生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

ピル問題から考えるシングル単位の働き方

 

【目次】

 

 

1.ピルを飲んで働けと言うのはジェンダー差別である

 

 ホリエモン東京都知事選で掲げた公約に【低用量ピルで女性の働き方改革】という文言があり、これがめちゃくちゃ批判をあびた。

 

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ホリエモンが掲げた都知事選公約の中に『低用量ピルで女性の働き方改革』とある。批判が噴出した。

 女性が主体的にピルを利用する選択肢は広がるべきだが、ホリエモンの公約におけるピル利用の推進目的が、労働生産性を上げるために女性身体をコントロールするような書き方だったから批判を受けた。これは、女性の働きやすい労働環境をつくるという発想ではなく、男性的な働き方に女性が適合するように女性にコストをかけさせる発想なのでジェンダー差別だといえる。

 

2.労働そのものがジェンダー差別をもつ

 

 ここで分かるのは、資本主義下における労働(とくに、決まった時間に働かせられる賃金労働)は、男性中心のものでありジェンダー差別に基づいていることだ。生理および妊娠・出産・育児(女性に偏重しやすい)などが労働においては想定されていない。女性の経験しうることは「特殊」なことと位置づけられており、男性が働くことしか想定されていないという点で、労働そのものが特定のジェンダーに有利で差別的であるといえる。また、生理および妊娠・出産そのものよりも、それらを理由にした就職差別・就業差別などもある。それらは生物学上の本質的な不利というよりも、「女性」というジェンダーに対する人為的な差別である。このように、資本主義下の労働において、女性は生物学上の身体機能による不利と社会的なジェンダー差別という二重の差別をうけている。

 

3.「障害学」の視点から

 このジェンダー差別の問題を障害学における「個人モデル」と「社会モデル」という視点から話してみる。「障害」を本人に内在するもの(インペアメント)と捉えるか(=個人モデル発想)、あるいは社会のシステムによって「障害」(ディスアビリティ)とさせられると捉えるのか(=社会モデル発想)、という「障害」を巡る2つの考え方がある。【日本人で健常者のシスヘテロ男性】だけをモデルとした働き方をもとに労働システムがつくられると、それ以外のマイノリティとなる外国人、女性、障害者、クィアなどの人たちにはシステムが不利に作用する。男性をモデルとした働き方であると、生理などが想定されていないため、生理が「障害」のように扱われ、生理を我慢したりピルなどを使うことで男性モデルへの適合を迫られる。しかし、労働システムが生理ありきで作られ生理による不利益を被ることがなければ、生理は「障害」のようには扱われない。女性も働きやすい環境を整えることが働き方改革であるとすれば、男性主体の働き方をモデルにするのではなく、女性の経験もビルトインされた働き方がシステムとして確立される必要がある。「障害学」の発想からは、女性が本来的に不利なのではなくて、女性を不利にしているのは男性中心の労働システムであるといえる。

 

4.市場は差別をもたらす

 資本主義において資本は利潤の極大化を目的とする。労働者に対しては長時間労働労働生産性の向上を求める。前者はマルクスのいう「絶対的剰余価値」の生産であり、後者は「相対的剰余価値」の生産として、資本は利潤(剰余価値)を拡大させる。この資本の利潤拡大を放置すると、他の資本との競合のために長時間労働が常態化し(低賃金であるから長時間労働をおこなわざるをえない状況もある)、低賃金にも関わらず労働強度が高くなることで搾取率が上がるなど、労働環境や労働条件は悪くなるばかりである。低賃金の問題が放置され労働強度や労働時間ばかり拡大することで、ますます「弱い者」が働きにくい状況となる。資本の論理(=競争論理)のもとでは「強い者」が生き残るので、規制をしないと、システムは「強い者」を基準としたものにスライドしていく。しかし、「強い者」を基準にしたシステムにすると、無限の競争がおこなわれ最終的に生き残るのは一人となってしまう。一人しかいない世界は社会として機能しない。つまり、「強い者」を基準にしたシステムでは社会は潰れる。資本の自由に任せると労働者の再生産ができなくなり資本主義は存続できない。資本の動きを社会によって歯止めをかけ、労働者の生存権と働きやすさが求められなければいけない。それは、男性(「強い者」)を基準としたものではなく、すべてのジェンダーにとって負担の少ないものとならなければいけない。

 

5.生理による不都合を被らないために

 女性が生理でも無理して働こうとするのは経済的問題とともに、生理がバレるのが怖いという理由があると思う。女性の身体が性的な客体として強く見られる社会では生理は好奇やからかいの対象となりやすく、生理であることを誰かに告げることで不利益を被る恐れがあり生理をオープンにしにくい。特に男性に生理がバレると、生理であることを言いふらされたり、からかわれたり、性的な目で見られたり、嫌がらせを受けることがあるので、大変やっかいである。自分が生理であることすら知られたくないので、バレることやアウティングをおそれ生理でも周りに言えないという事情がある。以前、あるデパートで「生理バッジ」をつけて就業する規則が問題となったが、生理であることを周知させて配慮してもらうというのはリスクしかないので代案にならない。学校の体育や水泳の授業を生理で休むときでも一々生理であることを指導教員に告げなければいけないケースが多いが、それもデリカシーを欠いたものだ。学校でも職場でも、休むことに対して詳しい説明を求められず、「体調不良のため」と一言告げて休めるようにしなければならない。生理を明かさず休める体制が求められる。これにより、女性だけでなく、男性も休みやすくなりすべての人が無理せずに働くことができるようになる。

 

6.シングル単位の労働システムへ

 システムレベルでおこなう女性が働きやすい働き方改革は、現在の家父長制(=家族主義=ジェンダー差別)に基づく労働システムから、個人が経済的自立できる事を想定した個人単位発想の労働システムにすることにある。労働においてジェンダーフリーを実現するというのは、あらゆる人が働きやすくなるシステムとなる。

 

 現在の働き方は世帯主(男性)が一家を養うことを前提としたモデルとなっている(家族主義)。一人で数人分の生活費を稼ぐ発想なので、これが長時間労働の原因となっている。長時間労働は生活の面倒を見てくれる配偶者(女性)の存在を前提としている。身の回りの面倒を見てくれる人がいない女性は男性並に働けず競争に負けてしまう。結果、〈男性は仕事/女性は家庭〉というジェンダーロールができあがり、女性が働くことを想定していない男性中心の労働システムが再生産されていく。女性は家事・育児を割り当てられパート労働も低賃金であり経済的自立ができない。パート労働は世帯主に養われることを前提としているため賃金は低く、最低賃金の下方圧力をもたらしている。このように、家父長制(=家族主義)に基づくシステムがジェンダー差別を帰結している。労働システムを個人単位として、個人が一人で経済的自立することを前提とした賃金設定や働き方を進める必要がある。

 

※日本の労働システムと家父長制(=家族主義)の関係は以下を過去記事を参照

  

nagne929.hatenablog.com

 

 

★★シングル単位の働き方のために★★

 

最低賃金を上げ労働時間を短縮する】

 誰かに養われることを前提にした賃金設定ではなく、個人が働いて経済的自立できる賃金水準にする(最低賃金の引き上げ)。長時間働いてやっと生活できる賃金水準ではなくて短い労働時間でも経済的自立ができるような賃金水準とする。ワークシェアリングの発想で個人の労働強度も下げ、ヘトヘトになるような働き方を避ける。これにより、ワークライフバランスが進み、〈男性は仕事/女性は家庭〉というジェンダーロールも薄れていきジェンダーフリーに進む。

 

 

【休みやすい体制】

 有休取得を容易化。生理などのアウティングがされないように、休むために詳しい理由を問われずに休めるようにする。体調不良や精神疾患などにも適用されうるし、何となく休みたい時も休むことができればいい。健常者男性をモデルとした毎日働き詰めることを前提とした働き方を見直す。在宅ワークの拡充。

 

 

【妊娠・出産・育児により不利にならないように】

 育休などの拡充。子どもを産むことを前提とした働き方やシステムをつくる。ハラスメントをされない社会。個人単位の社会保障子ども手当を拡充して、労働や配偶者に依存しなくても生活保障がなされるようにする。保育園やベビーシッターなどの使用を容易にするための制度をつくる。子どもの生存を親次第にするのではなくて社会でバックアップする発想となれば親も働きやすい。