生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

お遍路の思い出(1)アル中遍路編

去年の9月と10月のお遍路旅行について書いておこうと思った。

 

昨年のお遍路は、歩きと野宿です。

 

15~20kgのカバンを背負い20~30km歩いていました。

 

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9月のお遍路は、アルコール依存症が再発して酒浸りの状態からスタートしました。一週間くらい焼酎を一日中食らっている酒浸り状態だったが、「お遍路に行って充実すれば酒は止まるはず」と思い出発しました。

 

とりあえず当時は無職で何もヤル気が起こらないので、何かパーッと楽しいことをしようと思いついてお遍路を始めただけなので、計画はほとんどゼロ。バスターミナルで降りて、いきなり目的地への移動の仕方がわからなかった。

 

当初は長期の放浪で行き当たりばったりでいいやと思っていたので。

 

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最初は鳴門市の高速バスターミナルで降りて、一番礼所の霊山寺まで12kmほど歩きましたバスを降りるやいなや近くのスーパーに寄って、カップ焼酎を3個買いぐい呑みしてからスタートしました。アル中全開です。

 

お遍路の礼所の行き方は丁寧に標識などで示されているので、略地図と標識に頼れば目的地にたどり着けます。ただ、手書きの道案内とかは見逃しやすいので注意が必要です。

 

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一番礼所の霊山寺で納経帳を買いました。納経帳は小型のもので2,000円弱しました。これに88ヶ所の礼所で、礼所巡りの証拠として墨書きしてもらいます(300円)。納経した時に納めるお札も買います。納経時間は7時から17時の間です。

 

お遍路は納経でおカネをじわじわ取られ、数珠やらも買わなきゃとか迫られるので、お遍路も完全にビジネスですね。巡礼も資本主義に取り憑かれてしまってます。

 

 

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さてお遍路ですが、1日目は大雨に見舞われていきなり全身ビショビショになりました。

 

霊山寺で雨が止むのを待って2番礼所の極楽寺に17時前に着いて納経して、その日は近くのJRの無人駅で野宿しました。

 

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電車の本数は一時間に2〜3本なのでほぼずっと一人です。人が通ろうとシュラフで寝ていました。

 

とりあえず、翌日は朝早くに目覚めて、起きると同時に焼酎をかっくらいました。2日目もアル中全開でスタートです。

 

お遍路の行程はほぼアスファルトの道です。国道と県道がメインで車も多い。重いカバンを背負っているので足は痛くなります。

 

でも、道を歩いていると周りは畑が多い。畑を見ていたら地域の特産品もわかってくる。鳴門市は鳴門金時などサツマイモが有名だが、レンコンや梨の畑も多くあり、これらの産地でもあるのだなと。歩いているだけで地域特産品がわかります。

 

・レンコン畑

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地方に行くと道路脇に無人の直売所があり、かなり安く野菜や果物を買える。何度か買いました。

 

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さて、歩いているのは楽しかったのだが、コンビニで焼酎パックを買い、ちびちび飲みながら歩いていた。酔は回ってくる。

 

坂道で転んでヒザをものすごく擦りむいた。痛い。この時にカバンの横ポケットに入れていた大事な地図や雨具を落としてしまった。雨具はノースフェイスの3万円のやつだったので、後で落としたのに気づいてかなりへこんだ。

 

とうとうダウンして、道端の喫茶店の前でうなだれていると、近所のおじちゃんが心配そうに声をかけてくれた。そして、僕が動けない様子を見たのか、警察に連絡したようだ。パトカーが来て怖そうな警察官に囲まれた。

 

人生で初めて職務質問をされた。

 

免許証の提示を求められたり、出身地や職業聞かれたり。

 

私は「僕、アル中で酒飲みすぎて動けないんです」と情けなく言った。

 

もう泥酔していたんで記憶が定かではない。警察は僕をパトカーに乗せた。僕はパトカーの中で完全に意識を失った。

 

どこか小さい部屋に連れて行かれて、部屋に入ったとたんに寝転がった。しばらく酔いつぶれて寝込んで、目が覚めた。

 

「ここはどこ??」

 

6畳ぐらいのプレハブ小屋にいた。道路に面していた。その時僕は、「酒が飲みたい」と衝動に駆られた。自分の状況よりも酒を買いに行くことしか頭になかった。

 

アイフォンで徳島県警に連絡して、「僕はどうなったんですか?」「近くにコンビニはありますか?」といきなり聞いた。

 

何を話したかはあまり記憶にない。ただ、電話でコンビニの場所を聞き、すぐさま酒を買いに行った。完全にアル中脳だ。

 

酔いつぶれてまた寝た。

 

朝になって誰か入ってきた。

 

どうやら、この部屋はお遍路さんが泊まるための部屋で一泊500円。管理人が僕のヒザの出血を見て包帯やらで処置をしてくれた。優しい方だ。

 

僕は二日酔いがひどく昼過ぎまでその部屋にいた。

 

13時頃になって、さすがに出発しようと思い、カバンをもって部屋を出た。

 

しかし、また酒を飲み始めた。

 

歩くのが面倒くさくなって、通りがかりの公園の影で寝転んだり、道路の横の影の部分で酔いつぶれて寝てたりした。この日歩いたのは5kmだけだった。何をしに四国に来たんだ??

 

さて、その日はお寺の駐車場の東屋の中で寝た。

 

ここは、野宿禁止らしい。後から知った。

 

寺の売店の人からコンビニの場所を聞いており、酒は飲まないでおこうと思ったが、やはり買いに行ってしまった。往復40分くらいかかるのに、焼酎のためならどんな手間でも掛けられるアル中そのものだった。

 

翌日、目覚めたがものすごく体調が悪い。

 

先に進むのも不安感しか無かった。このままでは絶対にアル中でぶっ倒れるなと感じた。

 

助けを求めたくて、寺の宿の人に「救急車呼んでくれませんか」と懇願した。しかし、宿の人たちは奥で話し合っていたようで「遍路は自己責任。下手に遍路さんを助けたら後で面倒なことになる」という旨のことが聞こえた。悲しかった。助けてくれてもいいのに。

 

「救急車は自分で呼んで下さい」と言われ、またしばらく休憩所で休んでいた。

 

救急車を呼んだ経験がない。病院に電話をかけようかかけまいか悩んだ。悩んだ末、今回は遍路をあきらめて神戸に引き返そうと考えた。これは、後から思い出して賢明な判断であった。

 

最寄りのJR駅までかなり遠い。とにかく歩いた。1時間くらい歩いて、スーパーを見つけた。情けないことにまたカップ焼酎を買った。もう飲まないでおこうと思ったのに。スーパーでタクシーの連絡先を聞き。タクシーに乗って最寄り駅へ。鴨島駅という。電車に乗って徳島駅に着いて、そこから高速バスで神戸に帰った。

 

同居人は優しく迎えてくれた。

 

一人では酒を止めることは無理と判断して、かかりつけのアルコール病院に向かった。二日酔いで酒浸りのまま病院に行って、ケースワーカーにスリップ(再飲酒)しましたと言うと、優しく対応してくれた。

 

酒が止まらなかったのは離脱症状のせいだった。アルコールが切れると酒が欲しくなって衝動が抑えられない。離脱症状を抑える薬(ジアゼパム)を病院で緊急処置しえもらい、離脱症状は和らいだ。

 

血液検査をしたところ、GOT1,954など、とんでもない数値を叩き出した。肝臓はボロボロだ。急性肝炎である。後から医者が言ったのだが、完全に入院が必要なレベルだったらしい。

 

 

 

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離脱症状や飲酒欲求には数日悩まされたが、なんとか酒は止まった。

 

9月11日に断酒開始でまだ続いている。

 

断酒が軌道に乗ったから、10月にまた遍路に行けた。

 

次に続く

 

 

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