生きるための自由研究

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「財源がない」論をひっくり返せ!:《税収=財源》説の脱構築

 

 一律給付金という個人単位の現金給付が社会にどのような意味があるのかを、ベーシック・インカムの専門家の知見や、現代貨幣理論をもとに書いてみた。一番の問題は、現代社会の貧困は「銀行中心の貨幣制度」が生み出していることだ。これにより、個人単位の給付(ヘリコプター・マネー)がされにくく、生存権の保障もされない。なので、貨幣制度を個人の生活保障を軸にしたものに抜本的に変えるべきだと言える。

 

【目次】

 

 

1. お金は財源からではなく政府の一存でつくり出せる

 

 まず、反緊縮の基本的な考えから。お金はもともと決まった量があるわけではなく、それを得るために競争する必要はない。お金は、政府(日銀)がつくり出すものであり、庶民に直接配ることができる。なので、一律給付金などの財政出動に必要なお金は税金でまかなう必要がないと言われる。2020年の10万円給付金も国債の発行により資金が捻出された。金本位制の下では、通貨発行額は金の量に紐付けられていた。しかし、管理通貨制へ移行したことで、お金が金銀など限りある希少資源ではなく、勝手に作り出せるものだということが示されてしまった。たいていの先進国は自国で通貨を発行しているので、自由にバラまくことも可能である。

 

 政府がお金を供給する場合は、日本銀行に指示して民間銀行の預金準備を増やす。ただ、数字を入力すればいい。PCのキーボードを叩いてお金を創出するので、「キーストロークマネー」とも呼ばれる。つまり、財源を必要とせず、勝手に口座に数字だけ入力すればいい。それにより、私たちの通帳には「10万円の現金を引き出すことができる権利」が新たに数字として記載される(高橋真矢、2021、p.70)。政府は国債との交換で日銀からお金を調達するのではなく、政府が直接お金を発行できて個人に配れるようにするのが手っ取り早いと言われる。有利子の国債が資産家を優遇している問題も指摘されている。しかし、国債には、政府が無尽蔵にお金を発行して悪性のインフレを引き起こさないブレーキとしての役目や(注:*1)、金利調整などで経済をコントロールする役目もあるという。

 

 

2. お金はどうやってつくられるのか

 

 お金が存在していることと、お金が流通していることは違う。金融緩和などで日銀から民間銀行にお金が流れても、お金が企業や家計に流れないと、世の中のお金の量(マネーストック)は増えない。家計や経済にとって重要なのは、実際に世の中に回っているお金(マネーストック)である。

 

 お金の流通のスタートは、民間銀行の貸し出しである。お金は借金により生み出されている。民間銀行が企業に貸したお金が他の企業や労働者に回る。利益を得た企業は銀行に借りた金を利子付きで返す。銀行が発行したお金のデータは消える(井上智洋、2021、文献B、p.100)。

 

 民間銀行は人々の預けた預金を貸し付けに回しているという主流派の「又貸し説」は誤りだと言われる。預金とは関係なく民間銀行が自分でお金をつくり、それを貸し付けして、世の中のお金を増やしているという信用創造説」がホントでないかと言われる(井上、2021、文献Bを参考)。

 

 お金の一連の流れは、まず民間銀行の貸し出しから始まる。企業が銀行からお金を借りれば、世の中に新しいお金(預金通貨)が発生し、そのお金で投資がなされ、商品開発や雇用創出がおこなわれる。お金は賃金などを通して労働者、つまり消費者にも渡る。銀行で誰かがお金を借りることではじめてお金が生まれ、そのお金が社会の中を回り個人の生活費にもなる。これが、信用創造の一連のサイクルだと言える。景気がよいというのは、民間銀行から企業への貸し出しが積極的になされ、企業から労働者への分配も大きくなり、消費が活性化することである。

 

 しかし、ある程度経済が成熟すると、企業の新規投資も少なくなり、銀行の貸し出しが振るわずマネーストック増大も難しくなる。消費社会として経済が成熟しても、個人にお金が十分配分されるわけではない。社会全体の豊かさが貧困の解消には至らない。トリクルダウンが起きないということだ。ここから分かるのは、成熟社会の貧困は「銀行中心の貨幣制度」が生み出しているとうことだ。なので、成熟社会においてこそ個人への直接給付が必要であるという。銀行の貸し出しという借金が増えないのなら、政府が代わりに借金して個人の生活保障をしていくべきだという松尾匡、2021、文献B、pp.82-83を参考)。

 

 

3. 政府が自分のお金を自分でつくる仕組み

 

 井上智洋さんの最新の著書(『「現金給付」の経済学』、2021、NHK出版)では、政府が自前でお金をつくれる仕組みが説明されている。

 

 ズバリ、政府のお金の供給源は中央銀行である。多くの場合、国債を買うのは民間銀行であり、政府から国債を買うことで政府にお金が渡る。しかし、その民間銀行が日銀から国債を買っている。中央銀行が古い国債(既発債)を民間銀行から買い上げて、民間銀行にお金が供給され(買いオペ)、民間銀行は政府から新しい国債(新発債)を買って、政府にお金を供給する。国債の置き換えを通して、中央銀行から政府にお金が供給されている。政府と日銀は統合政府と見るので、政府の使うお金は政府自体が作り出していると言える。

 

 このように、政府は自前でお金を発行できるので、お金が欲しいために税金を集めているわけではない。しかし、人びとに「納税の義務」を課すと、納税のために人はお金を集めざるをえず、生産活動をしなければいけない。ならば、税金というのは、人びとを経済活動に追い立てる意味しかないのではないか。

 

世の中に出回るお金は、政府支出によって生まれ、租税によって消滅する。これが事実だとすると、そもそも政府支出を行うために税金をとって財源を確保する必要はないという考えに至る。

井上智洋、『「現金給付」の経済学』、pp.150-151)。

 

 

4.《税収=財源》説が貧困層を追い込む手段とされている

 

 税金というのは、払っているのではなく、勝手に口座から「お金を引き出す権利」を消去される(高橋、p.70)。わたしたちは、自分の税金がどのような経路をたどり、それが本当に財源に使われているのか実際にこの目で確認できるのだろうか。その税金はちゃんと良いことに使われているのか。税金って虚構なのではないか(そもそも、お金が虚構であるのだが)。多くの人が思っている税金の捉え方は、「税収により財源がまかなわれる」という主流派経済学の見方だが、それすら根拠が怪しいと言われている。

 

 例えば、一律給付金を求める声に対して、「財源がない」とか、「貧困で税金をロクに払ってないのに、金をもらう事ばかり要求するな」と言う財源マンがたくさんいる。しかし、「困窮者に使う税金はない」と言うのに、オリンピックとかで税金がどんな使われ方をしてるかを彼らは問題としない。さらに、勝手に納税額を国への貢献度や忠誠度の基準として、生活保障を求める人へのバッシングや困窮者への「こらしめ」を正当化している。誰にも言われてないのに進んで政府や財界の用心棒になっていると言える。

 

 「給付金の財源はどうするの?」という質問がいつも出るが、人々の生活よりも政府の財源を忖度するのはなぜだろう。「税金が財源となる」という思い込みは社会により刷り込まれたものではないか。多くの人が労働の苦役にいる中で、自分だけ生活費を求めるのはワガママに見えて、面白くないのかもしれない。みんなが、奴隷的な生を強いられる中、自由を主張する人がイチ抜けた感じに見えて、ズルしてると思ったり嫉妬感情が生じる心理もわかる。そういう権利を求める人を牽制するために、《税金=財源》説が都合よく振りかざされることが多い。

 

 財政均衡論を盾に「無駄を削減」と言う人も、生活に大事な公共が多く削られて、どうでもいい利権に富が投げられていることには無頓着だ。わたしには、財源マンは、「財源」や「納税の義務」という言葉を都合よく持ち出して、権利の主張者や困窮者を押さえつける手段にしているとしか見えないのだ。

 

 

5.税金は何のためにある?

 

 貨幣は政府が発行する「債務証書」だと言われる。つまり、政府が発行したお金を使って、政府に借金を返さなければいけない。納税とは借金の返済行為なのである。でも、なぜわたしたちは勝手に借金を背負わされているのか。

 

 これは、MMT(現代貨幣理論:Modern Monetary Theory)の考えのベースとなる、租税貨幣論により説明される(注:*2)。

 

 租税貨幣論は、ただの金属の塊である貨幣が実質的な価値をもつのは、それを使って税が納められるからだという。では、わたしたちが納税すべきお金はどこから来るのか。まず、政府が最初にお金を支出していて、そのお金を使ってわたしたちは納税をしているという。この説によると、納税の目的は財源を得るためではなく、貨幣を社会に流通させ、貨幣に価値にもたせることにある。

 

 政府は、お金が欲しいわけではない。なぜなら、政府自身がキーストロークによりお金を生み出せるからである。政府が納税の義務を人々に課すことで、人々は貨幣獲得のために生産活動をおこなう。税金は人々を貨幣経済の中に閉じ込め、資本主義を維持するための道具だと言える。だから、税金そのものは市中から回収したら用済みなのだ。ただ、人々を働かせ経済を回すための手段として貨幣や税金は存在する。何度も言うが、財源のために税金があるわけではない。

 

 このことから、納税というのは資本主義体制を形だけ維持するための儀式だと言える。政府が新しくお金を発行すれば財源は生まれるにも関わらず、財源には税金が必要だとかたくなに思われている。貧困層に冷たい人は、主流派の《税収=財源》説を盾に、納税によるマウンティングをおこなったり、社会保障の利用者に恩着せがましく振る舞えるようになる。

 

 労働は有用性や何らかの価値(よいわるい含め)を生み出す。でも、貨幣そのものを生み出す営為ではない。貨幣は政府が生み出すもので、ルールに従って配分される。労働を通してでしか貨幣が配分されず、労働を介さない貨幣の配分が著しく制限されるルールは、貨幣を用いる納税が労働の権威付けのために機能していると言える。労働があたかも貨幣を生み出してるかのような錯誤が、労働主義を強固にして本質化していると言える。

 

 

6.財源有限論により限られたパイを奪い合うような見方を植え付けられる

 

 お金は政府が新規に発行すれば出てくるとされるが、財政均衡論によって増えないパイを奪い合う構図が多くの人に刷り込まれてるのも問題だと思う。「パイは増えない」という言説により、財政出動や個人への給付金が将来のツケになるかもしれないという不安を与えてるように思える。パイの奪い合いが正当化され、競争や出し抜きがはびこってしまう。これにより、生産性に基づく人のランク付けや命の価値の序列付けが正当化され差別をもたらす。

 

  今ある富の多くを利権が独占して庶民の取り分が少ないという「配分の不均衡」に加え、財政均衡論を盾にして、追加的な財政支出で庶民に直接金を渡すことを「パイは限られてる」論が遮っている。世の中は、庶民にお金を直接渡さないための仕組みや言説だらけだなと思う。これは、庶民にひもじい思いをさせ、「こらしめ」を正当化するためにあるのではないか。このような抑圧の言説を脱構築して、庶民生活が主体となる経済観の再構築が求められる。

 

 

7.個人の生活保障のためにお金の流れ方を変える

 

 現行の、「銀行中心の貨幣制度」では庶民にうまくお金が行き渡らない。個人への現金給付はバラマキだと批判されるが、アベノミクスによる金融緩和でお金がばら撒かれてるのに、銀行や企業にばかりお金がたまり、庶民にちゃんと届いてない事がまず問題である。政府のお金が銀行や企業ばかりに独占されてしまう今の貨幣制度が問題であると言える。

 

 井上智洋さんの著書にある図を参考に、わたしなりにお金の流れをしょぼい図にしてみた(自分で図を書いたほうが理解しやすい)。

 

(1)間接的財政ファイナンス(現行制度)

 

❖政府から個人への直接給付はされにくい

 まず、日銀から政府へのお金の流れである(3.ですでに取り上げた)。政府が国債を発行し、民間銀行が買い取る。それを、中央銀行が民間銀行から国債を買い入れる(買いオペ)。【図1】で、①②のピンク色の→線で示すように、日銀が間接的に政府にお金を渡していることになる。お金が中央銀行から民間銀行へ、さらに政府に渡る。そこから、③のように政府から家計・個人に直接給付できるが、実際はそうなっていないという。

 

❖日銀による金融緩和のお金も、ゼロ金利下では、民間銀行から貸し出しがなされにくく(Ⅰ)、企業が内部留保などにお金を回し(Ⅱ)、お金の流れが遮られ、家計・個人に届いていない。つまり、トリクルダウンが起こらなかった。

 

 

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【図1】《間接的財政ファイナンス》によるお金の流れ(井上智洋、文献A、p.146を参考)。現行の「銀行中心の貨幣制度」では個人にお金が行き渡りにくい。

 

 このように、今の「銀行中心の貨幣制度」では、日銀が民間にお金を投げても、そのお金が民間銀行と企業で滞留してしまい個人に届きにくい。この構造が貧困を生んでいる。すなわち、貧困を根本から是正し、デフレの脱却と経済の回復をなしとげるためには個人への直接給付をおこなわなければならない。

 

 

(2)直接的財政ファイナンス(直接給付=ヘリコプター・マネー)

 

 政府が直接お金を生み出し、個人へダイレクトにお金を配る(【図2】)。井上さんは、これをヘリコプター・マネーと呼ぶ。つくったお金でインフラなどをつくるケインズ型の間接的な貧困対策ではなく、あくまで個人にお金を渡す。これは、銀行や企業のためにお金をつくるのではなく、個人の生活のためにお金をつくるという発想にたつ。

 

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【図2】《直接的財政ファイナンス》による政府から個人への直接給付(井上、文献A、p.143)。通称「ヘリコプター・マネー」。

 

 

8.国債は流通しない貨幣

 

 貨幣と国債は親類で、いずれも統合政府(政府+中央銀行)の「債務証書」である。貨幣は「決済と納税が可能な無利子永久債」であり、国債は「決済と納税には使えない有利子貨幣」だという(井上智洋、『MMT 現代貨幣理論とは何か』、pp.56-58)。国債が流通しているのは貨幣が流通していることと同じ。なので、国債を増やすことは借金を増やすことであるが、お金を増やすことでもある(借金は政府がお金の発行で返せるので、結局はチャラである)。例えば、イタリアが決済と納税の可能な無利子国債である「ミニBOT」を導入しようとした際、これは事実上の通貨だとしてユーロから反発を受けたエピソードがある。国債をちょっと変形すると貨幣になるということだ。

 

 国債はお金として流通しないが、お金が国債に化けることで、市中にあるお金の流通量を調整する機能があると言える。政府に貨幣発行権を無条件に与えないのは、政府が勝手にお金を刷り過度なインフレを招くおそれがあるためだ。そのため、中央銀行がお金を発行をして、政府の国債との交換で政府にお金を渡す方式がよいとされている(先の直接的財政ファイナンス【図2】)。

 

 国債は貨幣の代替物だから、それ自体が問題なのではなく、金利が高くなることで問題が生じる(井上、文献A、p.134)。 金利が高くなり、金利返済額が膨大になると、それだけ税金などの負担が増える。これでは、国債保有する銀行や資産家が金利で得る不労所得を、税金で支えることになってしまう(p.135)。なので、国債廃止論を主張する人もいる。国債金利が正当化できるとしてら、売りオペや買いオペを通して、金利の調整機能を果たすことにある。

 

 井上智洋さんは最終的には、世の中に出回っている国債を日銀が買い入れて通貨に変えてしまうのがよいという(=貨幣化:マネタイゼーション)。これにより、借金を無害化(無利子化)でき、堂々と借金がきるようになるという(井上智洋、『「現金給付」の経済学』、pp.158-159)。

 

9.「貨幣の民主化」としての個人単位の現金給付

 

 今の貨幣制度では、民間銀行が儲けのために勝手にお金を発行している状態となっている。お金の発行権が民間銀行に独占されていることが、個人にお金が行き渡らない原因である。お金はみんなのものであるのに、なぜ個人のために発行されず、銀行や企業の都合が優先され勝手に作り出されるか。この信用創造により、政府や企業は銀行からいくらでもお金が借りられる。景気がよくなると銀行が次々にお金を貸し出してバブルを加速させる。「銀行中心の貨幣制度」は、銀行が貸し出しを通して勝手にお金をつくれることができるため、お金のコントロールができない状況になる。お金のコントロールを可能にするには、民間銀行が勝手にお金をつくり出せる権限をなくし中央銀行に100%お金をつくり出す権限が移されることが必要だという。これにより、銀行や企業の都合でお金をつくり出すのではなく、みんなの生活のために直接お金をつくり出すことになる。お金をみんなの手に取り戻すことを意味する。信用創造論廃止は「貨幣の民主化」と呼べるだろう。ベーシック・インカム(BI)などは、単純に個人の生活補助という意味を超え、資本の支配からお金を解放するというラディカルな意味もある(注:*3)

 

 

 

10.貧困問題はお金の配分方式の問題である

 

 政府がお金を新規に発行し、それを庶民に直接配るヘリコプター・マネー方式により貧困は解消できる。しかし、その方式をとらないのは、庶民に直接お金を渡すことをよしとしないからだ。労働を通してお金は得るものだという労働主義が、直接給付の妨害となっている。《税収=財源》説は、庶民への直接給付を否定し、労働や困窮による苦役に甘んじさせることで、「権利を行使する主体」として市民がエンパワーされないように作用している。

 

 税金は、貨幣そのものに価値をもたせるためにあるが、それでも、税金が正当なものとなるには、景気調整や再分配の機能を果たすことにある。しかし、新自由主義における税制(均衡財政)は、金持ちをさらに豊かにして、庶民や貧困層をこらしめるように機能している。

 

 緊縮財政下では財政赤字を理由にして社会保障などが削減されていく一方で、資本収益への課税率や富裕層への累進課税率、大企業などへの法人課税率はどんどん引き下げられていく傾向にある(松尾、2019、p.34)。さらに、消費税は19パーセントにされようとしている。これでは、貧困はますます深刻化し、デフレから脱却もできない。消費税を財源とするのは間違っている。税金は、インフレ抑制のために市中からお金を回収し消滅させるためにある。増税によって購買力を奪い、国の供給量の範囲に総需要を収める役割がある(松尾、2020)。デフレにおける消費増税は、経済をますます萎縮させ、庶民をこらしめる結果にしかならない。

 

 「納税の義務」を課すことで、人々は納税のためにお金を稼ぎ生産活動が促される。これは、社会が貧しくインフラやモノが不足していて、経済の立て直しを進める状況では意味があるかもしれない。しかし、成熟社会ではインフラやモノがあふれ、新規投資をしても利益になりにくい。民間銀行による信用創造も機能しにくい。食料や衣服は廃棄されるほど生産され、空き家はたくさんある。豊かな国における貧困は、お金やモノの分配方式の問題だと結論できる。現代社会における貧困対策は、社会のお金の流通方式を資本主体でなく、個人主体に組み替えることで可能で、それは制度による公正の具現化だと言える。個人への現金給付は、不公正をなくす個人単位の社会の実現のためのあしがかりとなる。

 

 

【注】

(*1)

 政府に通貨発行権を無条件に認めると、歯止め役がおらず悪性のインフレになりやすい。その歯止め役を日銀として、インフレ率2パーセントまでは政府にお金を渡すという取り決めをするのがよいと言われる。戦前の世界恐慌における1930年代に、当時の大蔵大臣の高橋是清は反緊縮路線で積極的な財政出動をおこなった。しかし、財政出動によるお金が民生に回らず軍事支出に回り、困窮者が増えた。高橋は軍事支出増大に反対したが、軍部に目をつけられ2.26事件で暗殺されてしまう。高橋の死後、軍部にブレーキをかけられる人がおらず、膨大な軍事支出を招く。

 

(*2)

 MMT(現代貨幣理論:Modern Monetary Theory)とは、政府による現金直接給付が財政的に問題ないとする非主流派の経済理論である。日本やアメリカなど自国で通貨を発行できる国は財政破綻することはないという。過度なインフレにならない限り、財政支出はいくら増やしても問題ないとする。国がお金を刷って借金の返済や利払いに充てればよいそうだ(井上智洋、『MMT 現代貨幣理論とは何か?』、pp.18-19)。

 

(*3)

 BIが資本主義へのアンチになることは指摘されている。井上智洋さんも「資本主義からの脱出」を図るには「銀行中心の貨幣制度からの脱却」こそが必要であると述べている(文献B、p.86)。市場経済での交換を媒介する貨幣が銀行中心につくられていることが問題だと強く指摘している。また、大澤真幸さんもBIの意義として、「私的所有の原理」という資本主義の大原則を破り、コモンをつくることにあると書いている。

 

 

【引用・参考文献】

◉ 井上智洋(2019)『MMT 現代貨幣理論とは何か』講談社選書メチエ

◉ 井上智洋(2021)『「現金給付」の経済学 反緊縮で日本はよみがえる』NHK出版新書

◉【文献A】 松尾匡編(2019)『「反緊縮!」宣言』亜紀書房

◉ 松尾匡(2020)『左翼の逆襲 社会破壊に屈しないための経済学』講談社現代新書

◉ 大澤真幸(2021)『新世紀のコミュニズムへ 資本主義の内からの脱出』NHK出版新書

◉【文献B】 高橋真矢編(2021)『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』光文社新書