生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

生活保護を前提とした引きこもりの生存戦略

 

【目次】

 

 

1.引きこもり・ニート生活保護を前提として生きる必要がある

 

 引きこもりの生き延びる方法はほぼ生活保護しかない。いまや引きこもりは中高年が多く親亡き後についての生活は親の財産・年金が尽きたら生活保護しかないだろう。むしろ、生活保護を受けることを前提にして生きたほうが現実的であり精神的な安定にもなると思う。だから、困窮したらいかにスムーズに生活保護にスライドできるかがカギなのである。

 

 しかし、斎藤環さんによると、引きこもりの人たちは生活保護を受けるのを申し訳ないことだと思っており、親が死んだあとは保護を受けずそのまま死ぬことになるだろうと言っていた。

 

2.福祉利用をためらわせ困窮者を追い詰める労働イデオロギー

 生活保護の捕捉率は約2割にとどまっている。申請主義による障壁、水際作戦、あるいは恥の意識などが相まって市民は生存権を行使できていない。福祉を受けるのは恥だという意識は、労働によって身を立てなければいけないという労働イデオロギーの産物である。働いていないと社会からは「半人前」と見られ承認が得られない。社会から承認を得るために労働に駆り立てられ低賃金労働にも甘んじてしまう。生活保護基準以下の経済水準で暮らしている人たちでも生活保護を受けたくないという人が多い。困窮者をおいつめるのは労働そのものではなくて労働イデオロギーだと言えそうだ。

 

 (※)さらに、保護を受けない理由に親族に扶養照会され身元がバレるのが困るという問題を抱えている人もいる。それは社会保障が世帯(家族)単位となっていることの弊害でありこれまでも指摘しました。

 

 

 「働かざる者食うべからず」という言葉は、不労所得で暮らす資産家や地主を牽制するためのものだった。憲法27条における「勤労の義務」は、他人の労働力の成果物を吸い上げて生活する富裕層を牽制するために(旧)社会党により盛り込まれたものだ(社会主義的な意味が強かった)。よって、無業者や福祉で生きる困窮者を追い詰めるためのものではない。

 

 「みんな働かなくなったらどうすんだ」と言う人もいるが、今は過労で倒れたり、困った人が福祉利用をためらったり、低賃金でも働かされるなど労働主義による弊害がひどい状況なので、「働かなくていい」と言うくらいで丁度いいあんばいになるだろう。生活が保障されても、労働イデオロギーが強い社会では多くの人はすすんで働こうとする。生活保障されると、人々はマトモな待遇してくれる仕事しか選ばなくなるので、ダメな職場は労働条件を改善せざるをえないので社会はディーセントになるのではないだろうか。

 

 社会には働かない人が一定割合で存在する。江戸時代の村落社会でも公的扶助は存在したし、大正や昭和にも「高等遊民」がたくさん現れた。むしろ、働かない人がいることが前提となって社会は成り立っていると言える。高齢化が進み高齢者はやがて働けなくなる。労働が十分にできない障害者も多い。働いている人口は思うより多くはない。働けない人が一定数いることを前提としたシステムにする方が社会の実態に合うはずである。

 

 社会の成熟とはこれまで生かすことのできなかった命を生かすことを可能にすることである。経済的困窮者には女性、障害者、LGBTQ、外国人などマイノリティが多い。それは、この社会が日本人の健常者男性をモデルとして設計されており、その主流秩序においてエンパワーされにくいマイノリティが劣位におかれやすいためである。このような構造により生まれる経済力の傾斜をならし「公正」を担保するリベラリズム的発想が求められる。

 

 働かず福祉を受けている人は社会のお荷物だと常套句のように言われるが、そもそも働いていない人が社会保障を受けたところで社会の富の総量は変わらない。福祉利用者のもとに降りた税金は消費によって資本に還流する。福祉利用者は金を右から左へと流しているだけである。福祉利用者が地方に住んでいる場合は中央から地方へ富を分配しているともいえる。

 

3.税金を食う巨悪は他にいる

 生活保護利用者にバッシングをする人は、なぜか権力者の税金の無駄遣いや利権については矛先をむけない。「森友」「加計」「桜」など権力者と友だちによって税金が食い物にされている事例はたくさんある。コロナ対策でもお肉券などで税金を利権に誘導しようとしたし、アベノマスクは460億円の税金をつかって市民にゴミを送りつけた。数兆円におよぶオリンピック予算、原発にかかる利権など巨額の税金が政府−大資本の間でグルグル回されている。もっと言えば天皇や皇族も巨額の税金に寄生している。生活保護バッシングはひとえに抵抗できなさそうな弱い立場にある人をたたいて鬱憤バラシをしているのである。

 

4.生活保護への負の意味付けを解消する

 A.ホネットは承認の形態として、①親密圏(家族)/②法制度/③業績(社会的評価)の3つを挙げている。これらが欠けると差別や生きづらさをうむ。①親密圏(家族)と③業績(社会的評価)は人との関係における承認であり不安定であるが、まずは②法制度で差別されないことが平等における基礎となる。

 

 なので、まずは差別のもととなる生活保護制度に対するネガティブな意味付けを解消していかなければいけない。生活保護がことさら騒がれるのは不正受給問題である。しかし、金額ベースで見る不正受給率は0.45%(2015年度)と微々たるものだ。これも、保護利用者の子どものアルバイト代の収入申告漏れなどによるものが多く悪質なものは少ない。目くじらを立てるほどのものではない。むしろ、生活保護利用者は不正受給をしているとネガティブな印象を植え付けられることで、困窮した人が生活保護の利用をためらう効果が生まれてしまっている。保護利用者の落ち度や不正受給などに対していたずらに騒ぐことで救われる命が救われなくなっている。また、生活保護はみじめで酷いものだという印象が強まりすぎることにも弊害がある。生活保護については問題も多いが制度利用によって最低限の生活ができて命をつないでいる人がいる。まがりなりにも困窮者の生存権を保障している点はポジティブに評価されるべきである。安心して制度を利用できるような評価の仕方が求められる。

 

ただ、生き延びるための権利として堂々と福祉が利用できるようになればいい。