ヨークベニマルの休憩所で昼間は休む。昼ごはんは半額のミンチを買って麻婆茄子を近くの空き地で作る。

 

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【お手軽麻婆茄子】(220円ほど)

材料:ミンチ、ナス1個、シソ(拾い物)

ミンチとナスを炒めて、シソを混ぜる。味付けはコショウとだし醤油でOK。

 

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16時から再び歩いて三春町へ。三春町のヨークベニマルでアジ(一尾70円)、トマト3玉(80円)を買って、夜の駐車場でアクアパッツァを作る。

 

【お手軽アクアパッツァ】(材料費150円)

材料:魚1尾、トマト2玉、塩コショウ、シソ

フライパンで水を沸かして魚を入れる。トマトのざく切りを加える。シソを入れて、塩コショウをふる。魚を何回か裏返して煮込めたら出来上がり。

 

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この日は道路の横の歩道にあるベンチで寝た。近くのトイレで服を洗い道路のフェンスで干した。よく乾いた。

 

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7/23は三春町を出発して田舎道を行く。

 

このあたりを走る磐越東線(ゆうゆうあぶくまライン)。田舎ののんびりとした朝の駅舎。

 


ゆうゆうあぶくまラインの要田駅

 

蓮の花も綺麗でした。

 

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途中、二本松市に入るが国道349号線には樹高50mの日本有数の大木である「杉沢の大杉」がある。のどかな場所で休憩所もあり立ち寄りにいい。

 


杉沢の大杉(福島県二本松市)

 

 

昼前に道の駅「さくらの郷」へ。道の駅の前のデイリーヤマザキカップラーメンを買って、道の駅に生えてるオオバコなどを入れて食べる。「さくらの郷」には東屋があり、夕方まで休んだ。すぐ近くには湧き水もありおいしい冷水を飲む。

 

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このデイリーヤマザキには400円でバラ肉も売っていたので、夜はサムギョプサルにした。「さくらの郷」から5kmほど歩いて道の駅「東和」へ。

 

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道の駅の日除けテントの下で寝ました。

 

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次からは東日本大震災の被災地歩きです。