生きるための自由研究

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BIが導く個人単位の社会:脱資本主義/ジェンダーフリー/ノマド

 

 

 ベーシックインカムにより個人単位の社会が導かれることを書いていきたい。個人単位の直接給付金は社会の仕組みや価値を組み替える大きなインパクトとなる。BIは単なる生活補助金であるだけでなく、お金が資本主体から個人主体のものとなり(お金のコモン化)、人々の資本からの解放につながる。また、ジェンダー差別に対抗する作用をするため家父長制規範が揺らいでいく。さらに、社会のあり方も定住型からノマド型に変えていく作用がある。

 

 ❖❖ BIは社会のコモンを取り戻すことになるかも(市場経済からの大転換) ❖❖

 

 

 

【目次】

 

 

1.貧困はコモンの私物化で生じる

 

 資本主義は「私的所有の原理」により成り立つ。資本主義は資本によるコモン(社会的共通資本)の私的所有(=商品化)を正当化する。資本主義における格差はコモンの私物化により生じていると言える。

 

 水道民営化が批判されるのは、水というコモン(社会的共通資本:みんなが必要として誰の所有物でもない共有物)が私的に独占されてしまうからだ。

 

  本来みんなの共有物だったコモンを特定の誰かが独占して、それを金儲けの道具にするというのは、強奪と言えるのではないのか。街のおっちゃんが河原で勝手に畑つくったら怒られてしまうが、利権企業が公園や山林といった公的なものを開発や商売のために私物化するのは平然とおこなわれる。ナイキが宮下公園の商業化のために野宿者を追い出した事例など。

 

  みんなの共有物を誰かが独占して営利化すると、独占した人が儲ける一方で、みんながそれにアクセスするにはお金を払わなければいけなくなる。持つ者と持たざる者に二分され、これが格差を生む構造となっている。レント資本主義の正体だと言える。

 

 例えば、日本語を使うことで日本語の発明者にその使用料を払う発想はとらないだろう。言語は、私的所有されるものではないと思われているからだ。そうであるなら、人が生きるのに必要な水や食料などのコモンにも高い金を課すのはおかしいという話にもなる。

  

 資本主義は、生産のあらゆる要素を財として市場化する。みんなの共有物であるコモンすら「商品」として独占の対象とするのを正当化する。K.ポランニーによると、本来は生産のために存在したわけでない、労働、土地、貨幣などのコモンが「商品」となることで市場経済は形成される。資本主義は、コモンの商品化という擬制(フィクション)の上に成り立っていると言える(K.ポランニー、『新訳 大転換』、pp.120〜125)。 

 

 

2.労働の脱商品化:個人と社会を守る「社会権」としての生活保障

 

 資本主義以前には、人は労働によらず自らの生存を維持できた。市場経済が普遍化することで、個人の福利厚生が貨幣関係に依存させられるようになる。労働契約以外に人々が再生産する手段を奪われ、人々が商品化されたという(アンデルセン、2001、『福祉資本主義の三つの世界』、p.23)。

 

 市場経済では労働力も商品とされる。しかし、労働力を徹底的に商品化すると、人の生命維持や労働力の再生産もできなくなり、資本主義が自壊してしまうという自己矛盾に陥る。アンデルセンによると社会主義とは、労働力の商品化への対応として現れたという(pp.49-50)。労働が商品化されると、労働者は賃金と引き換えにみずからの労働力のコントロール権を放棄する。つまり、労働の商品化こそ経営者の権力の源泉で、人の間に差別と格差を生む。これを放置すると社会破壊となる。商品とは互いに競合するものだから、競争が激しくなれば価格は下る。労働が商品化されるほど、労働条件は悪くなる。個人も社会も資本主義の破壊から守られるためには、労働が脱商品化される必要があり、そのために現金給付が「社会権」として正当化されると言える。

 

 アンデルセンは、社会的扶助や社会保険が導入されただけでは、労働の脱商品化はあまり進まず、生存権の保障には不十分であるという(p.23)。

 

 もし給付が少なく社会的なスティグマが伴うならば、救貧制度は、最もひっ迫した層を除いて他の人々すべてを強制的に市場に参加させることになろう。19世紀に多くの国で出現した救貧法が意図したことはまさにこのことであった。同様に、初期の社会保険プログラムのほとんどは、人々の労働市場におけるパフォーマンスを最大化するように周到に設計されていた。

 

アンデルセン、2001、p.23)

 

 

 日本の生活保護制度も利用率が2割と低い。給付額が不十分であり、制度利用で社会的な差別も受けるので、人々は制度の利用をためらう。低賃金でも労働に従事しようとするので、むしろ人々を労働に駆り立てる仕組みになってしてしまっている。現行の生活保護制度は、個人の生存権保障を確実にするための制度ではなく、資本主義をアシストするための制度となってしまっている。最後のセーフティネットとしての生活保護制度の改善を求めつつ、最初のセーフティネットとしてのベーシック・インカムの導入を求めたい。困窮してから金を配るのではなく、防貧の観点からも事前に金を配っておき、人々の生活に余裕をもたせておくのがよい(*1)。

 

 

3.お金のコモン化:お金の分配方式を資本中心から個人中心に

 

 資本主義における格差はコモンの私物化により生じていると述べた。さらに言えば、資本主義における貧困は、お金が交換の手段にとどまらず、お金自体が「商品」としての比重を増していることで生じていると言える。

 

 お金が商品化されることで生じる利益は利子である。利子収益を目的に、金融取引はなされる。現代の貨幣制度は、銀行が利子目的でお金を勝手に発行できるようになっている。むしろ、利子目的でしかお金をつくれないシステムになっている。お金が「商品」として扱われ、人々の手からお金が離れていっている。BIなどの現金直接給付は、お金をみんなの生活を成り立たせるコモンと位置づけ、一人ひとりに個人単位でお金を配分することになる。これは、お金の脱商品化とも言える。

 

 以前のブログでも書いたが、現在の貨幣制度ではお金の発行権が民間銀行にある。民間銀行や企業の利益が優先されてお金の発行や流通がコントロールされるシステムになっている。現代の貨幣制度では、人々の生活のためにお金がつくられるのではなく、民間銀行が中央銀行から得たお金を、企業などに貸し出すことでお金は生まれている。お金自体が利子収益を生む「商品」として流通させられる過程が、銀行の貸し付けに伴う信用創造と呼ばれる。

 

 市中に出回るお金は、民間銀行が貸し付けることにより生じる。企業が貸し付けを受け、企業の経済活動を通して賃金などの形で庶民にお金がやっと届く。しかし、民間銀行が貸し出しを渋ったり、企業が内部留保などでお金を貯め込むと庶民にはお金が回らなくなる。アベノミクスでは、日銀の資金が国債の買い取りで民間銀行に回った(年80兆円規模)。しかし、それらの資金を民間銀行が市中に貸し出さず、準備預金として貯め込んだままだった。お金の流通が銀行の都合でコントロールされる貨幣制度をとる限り、いくら金融緩和をしても、人々の手にお金が届かないことが示された。

 

 お金はみんなの生活を成り立たせる公共的なもの(コモン)だという認識に戻ると、お金の発行を資本の都合に委ねるのではなく、人々の生活のために政府がお金を発行し直接給付する方式は「貨幣の民主化」(コモン化)を後押しする意味があると言える。

 

 

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4.BIによる債務奴隷からの解放

 

 原則、資本主義での私的所有は労働により正当化される。労働によらないお金の発生であるベーシック・インカムは一種の贈与であって、私的所有の原理に反していると言える。MMTに基づく現金給付は、「私的所有の原理」の相対化となる(これは、大澤真幸さんの著書により得た視点)。

 

 MMTにおける租税貨幣論によると、貨幣は政府の「債務証書」である。貨幣が流通するのは、人々が貨幣によって納税を強いられ、貨幣を獲得するための経済活動に従事し、貨幣経済が成り立っているからである。いつのまにか人は国家から負債を押し付けられ、税金によって負債を返さなければいけないと思わされている。その税金で納めるお金を集めるために労働に従事している。つまり、資本主義では人は生まれながらに債務奴隷にさせられていると言える。この、債務奴隷化からの解放がBIにより可能になるのではないか。

 

 

5.BIはジェンダー・フリー(個人単位化)を後押しする

 

 「家族単位から個人単位へ」をテーマとする過去のブログ記事でも何度も書いたが、シスヘテロ規範の家族主義(婚姻主義)がジェンダーにおける富の格差を生んでいる。最低賃金があまりにも低いのを正当化するのは、パート女性などの非正規雇用者は世帯主に養われることが前提となっているからである。最低賃金の低さはジェンダー差別に基づいていると言える。つまり、女性だからということで安い賃金が正当化され、お金の取り分を少なくされている。これは、能力の問題というよりも制度による差別の問題だと言える。ロスジェネ以降に多い低収入の非正規男性もこのジェンダー差別のワリを食っているのである。非正規雇用の拡大は、男性の二分化を生んでいて、リーダーシップのある正規職男性を「一流の男性」とする一方で、能力や地位で劣る非正規男性を「二流の男性」として女性的地位に置いている。非正規差別の本質はジェンダー差別である。誰かに扶養されることを前提にした低い賃金(家族給システム)は、ジェンダーに基づきお金の配分を不平等にしている点で構造的な差別であると言える。

 

 

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 資本主義は男女の賃金格差がないと成り立たないと言えるのではないか。次代再生産のために、「男女のカップル」を家族として、生殖と養育とケアを家族の中の女性に担わせる。これを可能にするには、女性を低賃金にして男性の下に養われる構造を作り出すしかない。この家族規範を支えるのが、最低賃金の低さや社会保障が世帯単位であるという家族主義(ジェンダー差別)なのだと言える。家庭内で夫婦の不仲が続いたり、DVにあっていても、女性が逃げ出せないのは低賃金のため経済的自立ができなかったり生活保障がないためである。BIがあれば、不本意な夫の下から家を飛び出して経済的自立もしやすくなる。婚姻関係にとらわれない自律した生活を女性が選択できる。BIが家族規範を弱め、ジェンダー差別の不利益を低減する大きな効果がある。BIは個人単位の社会を後ろから支える。家父長制の支持者には面白くない制度である。さらに、家族の中にいるがお金がない主婦や引きこもりなど、家族主義の制度では救済できない層にお金が届くようになる。個人単位のBIは家族主義の壁を超えるのだ。

 

 

6.BIと賃金保障(個人単位化)はセットでおこなう

 

 イギリスにはBIに相当する制度があった。1795年〜1834年に施行されていたスピーナムランド法である。労働者のプロレタリア化から守る目的で導入されたが、社会が衰退してしまい、BIの失敗例として言及されることがある。

 

 スピーナムランド法は、人々に生活保障をすることで、労働市場の形成を阻み、市場経済から社会を保護したものとしてK.ポランニーの『大転換』で紹介されている。スピーナムランド制度は、仕事をしていない人だけでなく、仕事をしていても賃金が一定水準に満たない人も補助した。しかし、これを口実に雇い主は賃下げをして、労働生産性も下がっていった。働いても稼げないのだから、労働者の労働に対するモチベーションも下がっていった(労働倫理の衰退)。スピーナムランド法では、生活保障がなされるが、その分、賃金の引き下げがなされて、労働者が労働によって経済的自立しにくくなってしまった。最低賃金や労働条件の規制がないままBIを導入すると、雇い主が賃下げをしてしまい、労働者が労働で自活できなくなり、貧民の位置に人々が押いやられた歴史の例だといえる。

 

 このスピーナムランド法の事例を引用して、BIを導入するとみんな働かなくなり、酒浸りの人が増えたりして社会が退廃すると指摘される。しかし、この失敗は、生活保障が生み出した問題ではなく、低賃金構造が生み出した問題である。社会にディーセントな条件の仕事がなければ働く気は起きないだろう。ならば、労働条件をよくして働いてもちゃんとした対価が発生する雇用体系にしなければいけない。時給1500円以上で、個人が働いて一人で経済的自立できる水準の最低賃金にならないといけない。これは、つまり個人単位の雇用体系にしなければいけないということだ。これまでもブログで指摘したが、今の日本の最低賃金は被扶養を前提としていて、これはジェンダー差別に基づく家族単位のシステムに基づく。BIの導入と個人単位のシステム構築は平行して進める必要がある。

 

 

7.BIで人は働かなくなるのか?

 

 人は存在証明を求めるもので、労働はその手段として大きなものだ。BIがあっても生活するには不十分な額であろうから多くの人は労働をする。社会への寄与度が労働や所得で図られる社会が続く限り、人は承認を求めて進んで労働をしようとする。BIが導入されても仕事をしない人は社会で居心地が悪いだろう。BIがあれば、人々がよりよい仕事に就こうとする意欲をもち行動に移すのは過去の実験結果からも指摘されているようだ。BIは、酒やタバコ、ギャンブルなど即席的快楽のために使われるのではなくて(1%未満)、人々に経済的・精神的な安定をもたらし、よい条件の雇用を探すための支えとして使われたという。自己実現欲求の支えとしてBIが機能する可能性が大きいと言える。

 

アメリカでのBI実験に関する記事】

https://ledge.ai/california-stockton-re-posting/

 

 

8.BIはノマド型社会を後押しする

 

 何かしら人は社会の中で人との関わり合いを求め居場所をつくりたいと思う。そのために活動をする。しかし、一定の収入が保障されれば、その活動が賃労働一辺倒ではなくなるかもしれない。BIにより労働への従属が弱まれば、労働以外での社会的承認も得やすくなり、いろいろな活動をする人がでてくる。より多くの賃金を生み出すことだけが豊かさであり社会的な価値なのだろうか。芸術家は稼げない人が大半で、フリーターの掛け持ちをしている人も少なくない。だからといって、彼らの芸術活動がなければ社会には何とも言えない「空白」が生まれるのではないか。稼げなくても創作活動を続けることができると、人生の冒険をして、ワクワクするような生き方もできるようになる。それが、イキイキした社会をつくり、社会の健全化や多様化にもなるのではないか。流動的になりノマド的で抑圧の少ない社会にもなる。浮足立って微熱を帯びた社会になる。むしろ、今は社会が冷え切っているから安易にアルコールやなどのハードドラッグに頼り、ハイになろうとしてしまうのではないか。BIは単なる生活補助金という意味を超えて、社会の価値体系や人の生き方を定住型からノマド型に変えるものにもなる。社会のあり方を根本から変えてしまうものになりうる。

 

 

【注】

(*1)

ベーシック・インカムは、竹中平蔵や維新の会などの発言のために、社会保障費の削減を正当化するための道具にされるのではないかと悪いイメージが広まってしまった。社会保障の削減のためのBIは論外だが、かといって、今の社会保障制度のすべてをそのまま維持するのではなく、BIの導入に伴い、不必要となる制度は廃止・縮小していくのが現実的だと考える。もちろん、生活保護制度は個人単位化や保護費引き上げなどをして、最後のセーフティネットとして機能させないといけない。

 

 

【引用・参考文献】

《文献》

◉ 伊田広行(1998)『シングル単位の社会論』、世界思想社

◉ 井上智洋(2021)「第五章 銀行中心の貨幣制度から国民中心の貨幣制度へ」、高橋真矢編、『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』光文社新書

◉ 大澤真幸(2021)『新世紀のコミュニズムへ 資本主義の内からの脱出』、NHK出版新書

◉ G.エスピン=アンデルセン(1990=2001)『福祉資本主義の三つの世界』ミネルヴァ書房

◉ K.ポランニー(1944=2009)『新訳 大転換』、東洋経済新報社

 

《ネット記事》

“月5万4000円のベーシックインカム実験「働かない人が増える」「タバコや酒に使われる」は誤り、アメリカで意外な結果が明らかに”

https://ledge.ai/california-stockton-re-posting/

 

 

【関連記事】

 

◉ 「定住型からノマド型」(個人単位化)に関する記事

nagne929.hatenablog.com