10/1〜10/6の熊野古道(中辺路)の歩き旅の後半部分です。本宮大社〜那智大社〜速玉大社までの道中のレポート。
前半部は以下でレポートしました。
◉ 4日目(10/4)
◉ 5日目(10/5)
◉ 6日目(10/6)
10/1〜10/6にかけて熊野古道の中辺路を約120km歩いた。紀伊田辺駅から歩きはじめ、熊野本宮大社→熊野那智大社→熊野速玉大社の熊野三山を歩き終えた。すべて東屋や河原などで野宿した。今回は、毎日かなりの距離を歩いた。このようなペースでは行くのは強行軍なので良くないです。でも、歩き出したら、ついつい歩き続けてしまう。自分の積極的な意志で歩いているのでもなく、誰かから歩くことを急かされているわけでもないのだが、取りさらわれるように歩みをやめられない。そういう中動態的な感覚に突き動かされていた。もちろん、ただ歩くだけでなく、景色や鳥を見たり、川で泳いだり、野草やキノコをとって料理したりと楽しみました。旅という非日常では人から意外な話を聞けたりして、それも楽しい。食料は事前に買っておいた方がいいが、水は湧き水や川の水でなんとかなる。おいしいし。
《中辺路ルート図》
※以下のサイトから借用したマップです
【10/1】25km
紀伊田辺駅→滝尻王子(中辺路山道の起点)
【10/2】21km
滝尻王子→熊瀬川王子(山の東屋で野宿)
【10/3】16km
【10/4】20km
【10/5】18km
小口集落→大雲取越→熊野那智大社→大門坂
【10/6】20km
山中での野宿となるので、防寒具とシュラフなどで荷物が多くなる。17年のお遍路で使用した大きめのザックで行く。前日の9/30は西成のホテルで1円で宿泊した(SNSのフォロワー1000人以上なら宿泊費1円になるキャンペーンをやっている)。今回の旅での宿泊費は、この1円だけです。
天王寺を6:45発の電車で湯浅駅で乗り継ぎ、紀伊田辺駅に9:51に到着した。湯浅駅で乗り継ぎ電車を待っている時に、ホームにいたおばあちゃんから話しかけられ、電車の中でもずっと談話していた。戦時中に北海道の親戚のもとに疎開した話や、戦後満州からの引揚者の人たちによくしてもらったとかの話を聞いた。86歳のおばあちゃんだけで、当時の女子では珍しく私立大学を出たという。和泉の医療機関で働き、通所する西成の困窮者の人たちの生活支援もやっていたそうだ。専門知識を勉強するためカルフォルニアの大学にも留学したという。西成の人は複雑な境遇な人が多く、援助職は大変だったという。でも、西成の人たちの人情に助けられたという。わたしが前にあいりんセンター前のおっちゃんに寝床を案内してもらった話をしたら、すごくビックリしていた。このおばあちゃんは、お遍路も歩いたり、熊野古道も歩いたりしたスーパーおばあちゃんである。旅の話もたくさんした。こういう話ができたのも、わたしが旅人モードで非日常性をかもしだしていたから、ちょっと突っ込んだ身の上話を聞くこともできるのだろう。旅をしているとこのような非日常モードの会話が可能となり思いがけない出会いもある。
田辺駅からはのどかな田舎の道を歩く。途中、車道から外れ山の中を歩いたり、梅林やみかん畑の横を通るなど変化に富んでいる。山を抜けると稲葉根王子を経て富田川を登っていく。川で泳いで汗を流したりした。この日は滝尻王子まで25km歩いて、河原で野宿した。10月の山中は昼は暑いが夜は冷えるので長袖とシュラフが必要だ。
滝尻王子から山道に入って、山の中を歩き続けた。この日はかなり歩いた。坂道や登りが多く身体にこたえた。途中、イグチという可食キノコをみつけて夜ご飯にした。
朝、林道の横にある公衆トイレで歯磨きに行くと、小さいバイクから降りてタバコを吸っているおっちゃんがいた。挨拶から始まり、話をしているとおばあちゃんが南方熊楠の友だちで、熊楠の話をよく聞かされたらしい。夜に熊楠の家に行くと、庭で裸になってぼんやり月を見ていたそうだ。熊楠は「変わった人」として田辺の人気者だったようだ。和歌山の山間部集落では木こりや炭焼きなどの生業で暮らしている人が多いのだそう。若い人が山村ぐらしに憧れて炭焼き職人のもとに弟子入りするも、ずっと炭の様子を見ていなければならず、まともに休める時がないという。それで、月収は10万円くらい。悪条件の労働だそうだ。おっちゃんは、あてもなくバイクでブラブラするのが好きで、冬の寒い時でも何も考えずにただ走っているのが心地よいそうだ。運動しているわけでもなく、休んでいるわけでもないアイドリングの状態が心地よいのだと語った。禅なども、動いているわけでもなく寝てるのでもない状態に心地よさがあるのではないかと。わたしは、この話を聞いて中動態的な感覚だなと思った。わたしが頭を空っぽにしてブラブラ歩いているのも、アイドリングという中動態の状態なんだなと。
この日も、ひたすら山道や林道を歩く。湧き水や川の水があるので飲水には困らない。冷たくておいしい。自販機も少ないからこういう自然の水を飲んだり汲んだりして歩を進めたい。最後、3キロくらい手前になって軽トラのおっちゃんに道を聞いたら車に乗せて連れて行ってもらった。旅をしてると、こういう厚意にあずかりやすくなる。ありがたい。
後半は以下でレポートした
【目次】
わたしたちは社会の中で生きていくためには何らかの評価されるポジションを得て、世間の期待に応える役割を演じていかなければいけない。それができないと、「村八分」にされ、社会から冷遇されたり、制裁を受けたり、存在さえも無視されてしまう。引きこもりの人などが働けずに社会的な役割を果たせていないと、存在そのものが蔑ろにされてしまう。このように、生きづらさの問題は社会で要請される役割を遂行できずアイデンティティの獲得ができないことで、存在を否定されたりないがしろにされることで生じている。だから、わたしたちは世間で評価される生き方を実践するために、世間的価値を内面化する。わたしたちの行動は、「正しさ」を基準にしているのではなく、世間的な「役割」や「立場」に基づいている。学歴、職業、役職といった地位を獲得するだけでなく、交友関係、恋愛相手、家族、居住地域などの関係性もテコにして自分の「立場」を獲得している。世間で期待される役割というのは会社・地域・家族の領域であり、これらは連動している。仕事ができない人は会社で居場所をなくし、職を失うと地域で立場を失う。家族を形成できない人は世間では評価されにくい。子どもを産み育てられないセクシャル・マイノリティや非婚者は、家族主義の要請する役割(=男女をカップルとするシスヘテロ規範)を果たせないから社会から差別されてしまうのだ。
世間に包摂されていないのは「無縁」という状態だ。「無縁」は、世間からつまはじきにされマイナスの状態であり差別の対象にもなりやすい。しかし、歴史家の網野善彦は、「無縁」を既存の社会秩序やしがらみからの離脱として肯定的に捉えた。世俗の人間関係から解放されることで生じる自由、そして、「無縁」による連帯(=マルチチュード)の可能性があるという。
昔は出家などで《俗》の領域から《聖》の領域にジャンプすることで主流秩序からズレた生き方が可能だった。超絶してしまうと、労働をはじめ世俗的な義務を免責されるようだ。宗教的存在となることが世間の風圧をかわすことにもなった。
西行法師(1118〜1190)は、武士の家のサラブレッドとして生まれた。妻子をもち順当な人生をおくっているように見えたが、23歳の若さで出家して家族のもとを去った。理由は、友人の死に無常を感じたとか、政争に明け暮れる世の中に嫌気がさしたからなどと言われる。あちこちで庵をつくり放浪の人生をおくった。保元・平治の乱では西行の旧知の人のたくさん死んでいった。そのような動乱の中、世の中から距離をおき西行は花鳥を愛で人生をおくった。お遍路や熊野古道などで歩いていると各地に西行が放浪で訪ねて詩を詠んだ碑がある。このように、出家という形で「世捨て人」となり世間からズレて各地をブラブラして生きていた人は多くいたのだろう。
鴨長明(1155〜1216)は下鴨神社の神官であった父のもとに産まれ、神官となり主流秩序の真ん中を歩む予定でいた。しかし、親族間での抗争や嫌がらせにより神職に就くことができず、出家して京都郊外の山中の庵で隠居生活をした。その後も、どのようなポストにも就けず、隠居しながら俗世間のことを書き記したのが『方丈記』。4畳半の方丈の間で静かに暮らしながら失意のうちにこの世を去った。しかし、長明は、就職ができないことをよそに、琵琶と和歌の腕を磨きつづけ和歌集にも入選している。和歌の分野でも定職には就けなかったが、無頼のミュージシャンとして趣味に生き、世間とはズレたところで居場所をみつけていたのかもしれない。
網野善彦によると、中世では遊女や河原者(皮革業者)、物乞いなどは、神仏や天皇に仕える芸能民とみなされていた。鍛冶、番匠(=大工)、鋳物師などの手工業者、さらには遊女、白拍子、猿楽など芸能民などは、天皇に直属する供御人や、神仏に直属する神人、寄人として高いポジションを得ていたという。彼らは蔑視される対象ではなく、一般の平民がもたない能力をもつ超越的な存在と見られた。そして、「無縁」性を帯びているから神に近い存在として神聖視された。
南北動乱以降における天皇や神仏の権威の低下、13世紀後半以降の貨幣経済の浸透や識字率向上など文明化により非人や遊女への差別意識が生まれた。非農民は《聖》から《賤》へと転落していく。遊女は遊郭に閉じ込められ、非人は被差別部落に囲われるなど、地域ごと差別の対象となる。人の職や地位の意味付けが時代の文脈により恣意的に変わっていくのがわかる。神聖なポジションにあった「無縁」の人々が、差別される対象になったことで、彼らの救済のために発展したのが親鸞や日蓮などの鎌倉新仏教だという。信・不信、浄・不浄を問わず全ての人が救われると教える一遍上人は、踊り念仏という今で言うロックコンサートのツアーのような感じで全国を行脚した。多くの人を動員した踊り念仏は秩序を脅かすものとして権力からは批判の的になった。
「無縁者」というのは非日常の存在である。固定性がなく、主流秩序の日常性とはズレたところにいる。社会からはなんだかよく分からない得体の知れない存在と映る。「畏れ」の対象でもある。規範からズレているので、人々をあっと言わせ意識を攪乱させる。規範に適合しない人が、マジメに規範に従おうとするのではなく、存在そのものが規範からズレていたり、規範からズレる実践をすることで、規範そのものに風穴が空いていく。ジェンダーやセクシャリティの文脈ではクィア的実践と呼ばれる。規範をつくりだす日常性を揺るがすような非日常的実践が、硬直した主流秩序に亀裂をいれるパワーをもつかもしれない。
旅人、行商、芸能民、遊女など社会の周縁で生きてきた「無縁者」は、オモテの社会からは抑圧されつつも、オモテの人々に非日常をもたらす《聖》なる存在でもあった。陰で生きつつも、時にオモテの社会に顔を出してみんなをあっと言わせる。平地人を戦慄せしめていた。
以前、知り合ったホステス経験者の人は、ホステスの仕事を「夢を売る仕事」だと語っていた。街ですれ違っても話すことがない見ず知らずの人たちが、酒の席で自分の身の上話や込み入った話をする。日常とは違う非日常モードであるから可能となる。非日常を提供する仕事なのだ。「夜の街」は、サラリーマンなどの日常を支える非日常の領域として社会を統合する役割を果たしているのだ。
旅の非日常性も面白い。旅をすることで非日常モードに入る。旅をしてると気が乗って人に話しかけやすくなったりする。また、旅をしてる人には話しかけやすく、立ち話から始まり自分の突っ込んだ話をしたりすることも多くなる。ヒッチハイクで気軽に車に乗せてもらったりと、恩を受けたり恩を着せたりがしやすくなる。人は旅人に対して日常モードとは違う対応をする。無礼講的な楽しさがある。このように、旅人は自分だけでなく、周囲も非日常モードに巻き込むパワーをもつ。日常に生きる人たちにささやかな非日常をもたらしている。
「無縁」の状態になることで、人のしがらみの深みに足をすくわれなくなるかもしれない。人間というのは相手との適度な距離感や緊張感があれば、だいたいはいい人でいられる。人は関係ができてくるとコントロール欲求や上下関係が生じる。旅での一期一会の出会いが楽しいのは、人間のよい側面だけ見れるからかもしれない。
●参考文献
【目次】
9月20日に内閣府は、少子化対策の一環として、新婚世帯の家賃や敷金・礼金、引っ越し代など新生活にかかる費用について、60万円を上限に補助する方針を固めたという(2021年度より)。
https://news.livedoor.com/article/detail/18929863/
少子化対策というなら子どもに対する給付となるべきである。ただ結婚しただけで給付するというのは異性愛カップルの優遇という意味しかないので、少子化対策とはズレている。今の結婚制度を前提とした少子化対策というのは、標準家族(=婚姻内における異性愛カップル)という型を守ることが前提となっていて、子どもを守るという発想でなされていない。産まれた子どもが生きていけるように、婚姻家族のもとに子どもがいようがいまいが関係なく子どもの生存保障がなされるような制度にすべきである。少子化対策では「子どもの生存権」だけに絞って政策を組めばいい。資金、医療、保育所など子どもに対してダイレクトに便益があるものにすべきだ。結婚した夫婦に支給する発想は、子どもを守りたいのではなく、異性愛モノガミー秩序を守りたいだけなのだ。
日本では結婚と出産が強く結びついており、子どもを産んで家族をつくりたいという動機から結婚がおこなわれる。日本では婚外子の比率が2%と先進国では例外的に少なく、結婚制度の中でしか子どもを産まない。だから「できちゃった婚」(子どもを妊娠したら結婚制度の中に素直に入っていく。現在、4組に1組は「でき婚」)という言葉が存在する。結婚を前提として子育て政策が組まれているため、結婚制度のもとにいない親子が制度的に差別される状態に置かれている。少子化対策というならすべての子どもが支援されるようするべきではないだろうか。
今の子どもの貧困などをそっちのけで、人口を増やそうというのはちょっと待ってくれよと思う。まず、今の貧困問題を片付けることに力を入れてもらいたい。「子どもの貧困は親の貧困」と言われるように、現代の貧困を放置したまま出生を増やしても貧困が世代連鎖していくことになる。今ある貧困問題にまともに対処せず、新しい人口を欲しがるのは、貧困層を新しい人口で置換しようという発想があるためだろう。それでは、貧しい人を捨て去る棄民政策になる。国の少子化政策には子どもを新たな経済力にする発想しかなく、その子どもが経済的貢献できない人材となれば、また新たな世代にとって替えられる。つまり、経済がうまくいかない限り延々と将来世代に頼り続けることになる。今の問題にわたしたちが対処しないツケを将来世代に丸投げすることになる。これは、将来世代のことを考えずに今の世代が地球資源を食い尽くしたり地球環境を汚染する構図と似ている。少子化対策(=人口増大政策)は年金など社会保障の財源確保のために必要だと言われる。しかし、わたしたちの生み出した問題を将来世代によって解決させようという発想がまずいのではないか。わたしたちの問題はわたしたちが解決すべきだ。再分配は世代間の問題ではなく、収入格差や資産格差の問題だからだ。だから、年金についても右肩上がりを前提とした制度で若者が高齢者を支えるという世代間扶助の発想をやめる。持てる者から持たざる者へと再分配をおこなうことで格差をならす政策をとりたい。雨乞いをして経済成長を望むのではなく、今の格差の問題にちゃんと対処しなければいけない。
わたしたちは、子どもが産まれることが良いことであり、少子化は解消されるべき「問題」と捉え、少子化対策は正しいと思っている。少子高齢化が進むことで問題とされるのは、低成長や年金制度の破綻があげられる。しかし、それらは右肩上がりを前提につくられた昭和型のシステムが維持できないことを「問題」としており、少子高齢社会を前提としたシステムに変わってしまえば「問題」となくなる。少子化により若年人口(労働人口)が減ると経済規模が縮小するというが、そうならば、市場縮小や低成長を前提とした制度に変えるしかない。いつまでも経済が拡大することを前提とした実態に合わないシステムを見直さないことに問題がある。先進国はじめ日本社会も経済が高止まりする「定常化社会」(広井良典)という状態に達しており、地球資源の限界と需要の飽和という限界に直面している。人口増大も望めず経済成長も期待できない中では、再分配によって富の偏りを修正し、庶民に金を回すしか現実的な手段がない。このような再分配を中心とした政策を嫌うのは企業や資本家だろう。であるならば、少子化を「問題」としている主体は資本ということになる。みんな何となく少子化はよくないことで人口は多いほどよいと思っているが、それは資本の論理を内面化してしまっているからである。
人類は地球資源を収奪し、工業化や戦争によって環境破壊はおこなうし、原発や温暖化など地球生命にとっては不利益ばかりをもたらしている。地球環境や動植物にとっては人類が減ることは願ったりかなったりであろう。このように立場を変えれば少子化は歓迎されるべきこととなる。また、地球全体の人口は爆発的に増えており、食料問題や資源問題という観点では地球規模では人口は減った方がよいとも言われている。
他人を妊娠させ出産させることはデフォルトで暴力となる。だから、合意やケア、妊娠・出産により不利にならないシステムが必要になる。以前、代理出産の問題が話題になった。他者の身体に受胎させ、その間の生活の不自由や健康問題、痛み、生死のリスクなどを背負わせる代理出産には倫理的課題がつきものだ。相手の置かれた状況や被ることを顧慮することなく金を出しさえすれば代理出産はいいじゃないかという発想は倫理に反するだろう。高収入の女性が平然と代理出産を依頼すればいいと言ったことが批判をあびたのは、自分の被るリスクや不利益を金さえ払えば他の女性に肩代わりさせることができると思っていて、自分の権力性に無自覚だったからだ。
産む側でない男性は常に女性に代理出産させていると言える。わたしはシスヘテロ男性で「生殖させる側」であるが、相手を妊娠させる事はおぞましい事だと感じる。身体の変化や痛みがすべて相手の負担になり、社会的な不利益を受けるのも相手になる。性行為や生殖行為の本質は暴力であるが、「愛」や「本能」などの言葉がその暴力性を隠すのに使われている。生殖は次代生産のためになされる。次代生産は人類の繁栄、資本の論理(国家財政や労働力再生産)、本能、愛、などという幻想(=物語)によって正当化されている。生殖行為は暴力であるからこそ、その暴力性を隠すために様々な「物語」が動員される。生殖はもはや「本能」ではなく「欲望」によりなされている。
今まで、シスヘテロ男性が「俺、子どもができた」とドヤ顔をしたり、誰かに対して「子ども作らないの?」とか聞いたりする光景を見て嫌な気分になった。女性の身体に負担かけ、自由や機会を奪うことを度外視してよくそんな事が言えるなと神経を疑った。出生主義が暴力的であることに対してはリベラルと言われる人でも無神経な人は多い。「子ども産むべし」という出生主義は女性を犠牲にして成り立つ。これまでの、家父長制にもとづく多産社会では女性の大きな犠牲があった。少子化対策とうたい「子どもを産め」と社会が迫るのは、女性およびセクシャル・マイノリティへの圧力となる。
男女平等がすすみ、女性の権利や選択の自由が増えることで非婚化と少子化はすすむ。それでも子どもは産まれてくる。計画的な妊娠は多くない。妊娠の半数は積極的に妊娠を目的としたものでなく避妊の失敗などである。男性の身勝手で女性が妊娠することも多い。産まれてきた子どもには罪はないので、子どもが生存保障されるシステムが求められる。これは、社会保障の観点からなされるべきだ。就労できず経済的自立ができない者に対する生活保障という位置づけだ。このような個人単位の生活保障というシステムであれば、婚姻関係を優遇しているわけではなく、結婚してもしなくても制度的に差別がされていることにならない。これにより、出産を奨励している訳ではないが(=出産に対して中立)、産まれた子どもは守られるようになる。結果、子どもは産みやすくなるだろう。現在の男女共同参画においてモデルとされる女性のライフコースも、結婚・出産をして男女で家事・育児をしながら正社員としてバリバリ働くことを理想の姿としている。多様性と言いつつも、今でも未婚・子なしの女性は社会では冷遇されやすく、社会が理想とする特定の女性だけがエンパワーされるようになっている。子どもありきの制度を見直し、子どもが増えないことを前提にしながら制度を中立的に設計しなければならないだろう。
【目次】
店員やドライバー、福祉のワーカー、保育士など人々の生活を成り立たすのに欠かせないエッセンシャル・ワーカーは、コロナ禍でも最前線の現場で働いていてリスクが最も高い。しかし、それらの職種には非正規が多く最低賃金レベルの報酬しか受けていない。非正規労働者は最前線に送られる二等兵のような存在であり、感染症に罹患しても補償はなく、容易に別の人材に取り替えられる。一方、大企業の正社員の一部などはリモートワークなどが導入されリスクを避けることができ、各種補償もある。司令官的な経営者や資産家なども現場に出ることはなくリスクをかわせる。エッセンシャル・ワーカーほど社会に欠かせない仕事でリスクが高いにもかかわらず報酬が低く、肩書きだけ立派で何をしているかも分からない高位職が莫大な報酬を得ているという状況が生まれている。
デヴィッド・グレーバーは、このような無意味な内容なのに高い報酬を得ている仕事をブルシット・ジョブ(Bullshit Job)と呼ぶ。「あまりに意味を欠いたものであるために、もしくは、有害でさえあるために、その仕事にあたる当人でさえ、そんな仕事は存在しないほうがマシだと、ひそかに考えてしまうような仕事」だという。なんとかコンサルティングや、なんとかエグゼクティブといった立派そうな肩書きだけど何をしているのか分からない役職で、実際に大した仕事をしていないのに高給をもらっている人が多いという。グレーバーのもとにも、「自分の仕事はなんの意味もない」と言う企業顧問弁護士はじめ、「無用な仕事」について報告するたくさんの人がいたという。また、形式的な会議、押印の慣習、管理体制が厳しくなって手続きやルールが複雑になることで増える業務(=官僚的儀礼)も、必要のないどうでもいい仕事である。旧来のサービス業はここ100年で増減はないのに、管理に関わる仕事が増えたことでサービス部門が増大しているように見えるのだという。規制緩和や自由化が言われ無駄や非効率がなくなるように見せかけて、やたらと規制や書類仕事が増えるなどで、むしろ生活や仕事をするのに手間がかかり非効率的になっている。
(下記、ウェブ記事を参照した)
酒井隆史『なぜ、「クソどうでもいい仕事」は増え続けるのか?:日本人のためのブルシット・ジョブ入門』(2020.8.5)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74475
人は何が何でも働かなくてはいけないと思っている。資本主義における労働はもはや宗教的な儀礼となっている。これは、将来の利得のために今を必死に労働しなければいけないという近代以降の勤労道徳が基礎になっているだろう(ウェーバー:『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)。この勤労道徳こそがブルシット・ジョブ(=意味のないどうでもいい仕事)を生み続けているとグレーバーは指摘する。技術の発展により、多くの労働が機械により代替できるようになった。しかし、今度は雇用を失う不安に人々は駆られる。そのため、人々に仕事をあてがうために無駄な仕事を増やしているという。そうならば、AI技術が発展すればするほど人々は無駄な仕事を増やしていくことになる。グレーバーに言わせると、「精神的に空虚で無駄な職業を世界中で発明している」という。労働主義が支配する限り、生産性が上がるほど非効率的で無意味な仕事が増えていくという矛盾がおこる。
このような無駄な仕事であるブルシット・ジョブを無くすにはベーシックインカムの導入にその可能性があることをグレーバーは指摘している。今まで無意味な労働に当てられていた時間は創造的時間に費やされるというわけだ。しかし、たとえ生存保障がなされても「労働による承認」が絶対となっている社会では人々は労働に駆り立てられる。高齢者が家族のもとで暮らしていても仕事をしようとするのは、働いていないと邪魔者扱いされるからというのも大きいと思う。働いていないと世間でも家族でも居場所がなくなる。だから、身体を少々壊しても鞭打って働き続けなければならなくなる。労働が金を得る手段であるよりも社会的承認を得るための前提条件となっている。そのような労働イデオロギーを弱めない限りは、無駄な仕事を増やし続け、何が何でも働かざるをえないという「苦の連鎖」は断ち切ることはできない。
(参照記事)
Takashi Yoshida『ブルシットジョブ:現代の封建主義が生み出す無意味な労働』
https://www.axion.zone/bullshit-job/
下図を見ると、1997年を基準にして従業員給与は横ばいだが、配当金は2000年ごろから6倍に大きく伸びている。企業は利益を労働者に回さず株主に回すようになったということである。アベノミクスによる株価上昇は日銀に買い支えられ、大企業は安倍政権を支持することで株価対策となった。つまり、労働者の生み出した富と税金は内部留保や投資家に流れたことになる。トリクルダウンすら無かった。
アベノミクスは、ピケティが提示した資本主義の原理【r>g】を加速させたように見える。【r>g】は、資本により得られる富は、労働によって得られる富よりも成長が早いということを意味する。資産をもつ者はより豊かになり、労働でしか金を得ることができない無産者は豊かになりにくい。そして、ピケティはこの富の格差は政策的な介入がないと広がる一方だと言い、修正資本主義に移行すべきだと主張している。資本主義では、労働するよりも株や不動産などの不労所得で暮らすほうが圧倒的に有利であり、「働いたら負け」という構造が再生産されてしまうのだ。
日本の最低賃金では貧困ライン以下の生活を強いられる。最低賃金を決めるのは国なので、国が貧困を作り出していることになる。だから、貧困は個人の能力の問題ではなく国の問題である。賃金が低いのは自分の能力不足や努力不足だからだと自己責任としがちだが、生活ができないような低水準の賃金が公然とまかり通っているのはなぜかを知っておきたい。それは、個人が一人で生活できるような水準の賃金とする個人単位発想で最低賃金が設定されているのではなく、家族(=家長男性)に養われるから安い賃金でも構わないという家族単位の発想に賃金体系がなっているからである。これが分かれば、低賃金の問題は個人の問題ではなく、国が定めるシステム(=家父長制)の問題だということが分かる。
最低賃金の引き上げ(=家族単位から個人単位へ)については、以前書いたブログ記事を参照してください。
ジェンダー差別に基づく賃金体系では、正規職の家長男性に養ってもらうことを前提にしてパートや非正規の低賃金が正当化される。国や企業は「家族の扶養」をあてにしているように、社会保障をもあてにして人々を安く使役している。作業所における工賃が安すぎるのは生活保護の収入控除(=15,000円)に収めることを前提にしているからである。さらに、障害者雇用における賃金が低いのは障害年金をあてにしているからである。国や企業が社会保障制度につけ入り、障害者を経済的自立をさせる気がないことが分かる。このように、立場の弱い障害者や困窮者は国や企業から足元を見られて不当に安く使われてしまう。このような待遇の悪い労働にも多くの人が進んで就こうとするのは、やはり生活保障がないことと、「労働による承認」を求めていることが大きい。就労能力が乏しいにもかかわらず就労意欲を見せるためだけに就労支援プログラムへの参加を強いられたり(それが障害年金などの受給要件にもなる)、何かしら労働につながるような事をしなければいけないという強迫が低い工賃でも作業所に通うことを選択させる(ただブラブラしているだけでは咎められる)。
人々を一生懸命に働かせるために「アリとキリギリス」の寓話がもち出される。将来の安定のために今を労働に捧げろというプロ倫的な規範が学校や社会で叩き込まれ、わたしたちの内面に染み付いている。アリ的な生き方は将来に富が築けるのであれば成り立つが、それは年功序列制に守られた正社員の生き方に限定される。低収入のフリーターが真面目にアリのように働いても資産は築けない。稼いだお金は住居費や食費、医療費、衣服代など健康をなんとか維持して労働力を再生産するためのメンテナンス費として消えてしまう。ずっと働き続けなければならない。アリ的な生き方を規範とする勤労観念は低収入でずっと人をこき使うための資本の論理である。低賃金で働かせて労働者に蓄財させず生存保障をしないことが、労働者をずっと低賃金で働かせるための仕組みとなっている。貧しい人はずっと貧しいままにされるのである。低収入であればアリのように一生懸命働いても老後は保障されない。年金はまともにもらえないし、かといって年金を払うと今の生活が成り立たなくなる。そして、アリ的な生き方をしていたら楽しみを先送りするばかりで、いつまでたっても楽しみは訪れない。同じように困窮するのであれば、「いま・ここ」を楽しむキリギリス的な生き方がよいように思える。
わたしの知り合いでも、低収入だけどブラブラして「いま・ここ」を楽しんでいる人がいる。将来は生活保護を受けることを念頭においてフリーターをしたりブラブラしている人もいる。また、20代30代と若くして生活保護を受け労働しない生き方をしている人もいる。中には、「賃金労働は二度としない」と言って立てこもり生活をしている人も。就労経験が少なく実力も乏しい引きこもりの人が職を得ようとしても、低収入で待遇が悪くパワハラなどが多いところばかりである。金が稼げないだけでなく、業務についていけなかったり人間関係にしんどさを感じてやめてしまうのがオチである。まったく消耗戦である。就労ありきの生き方から脱却しない限りこのような消耗戦の繰り返しで時間や精神を空費する。就労がほぼできない人たちに就労支援をするのは、事業所が助成金を得るだけで、それこそブルシェット・ジョブになる。その金を生活保障としてダイレクトに給付したらよいのである。
日本では中途半端に稼ぐと割を食うシステムになっている。所得最下位層はいろいろな減免措置があるが、それよりやや上の低収入ラインになると、社会保障は受けられず、社協などの貸付金も返還免除とならない。国保、税金、年金などの徴収料も高くなり負担が重くなる。低収入の人にとっては「働いたら負け」となるシステムになっている。
最低賃金を大幅に引き上げる賃金体系の個人単位化をしない限り「働いたら負け」の状態はずっと続く。「働いたら負け」の状態であるのに働き続けるのは、お金がないことに加えて、福祉や家族などに頼るのは恥ずかしいことだと考えている部分も大きい。現在、生活保護費はジリジリと削減されている。このジリジリと減らすのがなんとも嫌らしい。このように生活保護の利用者を追い詰めるような政策をとることで、世間にああなってはいけないと「見せしめ」にしているように見える。このように、生活保護の人を「いけにえ」にすることで労働主義は維持できている。働かない人や働けない人を劣位に置かないと労働主義そのものが成り立たない。人々が働くことを選ぶのは自分が序列の下位にいきたくないという強迫的動機に支えられている。このような労働イデオロギーを緩めるには、何が何でも働かなくてはいけないという強迫的な意識から、働くことにメリットがないなら働かなくてもいいという意識へと価値観を移行していく必要がある。割りを食っているワーキングプアーの多くの人が「働くのはバカらしい」と開き直って労働から撤退すれば、社会の労働規範も少しずつ解体していく。引きこもれる人は引きこもり、社会保障を受けられる人はそれで暮らす。わざわざ、負け戦となる消耗戦に出向く必要はない。「立てこもり」として生きていきたい。
9/11で断酒3年となった。2014年4月にアルコール依存症と診断され断酒していたが、3年半後の2017年9月にスリップ(再飲酒)してしまった。うさばらしで酎ハイを一本飲んでしまい、ズルズルと焼酎をラッパ飲みするようになる。酒を飲み続けたままお遍路に旅立つ。お遍路中も酒を片手に街道を歩き、飲んで吐いての繰り返し。酔って転んで怪我をしたり、うずくまっていたら警察にパトカーで運ばれたりした。やばかった。これは引き返すべきだと思い、神戸の住まいに戻りアルコール病院に駆け込む。それから3年たった。
さて、断酒を続けているのだが、今回の断酒(17年9月〜)は前回の断酒(14年4月〜17年9月)とは質が違う。というのも、前回の断酒はいかに日常を安定的に静かに暮らしていくかという感じだったが、今回の断酒は安定ではなくむしろカオスに任せて場当たり的に生きることによって持続させている感じがある。これは、真人間になり大人しく暮らし安定を目指すような精神医療の方向とはズレるやりかただ。これについて思うところを書いてみたい。
【目次】
アルコールや薬物への過度な依存は、その他に依存できる資源が乏しいためになされると言われる。アルコールなどの刺激物質はてっとり速く非日常を味わえる。日常がつまらなすぎるからアルコールなどの過剰摂取にいたるのである。だから、依存症者に対してただ酒やドラッグをやめろと言うだけではダメで、退屈な日常にどう対処するかが技術として重要になってくる。酒で埋めていた時間をどう対処するかという「空白の時間」の問題だ。依存症の人の多くが退屈な日常に耐えられず、酒を飲んで非日常を味わいたくなる。断酒をしても酒の替わりとなる非日常(=超絶)を創り出さないと耐えられない。のんびりと過ごすことで安定する人もいるが、のんびりと過ごすのが難しく刺激を受けることで生きるエネルギーとなる人もいる。非日常に居続けることで安定するのだ。そのような人にとっては、毎日を祭りのように生きることが「回復」に近づく。
【自助グループは非日常の祭りの空間として機能している】
学校で勉強ができず「おちこぼれ」として普段はないがしろにされている生徒も、スポーツができるならば体育祭では輝くことができる。文化祭なども普段は端に追いやられていた生徒がダンスや創作を披露できる場となる。このように日常における価値が反転する場が非日常の祝祭である。依存症者は世間ではだらしなくてどうしようもない人たちと相手にされないが、自助会などでは自分のダメさを堂々と披露できダメさが反転的な価値をもつ。自助会などは祝祭的な空間となっている。断酒会やAAでは、普通の社会ではドン引きされるようなエグい経験ややらかした事を堂々と話すことができる。それが、共感やされたり笑いのネタとなり非日常的なガス抜きの場となっている。ヤバイことが言える空間が必要なのだ。
【断酒会での話あれこれ】
「エア出勤して、電車の中でずっと酒飲んでましたわ〜」
「酒飲んで街の植え込みに吐いての繰り返し。人間マーライオンやったわ〜」
「酔って街で暴れて警察に取り押さえられたけど、その警察みんなぶっ倒してしまったわ〜」
「酒だけでなく、マリファナ吸ってたわ〜」
國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』によると、人類が定住生活を始めたのはわずか一万年前で、それまでは遊動生活をおくっていた。遊動生活では移動を繰り返し新しい環境に常に置かれるので刺激が絶えずあるが、定住以降は毎日が同じことの繰り返しで暇と退屈に人類は襲われた。このような退屈に耐えられる人が定住社会(=主流秩序)での適合者となり、そうでない人が不適合者となる。わたしは人には定住型と遊動型の2つのタイプに分かれるのだと思う。定住型は主流秩序の日常に順応し安定して生きられるタイプ。一方、遊動型は日常にはすぐ飽き飽きして新しいことに刺激を求め非日常を求めるタイプ。遊動型を定住生活の論理(=主流秩序=象徴界)に押し込めるような精神医療などのやり方は限界に達しているのではないか。
言葉やルールが支配する象徴界に入れず社会との折り合いがつかない人が「精神病者」と言われる。しかし、今の精神療法などは人を象徴界(=主流秩序)に無理やり押し込んで一般社会に適合させようとするばかりだ。だから、適合できない人がしんどくなる。象徴界からズレて生きていくのはどうか。カオスの世界で生きるのだ。
日常に耐えられず非日常ばかり追い求める人というのは、ヤクザが社会復帰が難しいのと似ている。シャバの世界が退屈すぎて適応できないのだ。そういう人はシャバに押し込めようとしても不適応によりキツくなる。シャバからズレて刺激を受けながら生きていくしかない。のんべんだらりとした日常に耐えられない人は常に非日常を追い求めるしかない。常に非日常という燃料で灯火してよりよく生きる炎を絶やしてはいけない。燃え続けることで生きる実感を味わえる。
・非日常にスピンアウトすることの意味を書いた記事
発達障害などで多動性や衝動性はよくないこととされる。これは、仕事などで集中できなかったり、業務を効率的にこなせない特性だからよくないとされる。一方で、多動や衝動性がいろんなアイディアを生み出したり行動力となりクリエイター的な人にはプラスになる場合もある。このように、ある特性も、それが生産性に寄与するものは「個性」とされ持ち上げられるが、生産性に寄与しなければ「障害」とされ矯正の対象となる。ある特性が生かされるかどうかも環境や文脈次第となり場当たり的である。多動性や衝動性などをもつ人から行動のクセやコミュニケーションのとり方を改めさせるのは、主流社会への適合訓練だ。これは、フーコーの言うところの規律訓練、つまり権力に従順な身体をつくりだす過程であると見ることができる。直接、手を加える暴力で権力に従わせるやり方でなく、規律などによりやんわりと秩序に従う人間をつくるやり方だ。
このように、精神医療における「回復」というのは生産性や合理性に適合する社会復帰の文脈で使われることが多い。乱れたりフラフラしていると「回復未満」としてキッチリ生活するように矯正の対象となる。そういう「回復」の観念が、人々を主流秩序に従属するように駆り立てているのではないか。資本が人々に商品を買わせて資本に従属させるように、医療も人々の「回復」を医療に従属させ医療の文脈(=治療をして生産性ある人にする)での「回復」しか良しとしない。人々が自給したら資本は困るように、人々が勝手に「回復」されたら医療は困る。だから、主流秩序に合わない「回復」のプロセスを良しとしない。資本(=生産性)の論理が、人々から多様な「回復」のあり方を奪っているといえる。「回復」を生産性の文脈でしか語れなくなっている。
衝動性や多動性のある人としてわたしは「ブラブラすること」をしている。気の向くままに歩いたり、街中や道端にあるものに反応したり、知らない人と話したりするのは大脳への刺激となる。多動性や衝動性を「悪」とばかり捉えるのではなく、それを使って楽しむやり方もいいのではないか。生産性の発想に適合する「回復」のパターンだけでなく、自分で楽しみを得て、生きる“快”を感じ、「生の拡張」をしていくことでもエンパワーされたい。
不合理な人間を合理的に生きさせようとするのが「回復」のプロセスとなっている。しかし、合理性を求める社会に適応しようとしても挫折したり、しんどい思いをしてしまう人がたくさんいる。それは「回復」を合理的な人間にすることにおいた医療的アプローチの敗北でもある。不合理な人間が不合理のまま生きることの肯定こそ必要だ。わたしが当てもなくブラブラするのは世間からみたら“不合理”に見える。しかし、わたしには精神的な安定となったり刺激を得るためにブラブラするという“合理的”な目的がある。何が合理的で不合理であるかも主流秩序におけるマジョリティ的感覚(=生産性の論理)により決まるのだろう。どのような行動や考えが不合理なもの、異常なものと意味づけられるのかも知の言説や権力装置によるとフーコーは言っている。
合理性というのも近代西洋中心の発想である。西洋先進国の人々から見たら未開人とされる部族における習わしは不合理に映るが、レヴィ=ストロースなどはそのような部族においても数理学的な論理に基づく慣習があり、西洋的な合理性が極めて偏ったものだと批判した。世間からはデタラメに見える行動も、当人にとってはある論理に基づく行動でありうる。つまり、言語体系の違いの問題なのだ。また、既存の言語体系で説明可能な“合理性”がオモテの領域において優位となり、説明ができず“不合理”なものが無意識の領域に追いやられている。しかし、わたしたちは合理性だけを基準に動いているのではなく、体系として言語化できない無意識にも知らぬ間に突き動かされている。それを抑えると症状として表面化する。合理性の光の下で闇に追いやられた不合理性=象徴界以前の無意識の領域に抑圧された欲動を解放させるのがよい。合理性の論理では表現できないような“よろこび”を求める。それが、窮屈な象徴界(=言語とルールの領域)からズレるためにわたしたちの取れるやり方だ。
社会と折り合いがつけられない人は、折り合いをつけられないまま生きたらよい。乱れて生きよう。
2020年の9/9〜9/13にかけて丹後半島を歩いてきた。60km徒歩で移動した。野宿は4泊した。海で昼寝したり泳いだり、野草とったり野宿してました。こういう旅にはハプニングもつきものですね。
旅の記録とともに、最後の部分では金をかけずに旅をすることにはどのような意味があるのかを書いてみたい。
◉ 旅の行程
【電車移動】
9/9
京都から西舞鶴駅に18時到着。スーパーで惣菜を買った後に舞鶴港の公園の屋根付きのベンチで野宿。近くで酒を飲んでいたおっちゃんに「このへん、警察よく来ますか?」と聞いてみたら、「なんでそんな事聞くんや?」と返されたので、「ここで寝ようと思ってるんです」と言ったら笑われてしまった。「まぁ、寝てええんちゃう?」と言われて、ベンチでごろ寝。おっちゃんたちの酒盛りがうるさくて寝れなかった。
【徒歩移動】(約60km)
9/11 →新井崎(B)→ 泊(C)→ 浜(D)→ 経ヶ岬(E):23km
9/12 →袖志 →犬ヶ岬 →屏風岩→ 間人(たいざ):15km
◆ 9/10
西舞鶴駅から丹後鉄道に乗り天橋立駅で降りる。天橋立の中を歩く。散歩していたおっちゃんに「このへん、見どころありますか?」と聞くと、天橋立の途中で真水の湧き水(磯清水:名水100選)があったり、天橋立の向かい側には舟屋街があるという話を聞く。地元のトリビアを知るには地元の人に話を聞くのが手っ取り早い。
養老という集落でスーパーで買い物。この先の半島には食料を買える店がないらしい。約50kmほど何も店がない(養老〜間人)。この最後のスーパーは天橋立のおっちゃんに聞いた。田舎では店が少ないから地元に人にスーパーなどの情報をこまめに聞くのがいい。
天橋立から15kmほど北上すると、舟屋で有名な伊根湾の集落が見える。このような景色を見ながら歩く。
◆ 9/11
伊根の舟屋群から北上して経ヶ岬に向かった。途中で、海で遊んだ。
さて、このへんはきれいな海でビーチもある。しかし、人がほとんどいない。一人で砂浜で座ったり海で泳いだり遊んでました。でも、後で気づいたのだがビーチの入り口を見たらコロナでビーチ閉鎖中という標識があった。入ってはいけないのに入って海遊びしていたようだ。地元のおっちゃんたちに聞くと「ビーチ閉鎖されてるけど、泳いでるやつはたまにおる」と言ってたので、ちょっとくらい泳いでも大丈夫だろう。人もいないから非・三密だ。別のビーチに行ったら誰もいない海でカップルが仲良く浮き輪で遊んでいたのも見たし。
海沿いの集落のおっちゃんに、山の中の国道178号がいいか海沿いの道がいいか尋ねてみた。海沿いの道が景色はいいけど通行止めだとのこと。でも、歩行者は通れるやろうと言ってたので、海沿いの道を北上することに。通行止め区間に入り歩いていくと、向こう側から車がやってきて話しかけられた。工事関係者だろう。「すんません、向かいの集落に行きたいので通らせてもらいました。引き返すのもしんどいので」と言うと、「そうか。じゃあ、気をつけていきや」と許可された。工事してる横を通らせてもらって迷惑をかけて申し訳なかったですね。
さて、海側から山側に抜けようとしたら、猿の大群が道や畑にいた。30匹はいた。猿に絡まれたら嫌なので一度引き返して休憩していた。1時間くらいたって同じ所に行ってみるとまだ猿がいた。ヒッチハイクして切り抜けようと思ったが車もなかなか止まってくれない。そこで、猿の群れがいる中を歩く。口笛を吹きながら威嚇しながら歩いた。道にいた猿はわたしが近づくと逃げていった。よかった。襲われないか怖かったんです。でも、猿の群れに勝ちました!
この日は、経ヶ岬の駐車場にある東屋に泊まりました。豪雨が降って雷がなって大変でした。夜に突然車がやってきて大きな音を出してドリフト練習しだして、わたしに絡まずに早く帰ってくれと念じながらその時間をしのぐ。岬はヤンキーの遊び場みたいになっているのだな。無事、寝れて朝になってホッとしました。
◆ 9/12
岬からスタート。夜にヤン車の爆音やら雷雨やらでしんどかったけどなんとか朝を迎えられてよかった。晴れです。
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今回の旅は、このような感じで終わった。50km歩いたあとのスーパーはすごくありがたかった。道の駅で野宿した翌日には高速バスで帰りました。睡眠薬が切れたので帰らざるをえなかったですね。よい旅でした。
【金をかけずに旅をすること】
歩いて移動するのは遅い。体力もつかう。金を出せば速く快適に移動ができる。金は時間がかかったり面倒なことを省く役割を果たしている。時間に追い立てられる生活がお金への依存を高めているといえる。計画というのは時間という観念を必要とする。すべてを時間どおりにこなさなければならない、速く効率的にしなければならないという強迫が人々を資本の論理に従属させている。だから資本主義は常に人々を急かすことによって成り立っている。遅く、無計画で、テキトーなことをよしとしない。自分で勝手に移動されたり、どこかで野宿されたり、野に生えてる草を食べてお金を使われないのは困るわけである。自分で何かができるのに、何もできないように錯覚させることで、商品やサービスを消費するだけの存在に人を追いやっている。イリイチのいう「富める国の囚人」だろう。このように、人々からケイパビリティを奪い無能力化することで資本主義は駆動されている。野宿者などが嫌がられるのは、家をもたず、飲水や洗濯などを公衆トイレで済ますなど資本主義の枠組みから外れてしまっているからだ。消費しないことは資本主義にとって脅威だといえる。だから、野宿者を追い出し消費の場として街づくりをおこなうジェントリフィケーションが進む。もちろん、野宿者の境遇は大変なものがある。ただ、お金による消費を強いられ労働に駆り立てているシステムのあり方も考え直さなければいけない。減消費のもつ意味にも思いを馳せたい。