生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

市場経済だけが経済ではない

 市場経済での利得をもとに人間が行動するようになり、市場経済のみで人間が評価されてしまうのは、産業革命がおこり機械化が進んだ19世紀以降のことである。

 それ以前には、人間は市場経済での利得をもとに動くのではなく、社会からの承認を得ることを主な動機に行動していたらしい。

 

 K.ポランニーは、現在、私たちの社会を支配している自己調整的市場経済を以下のものだと述べる(*1)。

・「市場経済とは、市場価格によって統制され、調整され、指図される経済システムである。」(p.119)

・「人間というものは最大限の貨幣利得の獲得を求めて行動するという期待から導き出される。」(pp.119-120)

・「自己調整とは、すべての生産が市場における販売のために行われ、すべての所得がそのような販売から派生することを意味する。」(p.120)

 

 私たちは、資本主義社会において、市場経済での利得によって動く人間像(ホモ・エコノミクス)を自明なものだと思っている。市場経済で利得を得る行動のみが特権化されて、市場では評価されにくい人間関係や社会的名声は有用性がないモノとして扱われてしまう。カネの多寡のみが評価の座標なのである。

 

 しかし、ポランニーによると、社会において市場経済が支配したのは19世紀以降のことであり、それ以前には、信頼のおけるパートナー同士での互酬的な交換、共同体内での物材の再分配など、経済は人と人との関係の中に埋め込まれていた(*2、p.57)。

 

「われわれの時代になるまで、経済が、その大枠においてさえ市場によって支配されつつ存在したことは一度たりともなかった。」(*1、p.77)「交換に際して得られる利得と利潤が人間の経済において重要な役割を果たしたことは、かつてなかった。」(*1、p.77)

 

 19世紀以降に自己調整的市場社会の急激な展開により、人間の相互依存関係を支えていた行動原理や価値観や組織が溶解・破壊された。互酬性により結びついた人間関係を、貨幣を媒介とするうわべだけの人間関係に取り替えてしまった市場経済の作用を、ポランニーは「悪魔のひき臼」と呼んだ。

 

 ポランニーによると、「人間の目的は、物質的財産の獲得という形で個人的利益を守ることにあるのではなく、むしろ、社会的名誉、社会的地位、社会的財産を確保することにある。」(*2、p.57)

 

 人間は経済的存在ではなく社会的存在なのだ。

 

 そもそも、経済という言葉の実質的な意味は「人間が生活のために自然とその仲間たちに依存すること」(*2、p.361)であり、人間が生きるためにはおカネよりも、どのような人間関係の中で生きているのかが重要であったことを示してくれる。

 

 人間の活動の動機は、社会的承認を得ることにあった(*2、p.57)。

 生産活動は、社会的承認を得るための付随物にすぎない。

 

 私がブログを書くのも、経済的利得でなく社会的承認を得るためにやっているという、人間の本質的な性向によるものかもしれない。

 

(*1)K.ポランニー(1944=2009)『(新訳)大転換』東洋経済新報社

(*2)K.ポランニー(1975)『経済の文明史』ちくま学芸文庫