2018年7月の歩き旅は、7月11日に埼玉県川越市をスタートしたことに始まっている。
7/23までに福島県二本松市の道の駅「ふくしま東和」に到着し285kmを歩いた。
7/24に道の駅「ふくしま東和」を出発し国道349号線を北上。
福島第1原発の付近は通行止めとなっており、太平洋側に出るには川俣町→飯舘村→南相馬と東北に回り込まなくてはならない。
原発の事故時、風は北西に吹いておりその方面にある町には写真のような放射線測定器が多く見られた。
午前中には川俣町に到着し、公園の東屋で昼の間は休憩し、飯舘村方面に向かう県道12号線を東へ進む。13km歩いて飯舘村の道の駅「までい館」へ。
asahi.com(朝日新聞社):計画避難まず12世帯 福島、15日から飯舘村と川俣町 - 東日本大震災
飯舘村は2017年3月31日に避難地域として指定は一部を除き解除されたが、住民は避難したまま戻ってくる者は少ないらしい。2018年4月1日時点で住民登録者5,807人のうち村内居住者は743人である(出典:いいたてネットワーク)。
飯舘村の人口の推移(H29.1.1~H30.4.1) | いいたてネットワーク
7/25、飯舘村を歩いたが人が住んでない家が多く見られた。畑であったであろう土地も草が生えて原野状態であった。
運び込まれた汚染土も放置されたままだ。
県道12号線だが道の駅「までい館」から南相馬市のIC付近までの20kmは自動販売機すら無い。昼の暑い時間に歩けばヤバイので、早朝から歩き始めて昼前には南相馬市に到着した。
この地域は野馬追が有名で、町中では馬を見ることも多い。
この日は道の駅「南相馬」で寝る。
7/26は被災地を歩いた。
津波浸水区域は標識が立っている。
各行政区には慰霊碑が立てられている。
津波被災地は原野になっているか、太陽光パネルが張り巡らされている。
海側に来ると、スーパー堤防が続く。
炎天下の中、高台に神社を発見。人が立ち寄らないのか草で茂っている。しばし、境内の林で休憩した。
神社がある所は津波が到達しなかった高台が多いという。津波被害にあわない所に神社は作られている。三陸沖など歴史的に津波被害の多い地域では、昔の人が津波の到達しないところに神社などを作って、後世に伝えようとしてるのだという。
県道74号線を北上し相馬市に到着。道の駅「相馬」に。
道の駅には津波被害についての資料が展示されている。
東北地方の太平洋沿岸はたびたび地震による津波被害を受けていて、明治三陸地震(1896年)でも死者21,915人を出している。東北の集落では津波の記録を後世に伝える『津波石』が317箇所もある。災害の起こりやすい地域は昔から言い伝えられていて、今回の東日本大震災の時に先人の遺訓が生かされなかった。
2017年7月の西日本豪雨で土砂災害や浸水被害にあった地域は、過去にも同じ災害を繰り返しており、将来に伝えるため石碑が立てられていたりする。
河川の氾濫により浸水した岡山県倉敷市の真備町でも、過去に川が氾濫している歴史がある。
http://okayamaken.fc2web.com/mabi/suigaisi.htm
過去の伝承が皆に周知されていれば災害被害も少なくなる。
グルメ情報であるが、道の駅近くのスーパーで「復興支援ロースカツ」が200円と安く、がっつり食べれた。
道の駅「相馬」に売っている青のりソフトもおすすめだ。
この日は道の駅で就寝。
7/27は23km歩いて宮城県に入る。この日は鉄道駅で寝た。津波被災にあった鉄道駅は新しく造られどこも綺麗な駅舎となっている。
この日は台風がやってきて夜には雨が降る。雨を凌ぐため駅の遊歩道の下で寝ていたら、「誰か寝てる」と言って通りすぎる通行人が数人いた。そして、警察に通報されたらしく警察がパトカーで数人やってきて職務質問された。しかし、「君、もうここから動く気ないやろ?」と言われ、「はい」と答えたら、「あんまり人から見えない所で寝てね。また通報されるから」と野宿をOKされた。
野宿して何度か警察から職質されたことがあるが、野宿を許可される場合もある。
7/29は18km歩いて仙台駅に到着。今回の旅はこれで終了。424km歩いた。