ナマケタイヨ日記

大学院博士課程中退でフラフラしてる。あまり働かず、頑張らずゆるく生きていきたい。野菜の自給を目指す。社会学や人類学などを参考に生き方について書いていきたい。韓国語できます(TOPIK6級)。ゆるく生きたい仲間が欲しいです!ブログ読んで関心もたれたかたは連絡下さい 連絡先 haruka.omae@gmail.com

自分に合う「現実」を紡ぎだす

 精神科医斎藤環は、精神障害者とは「私たちと同じ言葉が喋れなくなった人」だとラカンの解説書で述べていた(*1)。  

 

 精神障害者でも社会不適合者でも、フツーの人と同じ行為や話し方ができないのに、無理矢理に自分を社会の方に合わせようと試みるが、やはり、途中でしんどくなって生きづらさを増幅させている人が多いのではないかと思う。

 

 私も精神障害を患っているが、もはや、みなさんと同じ言葉を喋ることは放棄してしまっている。  

 

 私たちが当たり前だと思っている「現実」は、私にとっては100%の「現実」ではない。 割り込み乗車をしないなど日本社会の基本マナーは、私の中では「現実」ではある。しかし、嫌なコトには忍耐強く耐えよう、多くの人と仲良くソツなく接しようといった美徳は私の中ではもはや「現実」ではない。

 

 「現実」は言葉による物語で構成されているので、発する言葉によって「現実」は書き換えることが可能であるとう社会構成主義の考えは役に立つ。

 

 野口裕二(*2)によると、 「社会構成主義は、疑いようがなく動かしようがないと感じられる「現実」が、実は歴史的社会的に構成されたものであるという認識から出発する。」(p.56)

 

 「こうした「現実」の構成がひとに苦しみをあたえるものであるとするならば、こうした構成を変更することが重要な意味をもってくる。「現実」がもともとなんらかのかたちで構成されたものならば、別のかたちでの構成もまた可能なはじである。社会的に共有された「現実」を変更するのではなく、個人にとっての「現実」の構成を変更する。」(p.56)

 

 私が書くことは、もうひとつの「現実」を紡ぎだす行為である。

 

 私は、みなさんの「現実」とは違う位相で遊泳して、こんな「現実」もあるよと問い投げかけている。「現実」から少し宙に浮いて、フラフラ生きている感覚です。

 

 私という電波系の人間が言うことなので、みなさんと波長は合わないかもしれないが、みんながみんな「現実」の波長に完全に乗っかってはいないと思うので、たまには私と波長が合うかもしれない。

 

 結論は、自分の苦しいと思う「生き方」=「物語」は捨てて、自分の心地よい「生き方」=「物語」を紡いでいきましょう、ということ。

 

(*1)斎藤環(2012)『生き延びるためのラカンちくま文庫

(*2)野口裕二(2001)「臨床のナラティヴ」,上野千鶴子編,『構築主義とは何か』勁草書房