生きるための思想

大学院博士課程を中退してフラフラ生きてる31歳の男です。社会学などの知見をもとに市場経済至上主義を批判して、生きづらさをテーマに記事を書きます(低所得、精神障害、非モテなどの弱者問題)。もともとは韓国で農村移住者を研究してた。金のかからない歩き野宿旅をしている(有料記事ノート https://note.mu/guide)。ツイッターで思う所をつぶやいてる。

何が大切で幸せなのか、考える

生産活動をすることが価値あることとされ、非生産活動はムダなこととされる。

 

 私たちが、幸せを感じるのは、人との交流を楽しんだり(交歓)、美しい景色を見てうっとりするような瞬間にある。生産活動が幸せを生み出すとは限らない。

 

 野菜を育てる時、販売目的で野菜を栽培して、病気などで商品にできる野菜の収穫がうまくいかないと、イライラした気分になる。これは、野菜作りを楽しみでやっているのではなく商品を作り出す労働をおこなっているからである(生産活動)。自分たちが食べるために楽しく野菜作りをやっているのなら、野菜の出来が悪くても、野菜を育てる過程を楽しみ、自分たちで楽しんで食べられるので、イライラは生まれない。

 

 仕事で生きがいを実感する人もいるかもしれないが、楽しさや豊かさを感じるコトが生産活動であれ非生産活動であれ、それらの間に優劣をつけるのが問題である。

 

 バタイユは、人間にとって大切なのは非生産的な消費でもって生を楽しむことであり、生産活動は消費に従属されるべきコトだとしている。

 

 「人間の生の真の目的が非生産的な消費(祭典、豪奢な大建造物、遊戯、見世物、芸術etc…)にあるにもかかわらず、近代の西欧社会は生産と蓄積という人間の生にとっては手段の地位にある活動ばかりを重視してきた。消費が肯定されてもその消費は生産に貢献する消費でしかなかった。」(酒井健バタイユ入門』ちくま新書、p.104)

 

 私たちはカネを生み出す仕事のみを、有用なコトとして高い価値を与えている。仕事を理由に大切な遊びを犠牲にして、家族や友人と楽しく過ごす時間よりも仕事を優位なコトとしている。

 

 非生産的な行為であろうとも、それが当人にとって幸せや生きがいを感じさせるコトなら、それは一番大切なことなのだ。仕事が一番の幸せではないならば、それは低い地位に置かれるべきだ。