精神科医の斎藤環は、精神障害者とは「私たちと同じ言葉が喋れなくなった人」だとラカンの解説書で述べていた(*1)。
精神障害者でも社会不適合者でも、フツーの人と同じ行為や話し方ができないのに、無理矢理に自分を社会の方に合わせようと試みるが、やはり、途中でしんどくなって生きづらさを増幅させている人が多いのではないかと思う。
私も精神障害を患っているが、もはや、みなさんと同じ言葉を喋ることは放棄してしまっている。
「現実」は言葉による物語で構成されているので、発する言葉によって「現実」は書き換えることが可能であるとう社会構成主義の考えは役に立つ。
野口裕二(*2)によると、 「社会構成主義は、疑いようがなく動かしようがないと感じられる「現実」が、実は歴史的社会的に構成されたものであるという認識から出発する。」(p.56)
「こうした「現実」の構成がひとに苦しみをあたえるものであるとするならば、こうした構成を変更することが重要な意味をもってくる。「現実」がもともとなんらかのかたちで構成されたものならば、別のかたちでの構成もまた可能なはずである。社会的に共有された「現実」を変更するのではなく、個人にとっての「現実」の構成を変更する。」(p.56)
私が書くことは、もうひとつの「現実」を紡ぎだす行為である。
私は、みなさんの「現実」とは違う位相で遊泳して、こんな違った「現実」の見方もあるよと問い投げかけている。「現実」から少し宙に浮いて、フラフラ生きている感覚です。
みなさんと波長は合わないかもしれないが、みんながみんな今の「現実」の波長に完全に乗っかってはいないと思うので、たまには私と波長が合うかもしれない。