生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

脱・市場経済

しょぼい採取民

お金もモノもあまりない人、人からもらったり採取して少しでも生活をよくしたり、人生を楽しんでいこう。孤独な人は知らない人に話しかけて、もらえるものはもらって甘えられるなら甘えよう。できるなら、友だちもつくれたらいいね。誰かに与えてもらって心…

生き延びるための負債論:しょぼいアナーキズム

貧乏人や弱い立場にいる人たちは助け合えばいい。もちろんそうなのだが、現実的に社会的弱者同士が連帯するのは難しい。むしろ、偉い人やお金持ち、能力がある人たちほど人脈をたくさんもち助け合いや利益誘導がたくさんおこなわれている。アナーキズム的な…

エゴマ長者になろう

9月の初めから中旬に野生のエゴマがたくさん採れた。エゴマは同じところに毎年たくさん生えてくる(大葉も同じ)。なので、群生しているところを見つけると、毎年たくさん採れる。このように繁殖力が高い野菜が野山で勝手に生えて、それを調達できると食料確…

BIが導く個人単位の社会:脱資本主義/ジェンダーフリー/ノマド

ベーシックインカムにより個人単位の社会が導かれることを書いていきたい。個人単位の直接給付金は社会の仕組みや価値を組み替える大きなインパクトとなる。BIは単なる生活補助金であるだけでなく、お金が資本主体から個人主体のものとなり(お金のコモン化…

路上で物乞いしたら元気になった話

【目次】 1.路上で投げ銭をもらうと元気になった 2.路上でもらったもの ① 留学生の話し相手として ② ギャルにウケた ③ 夕食のおにぎりをいただく ④ お姉さんに手を振ったらジュースをもらった ⑤ たまに女装をしてる方から投げ銭もらう 3.路上で暮らす人達…

「財源がない」論をひっくり返せ!:《税収=財源》説の脱構築

一律給付金という個人単位の現金給付が社会にどのような意味があるのかを、ベーシック・インカムの専門家の知見や、現代貨幣理論をもとに書いてみた。一番の問題は、現代社会の貧困は「銀行中心の貨幣制度」が生み出していることだ。これにより、個人単位の…

「義務」を捉えなおす

「義務を果たしてら権利を主張しろ」と言いがかりをつけてくる人が多いので、それへのしょぼい対抗言説として文を書いておく。カント、スピノザ、アーレントなどの考えをもとに、真の意味で「義務」を果たすとはどういうことかを考えたい(とはいっても入門…

採取:しょぼいサブシステンス活動

野山や公園で野草やキノコを採ることについてのオルタナティブな意義を提示したい。自給農業や贈与経済とか“立派なオルタナティブ”ができないしょぼい人ができる事としてボソボソ声で提起したい。採取を通して今の消費システムから僅かにズレる実践をするこ…

社会保障の強化のために

●現代社会では金は生存に直結する 障害はインペアメントとディスアビリティに分けられて考えられる。 社会モデルは、社会が負担を負えば解決する障害のことをディスアビリティと呼ぶ。そして社会が負担を負っても解決しない障害はインペアメントとする。 (…

0円マーケットをやってみて

10月24日に京都の三条大橋で0円マーケットをやりました。 供出した物品は、アウトドアグッズ、バイク用品、マフラーなど小物、本(旅行系、小説など)でした。 今回、0円マーケットをやったのは、鶴見済さんの0円ショップや0円生活の考えに共感したからであ…

ポスト資本主義を読んで

広井良典(2015)『ポスト資本主義』岩波新書 経済の拡大・成長がもう続かない定常化社会において、我々の働き方や生き方、社会保障はどのようになるべきかという話であった。 現代は、「16、17世紀から続いた「市場経済プラス拡大・成長」としての資本主義…

何が大切で幸せなのか、考える

生産活動をすることが価値あることとされ、非生産活動はムダなこととされる。 私たちが、幸せを感じるのは、人との交流を楽しんだり(交歓)、美しい景色を見てうっとりするような瞬間にある。生産活動が幸せを生み出すとは限らない。 野菜を育てる時、販売…

商品/非商品に優劣をつけない

市場経済の中で生きる私たちは、労働市場で労働力となり、おカネになる商品を生み出さなければならない。カネを稼げないモノや行為は無駄なこととして扱われる。 私たちは労働者として商品やサービスをつくり、GDPに寄与する生産活動をすることでのみで評価…

シャドウ・ワーク

前回述べたように、市場経済の中で私たちは労働力という商品として、働き続けるために働いている。サラリーマンの夫に対して主婦は、夫が仕事のために着るYシャツの洗濯や、夫が元気に働けるよう健康的な食事をつくるなど、家事労働として夫の労働をタダで支…

私たちは、働くために働いている

生活に必需なモノや便利なモノを、私たちはカネを出して手に入れている。商品を買うおカネを得るために私たちは仕事をして給料を稼いでいる。 仕事を得るために私たちは労働市場で労働力という商品とならなければいけない。労働をして給料をもらい税金を払う…

市場経済だけが経済ではない

市場経済での利得をもとに人間が行動するようになり、市場経済のみで人間が評価されてしまうのは、産業革命がおこり機械化が進んだ19世紀以降のことである。 それ以前には、人間は市場経済での利得をもとに動くのではなく、社会からの承認を得ることを主な動…

消費について

有名なレストランに行ったことをFBに載せる人は多いだろう(私も)。 その人は、料理の味などを楽しむことよりも、その有名なレストランに行ったという行為を周囲に示したがっているのかもしれない。 J.ボードリヤールは、現代消費社会において、人びとは有…

自給の理論(2)

私たちが、商品にならないモノ、つまり市場経済で評価されないカネにならないモノをつくると、それは趣味や遊びとして、低い地位に位置づけられるか、無価値なモノとして扱われる。 私たちがつくるモノは、市場で交換されうるモノ=有用性をもつモノでないと…

自給の理論(1)

自給を考えるにあたって、イヴァン・イリイチの著書『コンヴィヴィアリティのための道具』(1973=2015,渡辺京二訳,ちくま学芸文庫)を参照にして書いてみる。 私たちは、生活に必要なモノやサービスを貨幣によって手に入れる生活に慣れきってしまっている…

自給生活の形

働けない、あるいは働かないのであれば、現金が得られない。現金が得られないのであれば、食べ物や生活に必要なモノを自分で作り出していかなければいけない。 (もちろん、身体障害や精神障害によって体調がよくないのであれば、生活に必要なモノを自分で作…

農産物の自給を主張する理由(2) 

韓国農村で帰農者の有機農業の調査で見聞きしたことから、有機農法や自然農法で作った野菜は、市場で取引するのは避けるべしと感じてしまった。暫定結論は、「商品経済の場で農産物を取引しようというのが問題」。 〈事例〉 「自然と調和した方法で農産物を…

農産物の自給を主張する理由(1) 

前回のブログで取り上げた、有機農業をおこなう若者グループと一緒に、有機農産物を扱う農協で野菜の袋詰のアルバイトをしていた話である。 その農協でジャガイモや玉ねぎの袋詰めの仕事をしている時、ある作業者が野菜の袋への詰め方が汚かったため横にいた…

市場経済に乗っかれない人

私たちの生きている(先進国の)社会は市場経済で成り立っている。市場経済はカネを介した商品のやり取りで成り立っている。私たちの社会を取り巻く市場経済の中では、モノやサービス、労働は商品となる必要があり、商品にならないモノは無価値なモノとして…