女性にとって思春期とは、自分の身体が性的なまなざしで見られることに気づく時期である。
思春期とは、女性にとって何でしょう。それは、自分の身体が自分のものではなく、誰かの快楽の道具であり、誰かに見られることに気づく時期を指します。
男の欲望の対象となるとき、人は「女になる」。男の欲望の対象とならなくなったとき、人は「女ではなくなる」。
セラピストのスージー・オーバックは1986年に出版された『拒食症』という本の中で、現代にいたるまで社会が女性に要請してきた無言の圧力を3つに要約している。
1.女の子は「他人の意見に従わなければならない」ということ
2.女の子は「他人の欲求を予想して、それを満足させなければならない」こと
3.女の子は「他人との関係の中で自己定義を求める」こと
小倉は、3番目の「誰かとの関係の中で自己を確認せよ」という圧力が女性にとっていかに強烈であるかについて1997年におこった東電OL殺害事件を例に挙げる。
東電OL殺害事件の殺害された慶應大卒で東電に総合職で務めていた女性は夜には渋谷で立ちんぼうをしていた。
39歳のエリート女性は、エリートであることで企業社会の勝利者であっても、関係性の中で、つまり男性との性的関係によって自己を定義してもらわない限りは安心感が得られないという「女らしさの病」にかかってしまったのではないか(前掲書、p.9)。
上野千鶴子も述べるが、名目上は業績主義の企業社会で頑張ってきた彼女はガラスの天井にぶつかり、気がつけば周りの女性たちはみんな寿退社していた。彼女は能力にプライドをもちながらも頭打ちを強いられ、女性性の価値からも取り残されてしまった。そんな彼女が最後に自分が女だということをもっとも直接的なかたちでつかもうとした行為が、売春でした(上野千鶴子、2008『サヨナラ 学校化社会』ちくま文庫、p.96)。
思春期の少女の逸脱病理は、摂食障害と性的逸脱に分かれる傾向がある。セックスに依存するか食に依存するかは機能的に置き換え可能だという(上野、2008、 p.111)
さて、摂食障害の原因には女性が感じる股裂き状態があるという。
1985年に男女雇用機会均等法ができて女も「がんばって働けばキャリアを積める」という状況が生まれると同時に、一方で旧態依然の「女らしくあれ」という圧力も受ける。「女らしくあれ」とは男を立てるということである。能力と気配りの両方が求められるのだ。
現代の日本の社会では女性はこの二つの相反するメッセージを受けとることになる。
身体というのは本人にとってたった一つの、自分が思うようにコントロールできるテリトリー(領土)である。身体という自分の領土にたいして暴虐の限りをつくしているのが摂食障害だという説明がある(加藤まどか、2004『拒食と過食の社会学』岩波書店←引用は上野(2008)p.103−104から)。
セックスだと他人から女として値踏みされる。拒食症は女性的身体の持ち主になることを拒否する行為である(上野、前掲書、p.111)。
臨床心理士の信田さよ子によると、摂食障害に悩む女性は加齢とともに症状が収まるという。それは、女性自身が加齢とともに性的魅力が低減して他者から性的にまなざされなくなり、女性としての値踏みから解放されるからであるという。
(上野千鶴子・信田さよ子、2004『結婚帝国 女の岐れ道』講談社)
思春期の逸脱病理として男の子は引きこもりになり、女の子は摂食障害か性依存になるという。いずれも長期化する可能性が高い。これは、他者から自分がどうまなざされるかという自意識から解放されれば解消できるのかもしれない。
- 作者: 上野千鶴子
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