読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

nagneの日記

大学院中退で現在ニート。貧乏で精神障害をもち体調もよろしくないが、楽しく生きたい。ツイッターもやってます、フォロー待ってます→ https://twitter.com/OmaeHaruka 関西の方とはオフでも会いたいと思ってます。 連絡先 haruka.omae@gmail.com

資本主義を超えた生き方が必要

広井良典は資本主義のことを「市場経済プラス拡大・成長」と呼んだ。

 

資本主義によって私たちが苦しむらなば、市場経済をどうにかしなければいけない。

 

何でも市場に任せるのではなく、DIYをしたり、交換をしたり、他人からタダでモノを恵んでもらっ

たり、サービスを受けるなど市場を超えた生き方が必要。

 

貨幣を媒介とせず=市場経済を通さずに、自分の手で作って充実感を得るのは重要だ。何でも市場で

商品を買ってまかなおうというのは、資本主義の奴隷となってしまう。

 

私たちは普通、市場経済でやりとりされる商品やサービスを買うカネを稼ぐために働いている。

 

市場経済への依存を低めることができれば、私たちは働く時間を縮小できる。そして時間という自由を手にすることができる。

 

頭ではわかっているが、中々実践がともなわない。

 

 

 

ポスト資本主義を読んで

広井良典2015)『ポスト資本主義』岩波新書

 

経済の拡大・成長がもう続かない定常化社会において、我々の働き方や生き方、社会保障はどのようになるべきかという話であった。

 

現代は、「1617世紀から続いた「市場経済プラス拡大・成長」としての資本主義システムが、成熟化ないし定常化する時期を迎えつつある」(888)という。

 

21世紀は世界人口の増加が終わり、地球全体で人口が高齢化していく。

 

また、地球資源の限界に直面したという工業化の外的な限界、モノがあふれ人々の需要が飽和した内的な限界にも直面している。

 

つまり、これまでの資本主義が実現してきた物質的な豊かさを今後も拡大していくには限界に来ているということだ。

 

定常化社会において必要な政策は、

(1)過剰の抑制、(2)再分配の強化・再編、とする(1781)、だとしている。

 

(1)については、

 

労働時間を減らして、ワークシェアリングなどを通して社会全体の失業率を減少させる(1809)。

 

今後は、福祉や教育といった労働集約的な分野は雇用を創出しやすい(1958)。

 

「資源の有限性が顕在化し、かつ生産過剰が基調となって失業が慢性化する成熟・定常期においては、人々の関心はサービスや人との関係性(あるいは「ケア」)に次第にシフトし、人が中心の「労働集約的」な領域が経済の全面に出るようになる」(1975)。

 

(2)については、

 

年金の付を役世代の保料ではなく税でまかなう。酬比例部分(二部分)の高な年金をもらう高者に年金税をおこなう。そして、相税を含む化で、「人生前半の社会保障」(子どもや若者に関連した支援)を厚くする(2211)。

 

日本では、所得つまり「フロー」の格差よりも、土地や金融資産といった「ストック」の格差の方が大きい(2233)。

 

そのため、「ストック」への課税を強化して、社会保障の財源に充てていき再分配をはかる。

 

ページ番号はKindleバージョン。

 

 

 

【所感】

経済的な豊かさを追求し続けた今までの資本主義は限界にきている。

求めるべき豊かさの方向としては、広井さんが言うように「時間」であると私も思う。

余暇などで自由に使える時間を増やしていき、精神的な豊かさを求める方向だ。

 

正社員の長い労働時間を削減すべくワークシェアリングにより、非正規労働者の正社員化をはかりつつ、失業者に仕事を分け与えるようにしていくべきだろう。

 

労働時間が減り自由時間が増えると、政治や社会問題、文化への関心をもつようになり知的な豊かさが増えていくと思う。これにより社会の文化水準も上がるはずである。

 

また、これまで資本主義が拡大させた格差も縮小していくべきだろう。

 

企業への法人税と、高所得者への課税を強化して、社会保障への財源にあてるべきだ。法人税は減税しても労働者の報酬には回らないので、法人税増税してベーシック・インカムなどの導入も進めていくべきだろう。

 

 

定常化社会において、これまでの資本主義が生んだ様々な問題を解消して、時間という豊かさを享受できる社会がつくられる必要がある。

 

 

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E2%80%95%E2%80%95%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%83%BB%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%83%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%BA%83%E4%BA%95-%E8%89%AF%E5%85%B8/dp/4004315506

 

アルコール依存症

私は、アルコール依存症を患っている。

 

 自分の飲酒の仕方がひどくて、このままではマズいと危機感をもってアルコール専門の精神科に自ら足を運んだ。ドクターに自分の酒の飲み方を話した結果、アルコール依存症と診断され、それ以降、断酒を続けている。2014年4月10日からである。

 

 大学生になってから酒を飲むようになるが、酒の飲み方は最初から酷かった。昼間に飲むことは文化祭などを除き滅多になかったが、夜の酒の飲み方が酷かった。ウィスキーや焼酎を酩酊するまで飲んで、気持ち悪くて吐くこともしばしばあった。 酩酊して、一人で歌を歌ったりしているのが快感だった。サークルの飲み会などでも意識を失うまで飲み、学生寮の廊下で寝ていたということもあった。

 

 酒の飲み方は大学院時代にさらに酷くなった。

 

 もともと大学院は、就職活動に失敗して消極的理由で進学した。しかし、ちゃんと研究をしなければいけないという思いは強かった。根が真面目だけど、やるべきことはちゃんとできない、いわゆる真面目系クズ。研究をやらなくてはという思いは空回りして、勉強は全くできていなかった。

 

 とにかく、不安で、その不安をごまかすために過食に走ったり(1日にコンビニ弁当7個食べるとか)、研究ができなくて大学院を中退したらどうしようと焦ってネットサーフィンで「大学院 中退」と検索ばかりしていたのを記憶している。

 

 不安のため飲酒量は増え、毎晩大学から帰ったら自室で焼酎を喰らう。 酒で酩酊してダラダラしている時間が幸せだった。 酒の量は焼酎で300mlくらい。多いときで500mlパックを空けるくらい。 次の日は決まってひどい二日酔い。

 

 大学院時代の就職活動も失敗した。 面接の前にコンビニでカップ酒を買って飲んでから行ったこともあった。面接前に酒を飲みすぎて気分が悪くなり面接を辞退したことも数回あった。

 

 就職活動に行き詰まり、結局逃げるように大学院の博士課程に進んだ。 だが、研究も行き詰まってしまい、どうすればいいのか不安から無気力状態になり、昼間から酒を飲むことをたびたびしていた。この辺りから、自分の飲酒問題に向き合わなければと思い始める。

 

 自分が酒を暴飲してしまうのは鬱が原因だろうと考えて心療内科に行き抗鬱剤をもらい飲んだが、やはり酒の暴飲は止まらない。 医者からは酒を止めるように言われるが、自分は酒を止めたくても止められない。医者に対して「酒が止められません。今からこの病院から出ると、前にあるコンビニで酎ハイ買って飲んでしまいます。どうしようもないです」と言うと、医者からアルコール専門病院を紹介される。

 

 何とかアルコール専門病院に行って酒を断つことができた。

 

 私がもっと早い時期に病院などに行き、酒の問題を克服していたら人生は違っていたのだろうか?しかし、根本的な性格が変わらないと酒を飲んでいようが飲むまいが、あまり生き方は変わらない気がする。

 

 私自身は、酒をやめてから、ムキにならず肩の力を抜いて生きようと考えるようになった。 鼻の穴を広げて何かを頑張ることを放棄した。等身大の自分で気張らずに生きたいと考えるようになった。

 

 デメリットは、アルコール依存症躁うつ病という病気を抱え、さらに何も能力や才能が無いため自分に対する自信が失くなってしまったことである。自分に自信が無くいつも暗い。これでは誰も周りに寄って来なくなり孤独に陥るという悪循環となっている。

 

 自分への自信をつけるには何かしら転機が必要な気がするし、時間がかかるだろうと思う。

 

 自分にとってアルコール依存症とは、自分への自信を失わせる病気であった。

ドロップアウトは怖くない

電通過労自殺で、女性は仕事(一流企業)を辞めたら人生終わるとか、世間体とか気にして、逃げるかわりに自殺を選択したんだと思う。

 

社会に必要なのは、ドロップアウトしても案外平気だよという雰囲気だろう。だから、ドロップアウトした人が生きているという事例を示していく必要がある。

 

私は大学院中退して肉体労働のバイトをやって生活はギリギリだが、まあ心穏やかに暮らしている。

 

ドロップアウトしても人生は終わらない。本来いるべき地位に落ち着くのだ。

他人から助けてもらおう

カネを稼げない人は他人から承認されるのが難しい。

カネを介さない関係で、素の自分でも承認してくれる人は貴重な存在です。

 

私は友達がマジで少ないけど、素の自分で接することができる友人が僅かにいる。私のことを経済的・精神的に助けてくれる同居人もいる。

 

生活が苦しくなった時に頼れる人がいるのは心強い。

私を助けたいと思う人が、この世にいたということだから。

このような関係は、表面的な関係ではなく、強い信頼関係がないと成り立ちません。

 

人から支援を受けることは恥ずかしいコトではありません。

人から支援を受けれるのは、その人との信頼関係を築いてきた努力の結果です。

他人から支援される人になるにも、努力が必要です。

 

他人から必要とされる人であるから助けてもらえるのです。

居候(ヒモ)の生き方

「居候の生き方」を提起してみたい。(社会学でこういうのに詳しい人いないかな?)

 

私は、アルバイトをしているが生活はカツカツだ。一人暮らしだったら一瞬でカネは尽きてしまう。居候して何とか命をつないでいる。 

 

ハウス・シェアはお互い家賃などの支出が対等だが、居候はほとんどの支出を相手に頼っている。相手にとって自分は養いたいと思わせる人間だ。

 

社会において個人の孤立化が進む中、全面的に頼れる他者がいることは、ありがたいことだ。


私は、居候の身で家賃をあまり払ってない。しかし、同居人は私との生活をそこそこ楽しんでいる。

 

居候(ヒモ)になりたくてもなれない人は多い。他人にたかる居候は、他者から必要とされる性格と気質の持ち主である。つまり、私の存在自体に価値がある。

 

他人から支援を受けられる人は、他人から支援をもらえるだけの、いい性格しているということ。他人から必要とされなければ支援も受けられないので、他人から必要とされているという社会的栄誉もある。他人にたかる人は卑屈にならず堂々としていい。

ベーシック・インカム

高齢者と若者の貧困層ベーシック・インカムを(朝日の記事)。

 

www.asahi.com

 

日本は所得格差が大きいが、資産格差はそれ以上に大きいと広井さんの著書(『コミュニティを問いなおす』)で知った。 

 

相続税率引き上げ等で資産格差を是正し、所得の再分配をおこなう。

 

経済成長は終わり、経済のパイはもう拡大しないので、パイの再分配のあり方が重要になってくる。