生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

遊動生活のススメ

1.定住化による暇と退屈

以前、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、2011年)のレビューを書いた。

 

それとも関連させて、今回は遊動生活のススメを書いてみる。

 

人類は人類は400万年前に誕生してから、長らく遊動生活をおくっていた

が、1万年前(縄文時代)より定住生活を始めると書いた。

 

 

遊動生活では、移動のたびに新しい環境になるので、毎日が刺激に富んでいる。

しかし、定住生活ではいつも同じ所にいるので、新しい刺激はなく、退屈を感じるようになる。

 

現代消費社会において、暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきかについて、資本につけこまれないような暇の潰し方が必要であると説いた。いや、暇さえも楽しんでしまえという趣旨だった。

 

 カネを使わない暇つぶしの方法を見出すことは、phaさんや大原扁理さんなども提言していたことである。

 

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)
 

 

 

2.定住に向かない人は遊動を

理論上は以上の通りなのだ。しかし、私みたいに暇つぶしが下手くそで、常に新しい刺激を求めてしまう、そういう落ち着きのない人間もいる。

 

そういう人間は、どう生きるべきか?

 

その一つとして、遊動生活を挙げてみたい。

 

ずっと同じところに住んで、同じ仕事を毎日やって、同じ面々と顔を合わす生活って、ウンザリしませんか?

 

現代社会では、一つの場所に定住し、学校や職場など一つの集団に属する。 しかし、集団のメンバーが長期に固定されると、そこには強者・弱者が生まれ権力関係が形成されるようになる。 学校や職場でのイジメなどが好例だ。

 

しかも、学校や企業などの集団は閉鎖的で内部が外からは見えにくく、いびつな人間関係がはびこりやすい。 どうしても風通しが悪くなってしまい、外部からは見えにくくなる。外部の監視が届かない集団で、メンバーが固定されると権力関係が生まれてイジメなどが発生する。

 

いびつな人間関係が形成されるのは、日本人が民主的な人間関係に無頓着だからであり、一朝一夕ではどうにもならない。

 

だから、一つの集団の同じメンバーといつづけることは危険なんだ。個人にできることは、集団から離れるくらいしかできない。いちいち、改革と言って人に説法をするのも面倒だろう。

 

人間関係はシャッフルしていく必要がある。

 

以上は、内藤朝雄『いじめの構造』(講談社現代新書、2009年)のいじめ研究から得た知識に基づく。

 

いろいろな集団を渡り歩いていく遊動生活は、権力関係に侵されにくい。 嫌な集団に属することになれば、身軽に離れられるのが遊動生活のメリットだ。

 

考えてみろよ。短期バイトばかりやってたらイジメなんて起こらないし、嫌になってもすぐ辞められる。

 

 

たびたび、場所を移動するのも刺激になり、常に新鮮な気持ちを持ち続けることができて楽しい。

 

 

 

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

 

 

3.遊動は本来あるべき姿

柄谷行人の『遊動論』(文春新書、2014年)によると、柳田国男も、定住化が権力関係を生み出したと書いていた。それ以前の遊動民の生活では富と権力の不平等や葛藤がないような社会が存在していたのではないかと書いてあった。

 

まだ、ちゃんと読んでないがな。笑

 

マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』によると、ジャングルで遊動生活をおくる未開人なんて、食材確保と調理で4時間しか生きるために働いてない。あとの時間は昼寝だ。

 

ジャングルの中に食材は豊富にあり狩りをして肉も食べれる。未開人の生活は貧相だと思われがちだが、実は豊かな生活が存在していた。

 

その未開人たちに、先進的な生活と現金収入を勧めるために農場で働かせたところ、仕事をやめてジャングルに戻ってしまったらしい。

 

それほど、遊動生活は気楽だったらしい。

 

毎日、10時間も働いてカネはあってもしんどそうに生活している現代人はいったい何なんだい??

 

 

 

遊動論 柳田国男と山人 (文春新書)

遊動論 柳田国男と山人 (文春新書)

 

 

 

石器時代の経済学 (叢書・ウニベルシタス)

石器時代の経済学 (叢書・ウニベルシタス)