それをやっていると、夢中になり、あっという間に時間が過ぎて、充実感に満たされるコトがある。
私は、それが非生産的なコトだとしても、幸せに浸れるコトとして大切にしたい。 私にとって幸せを感じるのは、ブログを書いたり、農作業などで軽く肉体労働をすることにある。
自分の食べる野菜をつくったり、仲間と一緒に協働で作業をおこなうなど、肉体労働をして汗を流すと気持ちがいい。
ただし、気持ちよさを感じるのは自分のペースで作業ができる時に限られる。金銭的利益のために効率性や労働強度の高い作業を強いられるならば、その作業は苦役に変わってしまう。
私は農業は、自分が食べるためにのんびりとやるのが幸せと感じるため、その作業に身をおける時間を増やしていきたい。
ジル・ドゥルーズは、自分が無意識のうちに何かに夢中になる(=とりさらわれる)空間や状況に自分を置いて、考えたり楽しむ瞬間を《待ち構える》のだと、日常の幸せについて語ったそうだ(國分功一郎『暇と退屈の倫理学』太田出版より)。ドゥルーズにとって、とりさらわれる場所は美術館であった。
日常を豊かにするには、自分が夢中になり幸せに感じる場所や状況に自分をもっていくことが大切なんだと思う。