生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

労働主義と全体主義

1.「仕事さえできればいいんだ」という考えが甘えを生む

 

 この社会では仕事により「自立」ができたら一人前と見なされる。だから、みんな身を立てるために頑張って仕事をしようとする。仕事ができなければ本人の能力だけでなく人格や態度まで問題視される。労働はただ生活のためにするだけでなく、差別されないためにするという動機が大きい。労働・結婚・家族という主流秩序の王道にいたら、それらが「鎧」となりその人の落ち度が突かれにくくなる。逆に、働けない人はそのような「鎧」がないため、内面や態度がジャッジの対象にされやすく、落ち度が過度に問われるようになる。主流秩序に乗ることで落ち度を問われない特権が得られる。見かけ上の経済的「自立」を達成していれば、他の面については問われにくい。金さえあれば他のことを問われない立場になることが特権なのだ。

 

 例えば、家庭内でわがままだったり、職場でパワハラや嫌がらせなどをする人でも、仕事ができたらひどい行為は度外視され放免されやすい。労働さえできれば多少ひどい事をしても問題ないという「認知の歪み」が生まれる。労働主義が仕事のできる人を甘えさせていると言える。アルコール依存症の人も、大酒飲みでも仕事がデキる人が多い。夫が依存症で家族が困っていて妻が誰かに相談しても、「旦那さんは金稼いで家族を支えてるんだから大目に見てあげなさい」と返されることも多い。このように、労働主義がいろんな問題を見えにくくさせ事態を深刻化させることが多い。依存症は「否認の病」とも言われる。アルコール依存症の人の多くは「俺は酒飲みやけど仕事ができているから問題ない」と依存症であることを否認する。仕事ができることがかえって依存症に向き合わない口実にされる。仕事ができることが隠れ蓑にされ、その人のもつ負の問題にメスが入りにくくなる。

 

 

2.労働主義が「凡庸な悪」を生む

 

 一般社会では善良に見える人でも、職場で高い地位にいると、人を呼び捨てにしたり、大声で怒鳴ったり、自分より目下の人をひどく扱う。あれは立場に甘えているからできることだ。善良に見える人も立場を得ると人が変わる。これは、「凡庸な悪」だろう。「凡庸な悪」とは、普段は善良な市民に見える人が、何らかの形で自分が優位な立場にいると思い込むことで、他人にひどい事を平然とでするさまを表現した言葉だ。労働では地位や能力での序列づけが正当化されるので「凡庸な悪」を量産する。能力主義がものをいう空間ではデキる人がデキない人を蹴散らして支配する人間関係がはびこり、人権という市民社会の光がかき消されやすい。労働の場こそ暴力や差別が公然とまかり通る空間ではないか。労働主義こそ全体主義の温床になっていると言える。

 

 東日本大震災原発事故以後に「0円生活」の実践や「いのちの電話」をしている作家の坂口恭平さんがYoutubeで話していたことで印象に残ったエピソードがある。反原発デモに出かけて、抗議する人たちの前に立ちふさがり警備する一人の警備員の顔を見ると泣いていたという。権力の側としてデモ隊の前に立っているが、こんな仕事したくなかったという思いがあったのだと思う。権力の尖兵は必ず「悪」なのか。仕事のために、生活を人質にとられて「悪」をやらされているのではないか。ブルシット・ジョブという言葉がある。社会にはあってもなくてもどうでもいい仕事や、むしろ社会に害を与える仕事で溢れている。そういった無駄な仕事や害になる仕事はやっている人の良心をも傷つけていく。労働主義によって「悪」が正当化され、人々の尊厳が傷つけられている。

 

3.社会正義のためには労働至上主義からの解放しかない

 

 ハンナ・アーレントによると、労働主義が強まり人々が私的利益の追求ばかりするようになると、社会から公共的なものが衰退し全体主義に陥ったという。アーレントは人々の営為を「労働」「仕事」「活動」という言葉で表現した。金が稼げる「労働」ばかりが肥大化すると、創作活動などの自由な「仕事」、政治や社会問題の話し合いなどの民主主義に欠かせない「活動」の割合が減っていく。労働で余裕がなくなると人々は社会に目を向けなくなる。経済力をつけ主流秩序の上に行くことばかりを考えるようになり、立場の強い者をより強くし、金持ちが優遇される政治を求めるようになる。人々が労働でてんやわんやになりジコチューになったほうが社会の主流秩序は強まり権力には願ったりかなったりだ。そうすると、多様性が損なわれ社会的弱者やマイノリティの生きにくい社会がうまれる。

 

 労働主義を強めるには、労働でしか生存できない社会にすることである。社会保障をなくし生産手段を奪うことで労働でしか生きられないようにする。労働時間が長いと自分で料理をする暇がなくなり、外食やできあいの惣菜を買わせられる。このように人から自分で生活の要素をつくる手間や自給する資源を奪い、商品を買わせるサイクルをつくることで資本主義は拡大していく。資本主義では金を払えば何でも買えるが、「商品」を消費することでしか生きていけず、労働−消費の相互依存により人を資本に完全に従属させる。また、人々が金をもてあまして貯金されたら人々は労働しなくなるので、働いても金がたまらないように低賃金にして常に貧困状態にしておく。さらに、貧困層が働いても金が残らない課税システムをつくる。このようにして、人々が労働では豊かになれない仕組みをつくる。「働いたら負け」の構造をつくりつつも、働き続けることを強いる奴隷状態に人を置く。社会は労働が美徳だとメッセージを発するが、労働主義は社会を壊す。民主主義や倫理的な生活というのは労働時間の削減や生存保障なくしては実現ができない。労働至上主義は社会正義と両立できない。