生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

桜餅の作り方

桜の花が散ると、桜の木に青々と葉がつきます。桜の葉を塩漬けして餅に巻くと桜餅のできあがりです。5月の初旬に葉を採って塩漬けにすると冷凍保存できます。一年中桜餅が作れますね。

 

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桜の木から大きい葉をちぎる

 

【桜餅の材料】

・桜の葉

・もち米(1.5合)

こしあん(缶詰、小豆から煮てもいい)

・塩

・砂糖(大さじ3杯) 

 

 

①桜の葉の塩漬けをつくる

(1)沸騰したお湯で桜の葉を3分ほど茹でたら、冷水に浸します。葉からよい香りがします。

 

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沸騰したお湯で桜の葉を湯がく

 

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冷水に浸します

 

 

(2)塩水に浸して1時間ほどおく。水気を切って葉をジップロックに入れて冷蔵庫で2日ほどおく。

 

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塩水に浸します

 

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塩水を切ってジップロックで冷蔵庫に2日ほど置く

 

 

 

②餅をつくる(炊飯器)

(1)炊飯器で炊きます。もち米を洗って、白米1合の位置まで水を入れる。30分〜1時間ほど水に浸しておく。

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もち米1.5合に対して、水は白米1合の位置まで入れる

 

(2)ご飯を炊いて、炊きあがったらもち米に砂糖(大さじ3杯)を入れてしゃもじなどで混ぜる。3分ほど混ぜれば粘つくのでそれくらいで良い。

 

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もち米と砂糖を混ぜる

 

(3)粘り気が出たら適当な大きさのもち米を取り出し、平らにする。その中にこしあんを入れて丸める。桜の葉で巻く。

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もち米を平らにしてこしあんを入れる

 

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桜の葉で巻いたら出来上がり



 

よもぎ餅の作り方

街の道路横に生えているよもぎを採って、もち米を炊いてよもぎ餅を作りました。

 

採ったよもぎは茹でてから冷凍保存できます。

 

よもぎは3月〜5月の若芽を採るとよいそうです。

 

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出来上がったよもぎ

 

【材料】

 

・もち米2合

よもぎ(手のひら2つかみ)

・片栗粉

・砂糖(大スプーン3杯)

 

①もち米を炊く

 

もち米は洗って、炊飯器で炊きます。水の分量は普通の白米と同じで良い。「おこわ」モードで炊きます。

 

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炊きあがり

 

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よもぎを煮て刻む

 

よもぎを洗ってから沸騰した湯で煮て、ザルに上げて粗熱がとれたら、水気を絞ります。そして包丁などで刻みます(ミキサーがあれば便利)。

 

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包丁などで刻みます

 

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採ったよもぎは全てゆでて、刻んでジップロックに入れて冷凍庫へ。一年中よもぎ餅が作れる。

 

 

 

 

③餅をつく

ボウルに炊いたもち米、砂糖、刻んだよもぎを入れ、すりこぎ棒などでつく。10分くらいついたら完成です。少し腕が痛くなります。

 

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餅をつきます

 

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ねばねばしてきたら完成

 

 

④餅をこねる

 

適当な大きさに餅をとり片栗粉にまぶす。こねて完成です。片栗粉つけないとねばついて手から離れません(写真はトップと同じ)。

 

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ジェンダーフリーの観点から「第3号」は廃止されるべき

1.原則として「第3号」は差別的である

 

厚生年金や共済年金に加入する会社員や公務員に扶養されている者は保険料を収めなくても基礎年金が支給されるという「第3号被保険者制度」が見直されようとしている。

 

以下のヤフーの記事の見出しにある「無職の専業主婦」という言い方はよくないが(家事は賃労働者を支えるアンペイドワークであるので)、この制度改革は支持する。これは、制度の「改悪」ではなく「正常化」である。

 

夫の厚生年金に加入し、年金保険料を支払わずに基礎年金をもらうことができる「第3号被保険者」の妻は約870万人いる。

 

ヤフーニュース

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190505-00000001-moneypost-bus_all

 

 

 

年金は保険である。公的扶助ではない。なので、掛け金に応じた額を受け取るという年金権の原則がある。「第3号被保険者制度」はこの原則に反する。

  

「第3号被保険者制度」は事実上の専業主婦に対する優遇政策(=片働き夫婦優遇政策)になっている。

 

厚生年金や共済年金の中の独身者・非婚者や共働き、国民年金制度の中で払い続けている者の「犠牲」の上に、サラリーマン専業主婦優遇政策が維持されている(以上、伊田広行『シングル単位の社会論』世界思想社、p.73)。

 

年金は受給単位が世帯であることで不公平(差別)を生んでいる。差別を生まないためにも年金制度は個人単位となるべきである。

 

結婚していることで税金の控除を受けられたり、年金の保険料を収めなくても給付金がもらえるなどというのは、結婚制度による「特権」である。

 

結婚制度が差別的なのは、「性愛に基づく二者関係」を他のあらゆる社会関係に優越して法的制度的に特権化しているからである。

 

結婚して有利になるということが、結婚しない人を不利にしていること(不平等=差別を生み出すこと)を意識しなければいけない。

 

 

 

2.ジェンダー差別を生み出す「第3号」は廃止を

 

「第3号被保険者制度」はジェンダー差別解消のためにも廃止されるべきだと考えている。

 

「103万円の壁」に代表されるような税金の控除、「第3号被保険者制度」などは、女性の経済的自立を抑圧している。このような制度は、「男性はフルタイムの正規職/女性は主婦やパートなど非正規職」というジェンダー役割を強化する。

 

これらの制度は、専業主婦やパート労働者を保護しているように見せながら、パートの賃金抑制の口実につかわれたり(夫に養われてるから主婦パートの賃金は低くてもいい)、女性を被扶養(依存的弱者)の位置に縛り付けている。女性を男性に従属させるシステムであるといってよい。

 

女性が経済的自立できるためにも、女性の働きやすい環境を整え(セクハラなどの排除)、男女の賃金格差を解消しつつ全体の最低賃金も引き上げ女性が男性の経済力に依存しなくてもいいようにする。また社会保障の充実も欠かせない。社会保障が貧弱であるから女性は男性の経済力に依存せざるを得ず、DVなどを受けても簡単に離婚できない問題がある。

 

主婦はどうすべきか?働ける者は働けばよいし、働けずに金がない者は福祉が受給できるようになればよい(生活保護の個人単位化など)。他人の経済力に依存しなくてもよいようにシングル単位の発想から制度がつくられるべきである。

 

※※※

子どもや要介助者を抱える者が経済的自立するためにも、ケアされる者とケアをする者に対して給付がなされればよいのだが(M.ファインマンのいう「性の絆」→「ケアの絆」への給付)、それについてはまた勉強してから書きます。

 

 

 

【用語】

第3号被保険者

 

国民年金の加入者のうち、厚生年金共済年金に加入している第2号被保険者に扶養されている20歳以上60歳未満の配偶者(年収130万円未満)の人をいう。大半は「サラリーマンの妻で専業主婦」だ。この人たちは保険料を払わなくても、配偶者が加入する厚生年金や共済組合が一括して払うので、国民年金を受け取れる。このため夫婦とも厚生年金の保険料を払う共働き世帯や夫婦とも国民年金の保険料を払う自営業世帯との不公平が問題となっている。

 

(引用元:コトバンク

https://kotobank.jp/word/%E7%AC%AC3%E5%8F%B7%E8%A2%AB%E4%BF%9D%E9%99%BA%E8%80%85-182591

 

 

 

資本主義の「家族」に対する責任

資本主義における「市場」はモノやサービスを作り出す領域である。モノやサービスを作り出すためには原料となる資源と、資源を加工して商品をつくったりサービスを提供する労働力が必要となる。資源を供給するのが「自然」であり、労働力を供給するのが「家族」である。

 

 

「市場」は、「自然」「家族」という二つの「環境」からヒトとモノを無償でインプット・アウトプットしてきた。

 

「市場」には「自然」と「家族」という〈外部〉があり「市場」はこの〈外部〉に依存してはじめて成り立っている

 

上野千鶴子『家父長制と資本制』p.10

 

 

 

 

しかし、「自然」については資源やエネルギーが地球に無限に存在するわけでないことが分かり、産業廃棄物による環境破壊が問題となった。このため、「市場」のプレイヤーである企業が資源を無尽蔵に収奪することは環境倫理として許されなくなり、産業廃棄物の「自然」へのアウトプットについても規制がかけられたり、環境税によってコストを負担することが義務付けられた。

 

 

「家族」と「市場」の関係は、「自然」と「市場」の関係と類似性をもつ。

 

「家族」という領域から「市場」は、ヒトという資源を労働力としてインプットし、逆に労働力として使いものにならなくなった老人、病人、障害者を「産業廃棄物」としてアウトプットする。ヒトが、「市場」にとって労働力資源としか見なされないところでは、「市場」にとって意味あるヒトとは、健康で一人前の成人男性のことだけとなる。

 

上野千鶴子『家父長制と資本制』p.9

 

 

 

労働力となる者は「市場」で包摂されるが、病人や障害者、老人など労働力として使えない者は「市場」の外、「家族」という領域に押し付けられる。

 

「廃棄物」となったヒトの受け皿が「家族」となっている。病人や障害者、老人の介護を担うのはもっぱら女性である。

 

「家族」の領域には、労働者予備軍である子どもも押し込められており、子どもを未来の労働力として育て上げるコストは家事・育児としてもっぱら女性に押し付けられる。

 

「市場」はその存続のために、女性による無償の家事・育児・介護にタダ乗りしているとも言えるのである。

 

「市場」は「家族」によって育てられたヒトを労働力として吸い取り、さらには、労働力として使い倒したヒトを捨てるゴミ箱としての機能を「家族」に押し付けている。それを無償でできると思うのは「市場」の傲慢だろう。ムシが良すぎる。

 

「市場」は「家族」を必要とするならば、少なくとも「家族」に対して、労働力の供給と使い倒した者のケアにかかるコストを負う責任がある。

 

これが、企業への課税を強化し社会保障の拡充を正当化する論理となる。

 

 

 

家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平

家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平

 

 

イタドリの食べ方

 

今日は、街をブラブラしてたら河の土手でイタドリを見つけた。

 

イタドリを煮て食べたので、簡単にレポートです。

 

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河の土手に生えてたイタドリ

 

 

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何本か取ってきた。

 

 

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鍋で煮るために、皮を剥いてハサミなどで適当な長さに切る。

 

 

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温度60-70℃のお湯で5分ほど煮る。煮すぎてはダメ。

 

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5分くらい煮たら色が変わる。お湯から出して水にさらす。

 

 

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水で冷やしたら、味噌醤油などにつけて食べるとおいしい。

 

【告知】5/2「六甲山で野草をつんで食べる会」

「六甲山で野草をつんで食べる会」を主催します。

 

 

集合は、13時頃に東灘区の阪急の駅です。

連絡いただけたら詳細の場所を教えます。

haruka.omae@gmail.com

 

 

山で野草をとってその場で天ぷらにして食べようと考えてます。

20〜30分くらい歩くと思います。

 

動きやすい服装でお越しください。

 

 

野草については過去記事にて

 

nagne929.hatenablog.com

 

 

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西成で0円マーケットをしました

たびたび西成に行っている。

 

今、日雇労働者の街である西成は再開発問題で揺れている。

 

3/31に閉鎖予定だったあいりんセンターは、活動家や労働者の抵抗により一階部分は開放されている。ここで寝泊まりしている野宿生活者の方がたくさんいる(90名ほどという報告も)。

 

センター開放闘争についてに記事。

https://antigentrification.info/2019/04/11/20190411agic/

 

貧困層が集住する地域が再開発され、街が小綺麗になったり地価が上昇することでそれまで住んでいた生活困窮者(生活保護受給者、低所得者、路上生活者など)が地域から追い出される現象は、ジェントリフィケーションと呼ばれる。

 

都市研究者である原口剛さんは、ジェントリフィケーションについて以下のように述べている。

 

「それまで貧しい労働者階級が住んでいた場所に、富裕層、ミドルクラスの人たち、それまで見られなかった人たちが次々と流入し、住み始めてくる。そして老朽化したぼろぼろの建物が次第に高価なものになっていき、家賃がどんどん上がっていく。 そうすることによって、それまでそこになんとか住まいを見つけていた労働者たちが住めなくなり、だんだんとそこから追い払われていく」

 

https://ja.scribd.com/doc/242577280/%E3%82%B7-%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

 

 

 

2月頃、早朝のあいりんセンターに行ったことがある。

センターの一階の吹きさらしの広場や、二階の建物内部で野宿していた人がたくさんいた。

 

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早朝のセンター1階。野宿している人の多さに圧倒された。

 

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センター二階部分。外気にさらされないので野宿している方が多かった。

 

あいりんセンターは野宿生活者にとっての最後の砦である。 そこに野宿してる人たちへの生活保障をしないまま、一方的にセンターを閉鎖しようとするなんて、「人でなし」という言葉以外出てこない。

 

 

●0円マーケットを主催

センターに来る野宿生活者の方たちに無料でいらない衣服をもらってもらおうと4/17(水)の午後に0円マーケットを主催した。

 

私が見てない間に衣服がいくつか貰われていったよう。よかった。

 

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センター内部で0円マーケット。衣服を供出した。

 

●西成の街めぐり

 

西成は安くて楽しい。最近はユーチューブで紹介され西成に行く若者が増えたそうだ。私もたびたび、ホルモン屋で食べたり、ドヤで泊まったりしている。

 

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西成の立ち飲み屋や食堂のメニューにはホルモンがある。写真はヤマキ鉄板焼き。ほかにもマルフク、、JR高架下の岩田屋食堂、などある。一人400円もあればホルモンやレバーをつつける。

 

 

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1泊1300円のドヤの様子。トイレや廊下にある灰皿のヤニの匂いが少し気になった。静かに過ごせる。

 

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商店街入り口の横にあるスーパー玉出。店の前に長細い台がありおっちゃんたちの酒盛り場になっている。惣菜が安い(カツ丼300円とか)。萩之茶屋丼なる惣菜もあった。

 

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西成にはワンカップ酒の自販機がたくさんある。おっちゃんが酒盛りしていることが多い。ここで酒を買って三角公園などで飲むなども西成の日常である。

 

 

●資本主義と貧困を考える

 

また、先程の講演の記事で、原口剛さんは、寄せ場と開発の歴史について以下のように指摘する。

 

釜ヶ崎とオリンピックの話っていうのは本当に重要なポイントだと思うんですね。特にこれは西成特区とも絡むんですけど、特区構想がはらむ様々な問題のひとつは釜ヶ崎の労働者の文化、日雇い労働者の記憶、あるいは釜ヶ崎の街としての記憶が単なる “問題地域” という一言で、あるいはイメージが悪いという一言で片付けられ、あまりにも軽く考えられてしまっていることです。つまり記憶の重層性、本来その街が持っているはずの重層性が見落とされているというのが、とてもまずいことだと思います。 釜ヶ崎の街は今単身の男性の労働者がほとんどで、そして労働者が高齢化していて、長期的には街の人口が激減していくだろうということが当たり前の初期設定としてイメージされています。 しかしそこからさらに問いを深めていくならば、なぜ釜ヶ崎が単身労働者の街になったのかということです。昔はそこには、例えば「じゃりんこチエ」や「あしたのジョー」の漫画を見たらそうですけれども、子どもがたくさんいるという姿が当たり前にあったはずなのです。しかしそれが単身労働者の街として塗り替えられていったんですよね。 何のために塗り替えられていったのでしょうか。1970年代に大阪の地で万博が開催されました。当時まだ若かった単身男性の日雇い労働力を大量に確保しておかないと会場の建設が間に合わない。そのために釜ヶ崎は単身男性労働者の空間へと、日雇い労働者の供給点へと変えられていった歴史があるんですよね。 そういう歴史があって今現在の議論が行われているということを考えると、これを当たり前の環境として措定するわけには決していかないでしょう。そうじゃないと資本主義が刻み込んできた戦後史の様々な物事に対する反省的な視点というのを僕らはごっそりと見落としてしまうからです。 目の前に東京オリンピックがあるという時に、こういった歴史の抹消によって本来活かされるべき反省的視点が未来に繋がっていかないこと、そこが一番まずいところなんです」

 

釜ヶ崎などの寄せ場が戦後の開発における労働力の供給源となり街の人口構成をも変えてしまった。寄せ場から送り込まれる先は、建設現場、原発など国の開発の最前線であっただろう。日本の資本主義はその発展のために低賃金労働力を必要とした。労働者は路上生活をおくったり、ドヤ、安い住居に住み、その日暮らしの生活をおくれるだけの賃金しかもらえず貧困から脱出できない。資本主義の発展の過程で、資本は貧困層貧困状態に置くことで、貧困層を労働へと駆り立て安価な労働力として延々と使い続けた。それが寄せ場の貧困の歴史であろう。そのような歴史の省察もないまま、「問題地域」として眼指され開発の標的にされている。釜ヶ崎を通して資本主義の歴史を振り返り、都市における貧困地域のあり方などを考えていかなければならないはずだ。