生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

しょぼい採取民

 

 

 お金もモノもあまりない人、人からもらったり採取して少しでも生活をよくしたり、人生を楽しんでいこう。孤独な人は知らない人に話しかけて、もらえるものはもらって甘えられるなら甘えよう。できるなら、友だちもつくれたらいいね。誰かに与えてもらって心温まる経験をしたなら、あなたもまた他人に優しくなれるかもしれない。しょぼい採取民になる。具体的には、①山の幸(野山の食べ物)、②街の幸(ゴミ、落とし物)、③人の幸(もらいもの)を利用させてもらう。他に面白いことあれば教えてくださいね。

 

 

1.山の幸

 

 山の幸とは、自然で採れる食べ物だ。野草、木の実、キノコなどである。農村部でなくても空き地や河原、野山でたくさん採れる場所があったりする。徒歩や自転車でブラブラしていろいろ見つけておくのがいい。昨年は秋に野菜が高騰したので近くの山で採れたエゴマで少し節約になった。野生の食べ物をうまく食事の足しにできると、年間5000円〜1万円くらい食費はカットできるのではと思う(もちろん、いたずらな乱獲はやめるべし。その辺の倫理は大切に)。あと、こういう野生の食べ物をあげると喜んでくれる人とかいます。こういうのも人とつながりのキッカケになるね。

 

 野生で採れるものをリストにした。正確ではないけど、どの時期にどんなものが生えるかが分かる。これ、めちゃくちゃ使えると思う。永久保存版ですよ。わたしが数年、あちこちの野山をぶらぶらした経験から作りました。

 

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※ 野山で採れるものリスト。永久保存版だよ。自分の好きな野草とかが採れる時期を図鑑なども使って調べて、表にしておくと便利だと思う。

 

 

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※ 1月前半には近くの山でキノコ(ヒラタケ)を採ったので、炊き込みご飯や鍋で楽しんだ。

 

2.街の幸(ひろい物)

 

 街に落ちているモノや役に立ちそうなゴミをいただく。最近は、路上や公園でライトニングケーブルや耳あてをひろったりした。耳あては寒波の中、重宝した。以前は、残高の残ってるIC★CAをひろったりもした笑。

 

 あとは、街の幸といえば野宿できる屋根のある場所だったりかな。

 

 坂口恭平さんが書いた『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』(太田出版)では、河川敷で暮らす野宿生活のおっちゃんが、街にある色んなものや廃棄物を拾ったりもらったりして、自分の家や生活を成り立たせている実態を書いている。例えば、ホームセンターの要らない資材で小屋をつくり、ソーラーパネルに12Vバッテリーをつないで自家発電して電気製品を使うとか。大量消費社会では使えるモノがどんどん捨てられてゴミになるが、そのゴミも生活の資源となる。これを、「都市の幸」と呼んでいた。本当にすごい。必要に迫られてやっている部分ももちろんあるけど、こんなすごいことはとてもじゃないがみんな真似できない。しかし、しょぼくても、「街の幸」(=都市の幸)を利用して少し生活の足しにできるだろう。

 

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3.人の幸(もらいもの)

 

 人の幸とは、人の好意からもらうモノである。つまり、贈与だ。路上で知らない人からも思わぬキッカケで何かもらえることがある。

 

 自分がもらいものを必要としていることを示していくことが大事だ。お金に困っているのならば、お金に困っていると正直に言う。べつに、嘘をついていないし騙すわけでもない。少しだけ好意に甘えて助けられたい。

 

 

・食事

 路上ではパンとか王将のチャーハンなどもらった。旅をしてる時は、みかんや色んな食べ物をもらえました。

 

 また、奈良に行った際に、路上でお兄さんからカステラをもらった。その後、通りがかりのおばあちゃんと仲良くなって夜の散歩をして、一緒に散歩した神社で野宿することになった。夜中にお腹が空いたけど周りにはコンビニもなく、食べ物も買えなかったが、そのカステラで空腹をしのげた。

 

・お金

 投げ銭をもらう。九州を旅しててあまりお金がないので路上の人に少し恵んで下さいと言ったら、1日に1500円くらいもらった。

 

 また、路上でイラスト展をして少し投げ銭して下さいと言っても、もらえる時がある。わたしに励まされたと言って2000円くらいくれる人もたまにいる。少しだけでもおこぼれをもらえると嬉しい。自分の存在も肯定的に見てもらえるわけだし。

 

 路上でみんなに話しかけてカンパ(お気持ち)を募ったり、絵や食べ物のお礼をもらったり、しょぼいイベントをして、2021年(5月〜12月)は15万円ほどの投げ銭をもらった。

 

 

・モノ

 わたしがたまにやってる路上の居場所や食事会で使えそうなカセットコンロなどを知人からもらった。要らなくて廃棄しようとしてたけど運良くもらえた。

 

 自分があまりにもみすぼらしい手提げカバンしか持っていないからと友人からいいカバンをもらった。メルカリに出せないそうでわたしにくれたそうだ。人と仲良くしてると、お下がりとしておこぼれをもらえることもある。

 

・遊び相手

 一緒にいて、楽しいとか安心していられる人というのは大切だ。友人から年末に食事をご馳走されたり、温泉に連れていってもらった。そういう付き添いで色んなところに行くのも、いい経験になりますね。

 

 路上で会った人で、絵を描いてあげたり交流を重ねたら、この前カラオケBarでご馳走してもらった。楽しい時間を過ごさせてもらった。

 

 

・情報

Twitterで自分の考えを改めたり学びのあるツイートを見る。新しい情報を得る。知り合いから他の人に関係をつないでもらったりとネットワーク拡大もできる。また、知らない土地に行くと、そこの人に情報を聞いて即席の観光もできる。

 

 

◉ 生きづらい中でも、できることからやってみたら?

 

 うまく働けない普通に社会に馴染めない。じゃあ、贈与経済だシェアだと言っても、「素人の乱」の松本哉さんみたいなやり手を見てたら、あんな才能も人脈もないからできないよと諦めモードになる。でも、0か100かという白黒ハッキリの発想ではなく、0から10に、あるいはうまい具合でなくても、小さい達成を評価して楽しんでいければと思う。完全にはできないけど、できるだけやる姿勢でいく。そういう感じでやらないと、しょぼい人はいつまでも無力化されエンパワーされない(むしろ、しょぼくても評価していくことが公正なジャッジでもある)。

 

 新しい知識や技術をみにつけることで解決する発想だけでなく、今あるものや、今とりうることで何かしてみる。手持ちのもので何とかしてやろうといういうのはDIY的な精神ではないかな。

 

 ただ、純粋な贈与というのはそうそうなくて、自分も何か与えたりしてるから、お返し的に何かを頂いたり、何かをしてもらうことが多い(それはモノなど見える形でなく)。自分の行動や態度などもよく見られている。なので、陰徳を積まないといけないようだ。お天道様(世間)はちゃんとあなたを見ている。陰に陽にそういうやり取りを重ねることでレベルアップしていく。レベルアップすると、今度はまたもらえるモノが変化したり、新しい出会いがあったり、より面白い経験もできる。いきなりは何かを得るのは難しいかも。経験を積みレベルアップしないといけない。小さな事からコツコツとである。

 

 「終わりなき日常」の中でも「しょぼい非日常」があればいいですね。

 

西成の越冬活動と路上交流

 

 年末年始(2021〜2022年)は、大部分を西成の越冬活動に参加したり、路上での居場所つくりをした。そのレポート的なものを書いておきます。一番のハイライトは1/2の三角公園での居場所だった(投げ銭が飛び交う!)。

 

 

【目次】

 

 

 

 

【12/31】

1.越冬まつりに参加

 昼は人と会ったのち、夜は西成の三角公園に行った。炊き出しと夜回りに参加しようと思った。三角公園の舞台では、夜回りしてる人の活動報告や、ライブやのど自慢がなされた。三角公園はドラム缶で焚き火がなされていた。野外フェスみたいな感じで心が高鳴った。ベンチで隣り合ったおっちゃんから「パチンコでボロ負けして、金のない年越しや」と話しかけられたりもした(笑)。

 

 

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三角公園に現れるドラム缶の焚き火。

 

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炊き出しの越冬カレーをいただく。昼は年越しソバだったようだ。

 

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2.友人のドヤで年越し

 ただ、あまりにも寒くて途中で帰った。夜回りは1/1のものに参加することになった。友人の借りてる事務所に戻ったが鍵のロックが開けられない。外で越冬野宿かと思ったけど、西成の知人に電話してみて部屋に泊まらせてほしいと言うとOKしてくれた。めっちゃ、ありがたかった。この人は以前に西成の路上一揆の時に知り合ったお兄さん。この前は家に招待され鍋をつくって食べた。路上で、こういう繋がりもつくれてよかったなと思った。即席のシェルターをえた。泊めてもらったもらった人にはお礼で酒やつまみを買っていった。その人は作業所に通っているが、そこでは年末に食品をたくさんもらえたり、スナックのビール券なんかももらえる。そんな作業所あるんだ(西成スタイルなのか、笑)。その後、眠剤の転売方法を教えてもらうなどケシカラン話をしながらの年越しとなった。

 

 

【1/1】

 

3.夜回りのお手伝い

 友人が参加している夜回りに参加させてもらった。自転車で2時間ほど繁華街の路上で寝泊まりする人に声をかけて、カイロやマスク、寝袋などを渡す活動だ。支援が必要ならつなげてもいる。道頓堀で若者たちがたむろしてる所で平然と物乞いをするおばあちゃんを見て、すごい度胸だと思うとともに心配にもなった。また、年末年始は日雇いの仕事がなくなり、持ち金がなくて路上で夜を過ごす人もいる。ドヤも値段が高くなるのだ。そういう現場を一緒に同行させてもらった。広島の友人が参加したパトロールでは、路上で襲撃された人の追悼集会がおこなわれたそうだ。問題意識をともにできる集まりに参加できてよかったとのことだ。わたしは夜回りの団体にカイロ一箱をカンパさせてもらった。

 

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【1/2】

4.餅つき大会と路上の居場所

 1/2は三角公園の餅つき大会に参加した。朝11時に開始だけど、公園の外まで長い行列だった。餅をもらうまで時間がかかったが、お餅と味噌汁でほっこりした。

 

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お餅と味噌汁をいただいた。ほっこりした。

 

 

 さて、ここからが楽しくなった。友人二人が来て三角公園の横で居場所をつくった。みんな、ウィッグをかぶって見た目は派手だ(しかし、実際は引きこもりがち)。路上で行き交うおっちゃんにカイロやみかんを配ったりした。あと、お賽銭箱のようなものを置いて、余裕のある人からはお気持ちで投げ銭をもらったりもした。

 

 面白がったり応援の気持ちで、お金や食べ物をくれる人がたくさんいた。そこで、もらった食べ物をまた別の人に渡してモノや交流の循環が生まれる。ほんと、この日は人の温かさに触れた。引きこもりとか生活保護でも気にせずみんな話をしてもらった。友人のソーラー充電も利用してくれる人がいた。こういった贈与の連鎖でいろんな循環が生まれる。自分たちが与える姿勢や交流したいという姿勢を示せば、応じてくれる人が多くいる。お金やモノがどんどん流れ、交流もありフィーバー状態だった。こういう居場所がちょいちょいあれば、そこそこ楽しんでやっていけそうだ。

 

 

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路上でカイロや食べ物を配ってると、逆にたくさんのモノをもらってしまう。ぬか漬けなんかもいただく。

 


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西成で出会う人は気さくでよく話しかけてくれるし、こちらも話しかけやすい。

 

 

 

 こういう取り組みや活動を応援していただける方、是非ともPayPayとか銀行振り込みでお気持ちなどお待ちしています。少額でも大変ありがたいですので。

 

◉ ゆうちょ銀行(普通)

 

金融機関コード:9900

店番:448

口座番号:1207633

 

 

◉ PayPay

 

ID:harucafe88

QRコード

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関東の路上で生存権祭りをした

 

 関東に訪問して横浜の路上で野宿イベント(野宿のプロのかとうちあきさんに手伝ってもらう)をしたり、鶴見済さんの居場所に参加させてもらった。また、群馬の方にツイッターで遊びに来てと誘われ、ドライブで森林浴をしてお家に宿泊させてもらい話など聞かせていただいた(交通費の補助も頂く)。今回も投げ銭や寄付をもらって助かった。

 

交通費などカンパ頂けると訪ねて行って路上で居場所つくりをします。みなさんもご検討を(笑)。

 

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※ 生存権の看板を掲げながらみんなで野宿した。寝そべり族です。

 

 

【今回やったこと】

 

(10/22)

1.ひきこもり一揆@厚生省前

 夜行バス(3000円)に乗って、早朝に東京に到着した。そこから、厚生労働省前に行って「ひきこもり一揆」と称して、個人単位の生活保障についてアピールした(2019年以来)。ひきこもり一揆をやったらツイッターを見てる方々からお気持ちとしてPayPayで2000円ほど投げ銭をもらった。ちょっとした単発バイトのようなものになった。一揆は大変だから労働みたいなもんだよ、まったく(笑)。

 

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2.6090問題を抱えた方の家に訪問

 ツイッターで「東京で何しようかな」とつぶやいたら、群馬の方から「群馬に遊びに来ないか?」と声をかけられた。投げ銭をいただき家に宿泊させてもらう形で群馬に遊びにいった。東京駅から高崎線に乗って田園景色を見ながら移動した。お会いして車に乗せてもらい家に訪問した。60代で働けず90代の認知症の母の面倒をみている。6090問題と言える。地方で家族ごと孤立している状態だ。孤立していて外部の人と話す機会がないため、わたしが訪問していろいろ話せるだけでもかなり助かったということだった。あまり詳しく書かないが、あらぬ疑いをかけられ地域から白眼視されているという。障害や認知症などを抱えた人は身動きがとれず世帯ごと孤立しやすい。さらに、孤立しがちな人にありがちなのは、様々な不運やよからぬ事が重なり厳しい状況に追い込まれてしまうということ。とにかく、精神科も20キロほど離れていて精神状態が悪いと車を運転できず通うこともできない。自助グループやいい相談先もない。地方ほどサービスや補助などが空白状態だという。

 

 とにかく、人と直接会って話したりドライブなどで気晴らしができてよかったと言われた。これも、あまり詳しくは書けないが、システム系の専門職経験があり、暗号など機密関係に強いとう。自分ではやる気力はないが、社会をお騒がせさせるくらいのシステム撹乱の知識などはあるそうだ(そういうヤバイ話を聞きたい方は声をかけてみてくださいと言われたけど・・笑)。ITの大企業からスカウトが来たこともあったが、もう人の下でこき使われてたくないという。世の中には国家秩序を乱すことができる技術をもった人が野放しにされていているようで、社会との不和から困窮していたり疎外されていることもある。そういう人が腹いせで社会に牙を剥かないためにも相応のポストを与えて居場所をつくってあげたり、経済保障をしてなだめておいた方がいいのだろう。個人への生活保障は過激派を減らすから、国家の安全保障への近道ですよねとその方と話したりした(笑)。

 

 

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※ 群馬を普通電車でぶらり旅できた。写真は高崎駅


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※ 群馬の山や湖畔などにドライブに連れて行ってもらった。

 

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※ JR高崎線では利根川の渓流や風光明媚な田園景色を楽しめた。

 

 

(10/23)

3.生存権まつり&野宿@横浜

 10/23(土)は群馬から横浜に大移動した。今回の横浜での路上活動は、かとうちあきさんの取り計らいで実現したようなもの。かとうさんは野宿旅のプロで、路上でワイワイしたり歌ったり踊ったりが好きだそうです。デモなどもしている。『野宿入門』など本もある。前に京都の路上でバッタリ会って話したのがキッカケとなって、今回のイベントをするようになった(と思う)。

 

(豪華なアウトドアではなく、しょぼい野宿をすすめる)

「野宿野郎」編集長(仮)かとうちあきさんと話す「ちょうアウトドアのすすめ」

 

 

① 参加者と旅の話をしたり

 

 横浜の関内から続く大通公園横浜橋商店街のあたりで生存権まつりをやった。最初は一人で通行人に話しかけ投げ銭をもらうことをやっていた。そのうち、かとうさんの知り合いのお兄さんなどがやってきて、くつろいだり話たりした。旅の話や京都のねこあな(変わった人が集まる居酒屋)の話などで盛り上がった。西成のドヤに泊まりながら日雇いで5000円稼ぎながらしのいでいた話を聞いたりした。またどこかで旅の話を聞かせてもらいたい。

 

② 関東大震災朝鮮人虐殺がおこった地域でもある

 また、今回の居場所のことを見て参加していただいた方からは、横浜橋商店街などを案内してもらった。ここ日の出町が海外をルーツにした人が多く住む地域であり、関東大震災時には朝鮮人の虐殺がおこなわれたという話を聞かせてもらった。この地域に今住む人たちも100年前の虐殺のことはほぼ知らないという。わたしもこの話を聞かなければ、地域の事情を知らないまま野宿していただけかもしれない。地域のことに無知なわたしに対して、「あなた、そんなことも知らないのか」とも言わず、快くお話を聞かせてもらったことに感謝します。

 

 

③ 路上で生存権まつりと野宿

 

 さて、街をブラブラして帰ってくるとかとうさんをはじめ、みんながワイワイしていた。ここから、路上でみんなで鍋をしたりして夜を過ごし野宿をした。かとうさんの知り合いだけでなく、わたしのツイッターを見て、働かない生き方や社会のことを話せる人にも来てもらった(おみやげありがとうございます)。

 

 さらに、路上を通りがかった人に話しかけたら、生存権や生きづらさについて話ができたり、引きこもりな人とも出会い、しばらく場を共にした。夜更けに歌を歌いながら通りがかったおっちゃんがフラッと立ち寄り、全国を野宿して旅をした話をしてもらった。かとうさんのお店の宣伝にもなったと思う(笑)。また、近くに来たらよろしくです。

 

 

 


www.youtube.com

 

 

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※ 夕方前にかとうさん達も来て0円ショップや酒盛りがおこなわれていた。


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※ カセットコンロで鍋パのようなもの。お祭りだ〜


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※ ツイッターを見て来てくれた方や、たまたま通りがかった人などが入れ替わり立ち替わりで夜中までワイワイした。通りがかって野宿した人もいた。

 

(10/24)

4.寿町を少し歩く

 

 野宿をした翌朝、路上に来られた方と一緒にドヤ街の寿町を歩いた。その方は寿町で支援職として働いていて、地域のことを少し聞かせてもらった。寿町も西成と同じで高齢男性の単身世帯が多い。生活保護利用者も増えている。居場所づくりが課題になっているそうだ。西成は「夏祭り」などイベントや居場所つくりが盛んで、ドヤ街でも先を行く事例だと話していた。支援者は生活支援が中心となるし、立場上ハメを外してワイワイしたり楽しいことがしにくい。わたしのようなニャンニャン系の人もドヤ街には必要とされるのではないかとも言われた。

 

 

5.不適応者の居場所(鶴見済さん主催)

 

 寿町を歩いたあと、鶴見済さん主催の「不適応者の居場所」に途中から参加させてもらった。場所は代々木公園。鶴見さんはもうみんな知っていると思うので紹介はいいでしょう。参加者の人に「生きづらくないですか?」とか、「働くの嫌ですよね」というのが挨拶のように言える場だった(笑)。ジャンルごちゃまぜのゆるい自助グループのような場だと言える。「働けずに金が無いからアイドルを名乗って路上で物乞いをはじめました」と自己紹介しても、面白がってくれる人がたくさんいた。また行って、いろいろ話を聞きたいと思う。

 

 鶴見さんには居場所について話を聞かせてもらった。わたしの話を大変親身になって聞いてもらいありがたかった。鶴見さんがやられている0円ショップは、自分のいらないモノを誰かに贈与することで人との関係性をつくるので、即席の居場所と言えそうだ。そういった「負債」関係をつくることが居場所に重要だという話をしていたと思う。今回は鶴見さんを長時間わたしが独占してしまった(笑)。

 

 会が終わって参加者の人たちと話していたら、わたしのアイドル活動(投げ銭)が見たいということで数人と渋谷駅に行って通行人から投げ銭をもらっていた(笑)。その後、夜行バスで京都に帰った。今回の旅もすごくいい経験になった。

 

 

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※ 障害、働けない、社会に適合しにくいなど、さまざまな生きづらさを抱えた人が話して交流できる場だった。

 

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※ 過激派のお兄さんにもシノギを手伝ってもらった(笑)。写真は渋谷のハチ公前。

 

 

西成一揆③(21年10月15日)

 

 2021年10月15日に、西成の三角公園横で3度目の生存権祭り(西成路上一揆)をした。今までと同じで、「一律給付金の再支給」と「生活保護費の引き上げ」をホワイトボードに書いた。チヂミを焼いて友人や通りがかった人と話しをした。今後寒くなれば、スープなどをつくりたい。

 

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【この日の出来事】

 

 

1.おっちゃんが歌を歌ってくれた

 

 前回も通りがかって歌を歌ってくれたおっちゃんとまた再会した。三角公園の音楽祭ではステージで歌を披露することがあるそうです。動画は「金がないからしゃあないわ」という歌。

 



 

2.水野阿修羅さんとの出会い

 

 西成で労働運動に長年携わってこられた水野阿修羅さんが通りがかったので思い切って声をかけてみた。髪の毛の色をピンクに染めている方で、通りがかったらすぐわかった。水野さんのことは、インタビューを受けてるネット記事などを見て知っていた。

 

 水野さんは、釜ヶ崎の街歩きの案内などもしている。インタビュー記事なども釜ヶ崎の様子を紹介している。

 

釜ヶ崎のレジェンドが語る「大阪・西成」50年のリアル。治安、労働、福祉…実は”どんな人も排除しない町”だった - イーアイデムの地元メディア「ジモコロ」

 

 以下は、水野さんから手渡された「夏祭り」に関してインタビューを受けた新聞記事。ドヤ街の活動も闘争から居場所つくりへとシフトしていっているのだという。

 

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3.チヂミを食べながらお話

◉ 路上生活をしてきたおっちゃん

 

 いろんな街の路上で暮らしてたおっちゃんが通りがかって話しかけられた。「おれは金はなかったけど、気を強くもって生きてきた。あんたも強気でいかなかん」と言われた。路上生活中、暴走族ともやりあったそうだ。「暴走族とかは集団でないと何もできん。一人ではあいつら何もようせんで」と語った。前に難波で酔いつぶれて路上で寝てたら若い人に蹴られたそうだ。おっちゃんはその若者を締め上げて2万円を出させたそうだ。「お金がないなら、どこかからひねり出さなあかんぞ」と言った(笑)。

 

 わたしの路上活動を見て、「あんた、お金ほしいのに何で日本で一番貧しい西成でやるんや〜」とか、「お前、そんなコアラの人形置いただけで金稼げると思ってんのか?しょぼすぎるやろ〜」と笑われてしまった(笑)。

 

 

◉ 薬物依存症のリハビリ施設から逃げ出した人と話した

 

 路上でチヂミを焼いていると、通りがかったおっちゃんがお腹を空かせていたようで立ち寄って食べていった。みんなで話を聞いていると覚せい剤をやったりやめたりしていて、リハビリ施設の集団生活が窮屈で逃げ出して来たという。みんなで、「日本で一番覚せい剤が多い西成に来て大丈夫ですか?」と思わず言ってしまった。しかし、薬物の使用をやめて依存症から回復するにあたって、自由が制限されたり「いい子」になるのを求めるような場であれば逆に息苦しくて、ストレスではないか。むしろ、西成のように騒がしくてある程度ケシカランことが許されるところのほうが回復にはいいのではないか。マジメさや潔癖さを求められるところよりも、ごちゃごちゃして猥雑なところの方が適度な刺激や自由さがあってかえっていいのではという話をした。おっちゃんも西成は居心地がよく、以前いた施設からは「いつでも戻っておいで」と言われていて後ろ盾もある。飛び出したのが吉と出るかもしれない。おっちゃんみたいな人には自助グループみたいなカッチリした場だけでなく、非公式的な居場所が居心地がいいのだと思う。

 

◉ 西成の路上では主流に生きづらさを感じる人と出会いやすい

 

 その他は、わたしの友人で生きづらさや不適応トークをしたいという人、西成のカラオケスナックに通っているお兄さんと話したりした。みんな、がっつり働くのが嫌で、低収入である。世間の規範には息苦しさを感じていているという。わたしが居場所をやるとそういう人と出会いやすい。またやりたいですね。

 

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路上でお金をもらいながら旅をした話(九州編)

 

 普通の旅行ではつまらない人へ。

 

 行った先で即席の話し相手を見つけて、地元の情報を聞いたり、居場所をつくってみる。お金があまりない人は、野宿できるなら宿代をカットして、ヒッチハイク投げ銭など人の好意に甘えながら旅行をします。お金が無いならいろんな人から少しずつ助けてもらうしかないです。人の好意を受け取ると温かい思い出となる。さらに、好意を与えたり話相手となった人にもまた何かしら心に残るものがあるようだ。そこでは即席の物語が生まれているのだと思う。一時的な非日常経験にもなるなと思った。

 

 2021年の9/29〜10/10まで九州をブラブラしていた。福岡の友人の家に数日泊めてもらい、それから佐賀、長崎、熊本(天草・水俣)、鹿児島、宮崎を回った。しかし、ブラブラしている間に交通費がどんどんかかり、投げ銭ではカバーできずパンクしてしまう。宮崎で神戸行きのフェリーで帰った(宮崎から大分までが遠く大変)。九州旅行は中途半端に終わったが、無理せず飽きたり疲れたりしたらすぐ帰るのがいい。旅は楽しむもので苦しくになりすぎてはいけない。

 

 

 

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※ 博多の天神の路上で、知らない人に話しかけて誕生日祝いでお小遣いをもらった。

 

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※ 天草の家の前にあったくまもんの飾り物。

 

 

 

1.モノや食べ物をもらう

 

 人は知らない他人にでも(いや、知らない他人だからこそ?)気前よくモノをくれることがある。キッカケは何でもいいのかもしれない。突然話しかけたり目にとまってもそれは出会いとなる。出会って自分の好意を示すには贈与が手っ取り早い行為なのだと思う。おすそ分け程度に相手からの好意を受け取ると、お互いがいい気分になって生温かい思い出となる。贈与は心の温もりを生む。

 

◉ 早朝の公園で朝のコーヒーをもらう?

 

 京都から高速バスに乗って、早朝の下関についた。歩いてると公園でのんびりしているおっちゃんと話になった。おっちゃんは自転車に乗ってブラブラしてると警察によく職質させて、それにいつも腹が立つので今度警察手帳をとりあげてやろうと、日頃のうっぷんをわたしに話した。おっちゃんが自販機で缶コーヒーを買ったら、わたしが「すいません。僕コーヒー好きなんでこれ頂けませんか?」とおっちゃんの手からコーヒーを取ってしまった。おっちゃん、びっくりして口が開いたままだったけど、「おお、ええよ〜。ははは」と快諾してくれた。「旅の記念にお願いします」と勝手に理由をつくって頂いてしまった。笑

 

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◉ 高校生からみかんをもらう

 

 佐賀県の駅でホームに部活帰りの高校生たちが電車を待っていた。わたしの大きなカバンを見て、「こんにちは」と挨拶されて、わたしも挨拶を返した。「今から鹿島方面に行くんやけど、鹿島って何があるの?」と聞いてみた。高校生たちもあまり答えにくいようだったが、わたしが「佐賀ってみかん美味しね。みかん好きやねん」と話しかけたら、高校生の一人が「ああ、みかん持ってますよ。いります?」と言われて、おすそわけでもらった。ありがたや。九州の福岡・佐賀・長崎は早生みかんの産地。スーパーでもすごく安く手に入ってみかんが手放せなかった。

 

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◉ 長崎の路上で出会ったおっちゃん

 

 長崎の商店街の入口で投げ銭ボックスを置いていたら、飲み屋から帰りのおっちゃんに話しかけられた。親に恵まれず、孤独な幼少期を送っていたという。自衛隊員として各地で働いていたそうだ。お金や住むところを失い路上で半年暮らしたこともあったそう(ゴミをあさって暮らしていた)。自分は貧しい人や社会の下にいる人の気持がわかるという。「あなたのように生きづらさを抱えた人が前に出てくるのはすばらしい」と言われて、お気持ちとしてコーヒーと投げ銭を頂いた。おっちゃんも関西にいる時は西成の飲み屋に通っていたそうだ。西成は孤独気味な人の居場所になってるんだなと思う。

 

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◉ 通行人を感動させた

 

 長崎の路上で通行人に「こにゃんちは〜」と挨拶して手を振ったら、引き返して声をかけてくれた。お金をねだっているが通行人に丁寧に挨拶をしていて誠実そうだと好感をもってくれたそうだ(笑)。「路上パフォーマンスは歌ったり音楽をならして騒がしくしたらすぐ通報されてしまうけど、あなたのように何もせずただ居るだけで投げ銭をもらうのは賢いやり方ではないか」と面白がられた。その方も居場所がないらしくて、わたしの路上の即席の居場所を面白がってくれた。「あなたは人情を売ってる」と言われて感動された。その方からは腹の足しにとパンを頂いた。

 

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長崎にて路面電車を見ながら通行人と話す

 

◉ 各所で食べ物などもらった

 

 宮崎駅前の広場で、いろんな人からパンやお菓子、飲み物をもらった。ヒッチハイク旅行を経験した人と少し話してお菓子をもらった。また、「あまりお金なんだけどお気持ちくれない?」と通りがかった人に言ったらパンをもらった。「野宿してるの」と言ってたら、女学生から「えー、かわいそう」と言われてお菓子やお茶、お小遣いをもらったりした(笑)。宮崎の人にはいろいろお気持ちを頂きありがたかったです。

 

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2.投げ銭(お気持ち) 

 

 お金があまりないから、路上で「お金を少し下さい」と通行人に話しかけてみる。いろいろ話をしてお金(お気持ち)を投げてくれる人もいるし、あまり話さなくてもポンと1000円札を渡されることもある。人は、ささいなキッカケがあれば贈与をする。そのスイッチが入るかどうかなんだろう。投げ銭をもらって旅行してるのを面白いなと思う人もいるし、路上で一人で何かしてる姿に勇気あるなと思う人もいる。また、何かしらいい事をしたいと思って投げ銭をする人もいる。投げ銭をする理由はさまざまだけど、投げ銭をしようと思うのは、自分が何かをあげることで自分なりの物語をつくれるからではないかな(ボードリヤールは現代人はモノの消費において、モノそのものよりもモノの意味を消費しているのだと言ったけど、投げ銭も何かしらの意味を自分で感じてお金を投げるのだと思う)。

 

◉ 元ヤクザのおっちゃんからシノギ(お気持ち)をもらう

 

 福岡では自転車で通りがかったおっちゃんが立ち寄って話しかけてくれて、「引きこもりは人との交流がなくなるとしんどいなぁ」と理解を示してもらい、「ちょっと、これ受け取りや」と投げ銭を頂いた。そのおっちゃんは西成で住んでいて元ヤクザだったらしい。「この指を見てみいや」と欠けた小指を見せてもらった。元ヤクザのおっちゃんからシノギ(お小遣い)をもらうひょんな経験をした。

 

◉ 化粧品イラストを楽しんでもらった

 

 下関をテーマにフグの絵を描いた。フグにゃんだ。これは、通りがかった女の人とかに「かわいい」と言われてウケた。「これ、使わない化粧品で描いてるねん。僕、天才でしょ?」と調子に乗ったことを言って投げ銭をもらったりした。すると、通りがかったおっちゃんが絵を額に飾りたいから売ってくれないかと言われた。おっちゃんも現場労働者であまりお金がないからお気持ち程度をいただいて絵を渡した。

 

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化粧品イラスト:フグにゃん

 

◉ 居場所を欲している人

 

 久留米で路上活動をしていると、学生から話しかけられた。話をすると、こじらせているわけではないが、何となく居場所を必要としていることを言ってくれた。学校やバイト先もあまり気が落ち着かないという。仕事はできればガツガツしたくないなと思ってるゆるめの人だった。バーやクラブなど派手目な場所もなかなか行きにくいなと。わたしは、路上で何かするのも思いがけない出会いがあって面白いし、生きづらさについて話し合える人とも出会える可能性もあるという話をした。やはり、自分が何かしら前に立つことも大切だなと話し合った。話ができてよかったと少しだけどお気持ちをいただいた。

 

 

※ 今回の旅での投げ銭の総額は20,030円だった。路上で頂いた方、PayPayで誕生日祝いでお気持ちをいただいた方、ありがとうございました。

【路上での投げ銭

9/29 新門司駅 600円

9/29 博多天神(誕生日祝い) 1000円

10/1 久留米 1861円

10/2 佐賀駅 1542円

10/5 長崎 1647円

10/7 鹿児島中央 1565円

10/9 宮崎駅 938円

10/10 宮崎駅 1000円

 

【PayPay】複数名から誕生日祝いで1万円ほど頂いた。ありがとう。また、九州に行く前に旅費に使ってとお金を投げて頂いた方もいる。嬉しい。よし、また近々九州に行こう(笑)。

 

 

3.人に話しかけて、話し相手をみつけたり現地情報を得る

 

 今回の旅は、地図だけ持っていってガイドブックなどは持っていかなかった。必要な情報や気になることは現地の人に聞くなどして情報を得たらいいと思う。地元の人がよく行くリーズナブルなお店などは地元の人がよく知っている。路上で人に話しかけていい情報が聞けたら即席のガイドブックである。むしろ、ガイドブックにも載らないご当地の情報を聞くことができる。

 

◉ おばちゃんに安いちゃんぽん屋を聞いた

 

 長崎について路上のおばちゃんに「この辺で安い飯屋ないですか?」と話しかけた。おばちゃんは、「中華街のちゃんぽんとかは高いね。観光客目当てやから。よかったら、お店まで連れて行ってあげるよ」と言われた。10分ほどだがおばちゃんと話をしながらお店に案内してもらった。このように、路上で人に話しかけたら、即席で話し相手をつくれる。一人旅でも一人にならない。

 

 

◉ 公園のおっちゃんに話しかけた

 

 長崎の街をぶらついて公園で鳩にエサをやってるおっちゃんに、「この辺で景色いいところないですかね?」と話しかけてみた。おっちゃんから稲佐山がいいんちゃうかと言われた。ロープウェイで行くと高いが、市バスで山の中腹まで行くと安くすむという話を聞いた。バス乗り場も教えてもらう。また、近くの安い飯屋の情報も教えてくれた。現地情報を聞いたら、よもやま話になった。むかし、食べ物がない時代にその辺の畑の芋を泥棒して山に持っていって焼いて食べた話など聞いた。長距離バスやトラックの運転手をして、いろんなところに住んだり滞在したそうだ。西成で飯場労働もしていたそうで、西成のおでん屋とか昔の500円ドヤの話も聞いた。2時間ぐらい話した。キラキラした観光地めぐりだけでなく、路上や公園で何気なく人と話して思いがけない出会いを楽しむのもいい。

 

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※ 稲佐山から見た長崎。長崎は三菱の工場が多い。原爆投下も三菱の工場があるから標的にされたそうだ。

 

◉ 人と話して行き先をつくる

 

 今回は、あらかじめ行き先を決めてなくて何となく進んでいた。しかし、路上で人と話して、「ここがいいよ」とか「こういうルートもあるよ」と言われて、じゃあそこに行ってみようとその場その場で行き先が出てくる。長崎市内では、雲仙は土砂崩れなので、代わりに高速船で長崎から天草の方に渡ってはどうかという提案を受けた。こんなふうに、その場で誰かに行き先を提示してもらい行き当たりばったりで進むのもいいと思った。

 

4.ヒッチハイク

 

 今回は、一度だけ乗せてもらった。道端で看板を掲げて20分くらいでヒッチハイクできた。車の中では、走りながら目の前に現れる景色や建物について話を聞くなど、ガイドブックには載っていない地元情報を聞けて面白かった。このように、地元の人と直接話しができる場ができるのもヒッチハイクの面白い点だ。乗せてくれた人も、ヒッチハイクをする人ってどんな人だろうと興味があって乗せてくれる人がいる。また、ヒッチハイカーを車に乗せる経験をしたみたい人もいる。ヒッチハイカーは何かしら非日常をもたらす存在でもあるのだ。コロナが収まったらまたヒッチハイクで乗り継ぐ旅をしてみたい。

 

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5.野宿

 今回も4回ほど野宿して宿代を浮かした。野宿したのは無人駅、道の駅、海の横のベンチなど。無事に朝を迎えた。

 

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6.景色など 

 

◉ 門司港駅(福岡県)

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◉武雄温泉(佐賀県

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有明海の干潟(佐賀県鹿島市

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◉ 佐賀県のおいしいもの(道の駅などで売ってる)

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◉ ライトアップされた眼鏡橋(長崎)

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◉ 﨑津集落(天草の隠れキリシタンの地:世界遺産

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◉ 肥薩おれんじ鉄道(熊本八代〜鹿児島川内を結ぶ第三セクター

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鹿児島市内の路面電車

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◉ 西山駅開聞岳(鹿児島県南部のJR最南端の駅)

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◉ 絵も描いた

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◉ 指宿の砂ぶろ(障害者割引が適用可)

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◉ 都農市(宮崎)のリニア実験線跡(今は太陽光発電として利用されている。近くの道の駅ではトマトなど地元のものが買える)

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生き延びるための負債論:しょぼいアナーキズム

 

 

 貧乏人や弱い立場にいる人たちは助け合えばいい。もちろんそうなのだが、現実的に社会的弱者同士が連帯するのは難しい。むしろ、偉い人やお金持ち、能力がある人たちほど人脈をたくさんもち助け合いや利益誘導がたくさんおこなわれている。アナーキズム的な関係が市場によらない相互扶助と言うならば、相互扶助の格差は厳然としてあり、つながりを持ちにくい社会的脆弱層ほど連帯が難しい。このような、アナーキズムにおけるパラドックスというか難点を指摘する。

 

 さらに、主流に適合できず孤立しがちな人が社会とどう関わるか、人との負債関係をどうつくっていけるか、わたしの路上での経験や、西成のおっちゃんや路上の人たちから見聞きしたことを踏まえて書いてみたい。結論を言えば、見知らぬ人とお金やモノをやり取りしたり、話しかけるなどであり、かなり無軌道で思い切ったやり方しか思い浮かばない。ヤケッパチになるしかなさそうである。厳しいが、現実として自分にとってのユートピアは自分が主体となって動くことでこそ可能になると思うところだ。

 

※ 人と人とのつながりや社会の連帯は「負債」関係によって成り立つ。「負債」関係が市場やお金での等価交換のみに限られてくることが、社会的に立場の弱い人の「生きづらさ」となっていると言える。

 

 

【目次】

 

 

1.社会的脆弱層ほど助け合いがしにくい

 

 貧しい人同士や立場の弱い人同士ほど、つながりをつくったり助け合いをするのがよいと言われる。それは正しい。しかし、社会的脆弱層ほど人との関わりがつくりにくく、相互不干渉になりやすい。引きこもり同士が、境遇が似ているからといってつながりを作りやすいかと言えばそうではない。こじらせていたり、押し付けをしあうしんどい関係になってしまうことも多いと思う。生活保護利用者も、お互いに関わって面倒事になるのは嫌だからと相互不干渉になる場合も多いようだ。よくある例だと、精神科の待合室にいる人同士は、精神障害や生きづらさなど似たような悩みを抱えた人が多いと思うが、待合室では誰も話をせず、交流はおこりにくい。

 

 社会的に弱い立場にある人は、過去にひどい目にあったり、傷ついたりした経験が多い。それだから、誰かと関わるとまた心無いことを言われるのではないかという不安がある。だから、人との関わりにも後ろ向きになり、自分から積極的に話しかけることもしにくくなる。自分が他者に好意的な振る舞いをして、それがよい結果になるか分からないし、厄介事に巻き込まれるのを避けたいからかもしれない。

 

 西成のドヤ街の孤立問題について指摘した白波瀬達也さんの著書(参考文献⑤:『貧困と地域』中公新書)によると、西成あいりん地区では独居の高齢男性が増え、生活保護利用世帯も40%を超える勢いである。むかしのドヤ街は、若い日雇い労働者が多く流動性も高かったが、生活保護の利用者が増え定住化が進んでいる。定住すると今度は自分の訳ありの過去を探られたくなかったり、人との衝突を避けるために自室に引きこもりがちになるなど、社会生活上の孤立化問題が生じているという。「生活保護パラドックス」である。就労によらずに社会と関わる場や関係が求められているという。

 

 伊藤亜紗さんによる「利他」に関する著書(参考文献④:『「利他」とは何か』集英社新書)を読んで気づいたことだが、相互扶助や利他的振る舞いは「信頼」がないところでは発生しにくい。なので、今の秩序において弱い立場や差別を受けやすい人たちは、世の中の人に「信頼」を抱きにくく、人との交流や助け合いがなされにくい不利な状況となる。

 

❖❖ 「利他」について書いた過去記事 ❖❖

(その1)「利他」の原理 - 生きるための自由研究

(その2)「利他」の原理(2) - 生きるための自由研究

 

2.人は「負債」関係により社会とつながる

 

 人と人との関係は「負債」によって成り立つ。社会的に孤立するのは人との「負債」関係を築けないことによる。グレーバーの『負債論』などで指摘されている。

 

 前回のブログ記事でも書いたが、生活保護利用者が社会的に孤立しやすいのは、他人との「負債」関係がもちにくいからだ。具体的には、モノやお金のやり取り、貸し借り、ちょっとした売買もしにくい。それは、制度で制限されていたり世間からのプレッシャーによる。人と人とはモノやお金をもらったりあげたり、貸し借り、売り買いなどを介して関係が継続される。生活保護制度は、そういった人と人との関係をつくりにくくしている。

 

 人の世話をしたり、世話になったりという負い目や見返りによって人との関係は続いていく。グレーバーは、このような「負債」による相互性を断つのが市場による等価交換だという。

 

「交換はわたしたちの負債の解消を可能にしてくれる。交換は負債をチャラにする手段、つまり関係を終わらせる手段を与えてくれるのである」

(D.グレーバー、『負債論』、p.156)

 

 

 逆説的だが、人間関係はバランスが安定しないシーソーゲームで継続する。つまり、人と人とは負債の連鎖でつながりを保つ。自分が相手に何かを与えると、相手は恩義を感じお返しで自分(や他の誰か)にまた何かを与える。このように、他者への負い目により関係は続く。この負い目を厳密に帳消ししようとすると、それは相手との関係を断ち切ることになる。お金の厳密なやり取りで「交換」に基づく対等性が達成されると、人と人との負債関係はなくなり、二者の関係は解消する。

 

 交換原理は負債関係をチャラにする役目を果たす。買い物客と店員はレジでやり取りをするが、その関係が続かないのは、決済による等価交換をおこないすぐに関係を解消するからだ。ややこしい紛争の解決や、罪の報い方を単純化するためにもお金による償い(=交換原理)が用いられ、賠償金や慰謝料の支払い、養育費の支払いなどお金が一応の責任(=負債)を果たす手段となる。お金による交換は面倒な関係を省く反面、つながりもつくりにくくする。生活保護を利用すると、市場でのお金のやり取りだけに制限され、それ以外での「贈与」や「交換」がしにくく、人との関係の契機がつくりにくくなるのである。ツケがつくれないのである。

 

❖❖ 前回の記事 ❖❖

社会のすみっこを居場所にする - 生きるための自由研究

 

 

3.社会はアナーキズムにより成り立っている

 

 あらゆる社会はアナーキズムを基盤にして成り立っているとグレーバーは書く。グレーバーは、アナーキズムによる「贈与」や相互扶助的な関係を、共産主義コミュニズム)とも表現している。今回の記事でもこれらは同じ意味と捉えていただきたい。共産主義は理想的なユートピアでもなければ、いま現在のうちに存在していて、程度の差こそあれあらゆる人間社会に存在するものである(『負債論』、p.143)。そして、「あらゆる社会システムは、資本主義のような経済システムさえ、現に存在するコミュニズムの基盤のうえに築かれている」と指摘する(同書、p.143)。この原理は、日常の中の二者関係でも常に見られる。

 

 共産主義とは単に人びとが「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という原理にしたがって行動するということである。これは人びとが何事かを実現しようとするとき、常にとっている姿勢である。二人の人が、導管を修理しているとき、一人が「レンチをとってくれないか」と言う、その際、頼まれた方は「その代わりに何をくれる?」とは言わない(この作業を実現したいならば)。このことはベクテル社シティグループといった大企業で働いている人びとにしても同じである。彼らは共産主義の原理を活用している。それのみが、現に仕事をうまく運ぶ方途なのだから。それはまた自然災害や経済的崩壊に直面したとき、都市や国が、何らかの、間に合わせ的な共産主義に転化する理由でもある。

 

(D.グレーバー『資本主義後の世界のために』、p.181)

 

 

 共産主義的な助け合いの関係は、あらゆる人間関係や組織を成り立たせるものだ。いちいち、対価を要求する交換をおこなっていたら効率が悪い。人間関係や仕事を進める上では、皮肉にも共産主義的なやり取り(=贈与・相互扶助)が効率がいいのだ。だから、資本主義社会は共産主義の原理に寄生して成り立っている。このグレーバーの指摘は、目からウロコだった。資本主義が社会を成り立たせているのではなく、むしろ社会の連帯を利用して資本主義が成り立っている。ここでの問題は、相互扶助の関係が資本主義的な集団や、それを支える家族の中に制限され、それらの枠組みの中にいないと相互扶助の網の目から外れてしまうということだ。

 

4.相互扶助(=アナーキズム)における格差問題

 

 グレーバーが指摘したとおり、大企業の中でも同僚同士は無償の助け合いを頻繁におこない、偉い人や能力ある人同士は助け合いのネットワークをもつ。主流秩序の中にいる人ほど相互扶助がよくなされアナーキズム的な恩恵を享受しやすい。そして、主流から外れ、どこにも属せず脱権力化されてアナーキーな立場になるほどアナーキズム的関係(相互扶助)ができないというパラドックス(難点)がある。

 

 自民党や維新の議員とかは、お互いめちゃくちゃ助け合っているだろうし、電通パソナも政権と一体になって、事業誘導や派遣業で優遇されている。助け合いは利権の強化になっている。今の秩序や資本主義体制で勝ち上がった者ほど、相互のネットワークが強固になり、その中で助け合いや富の分配をおこなっている。皮肉だけど、今の資本主義体制に順応できる人ほどアナーキズム(助け合い)に恵まれるのである。相互扶助は秩序の上位の人たちの利益独占のためになされるが、秩序でワリを食ったり低い位置にいる人たちほど相互扶助がしにくいというジレンマがある。

 

 

5.平和な社会の条件:個人が十分に与えられること

 

 『贈与論』でモースは、「贈与」の連鎖が社会をつくると指摘した。「贈与」の体系は、「お返しをする義務」によって構成されるという。この、「贈与」と「返礼」の繰り返しが人とのつながりをつくり、社会を形成していく。

 

 モースの『贈与論』における、「贈与」と「返礼」の体系は、「権利」と「義務」の関係を考えるうえでも示唆的である。「義務を果たしてから権利を言え」と世間ではよく言われるが、むしろ逆で、「権利が保障されないと義務も果たせない」のではと思う。人は十分に与えられない限り奪われる側になってしまい、他者に与えられる資源が不足し、かつ、返礼(義務)する意思さえも削がれてしまう。与える前には、まず十分に与えられなければいけないのである。

 

 「贈与」は、他者に対する権力の行使でもある。「贈与」はつながりを作るが、危なっかしいものでもある。誰かから与えられることで恩を買うのが嫌いになることもある。少数の人からの「贈与」だけでは支配関係になりやすい。だから、多くの人から適度に「贈与」されることで、依存先が適度に分散され、他者からの支配力を薄める。そのような相互依存の体系により平等で民主的な社会に近づくのだろう。個人単位の生活保障(現金給付)が、この考えから導き出せる。

 

 「贈与」に基づく完全な一体化も危険であり、かといって「贈与」関係を断ち完全に孤立するのでもない、他者と適度な距離をもてることが大切になる。むしろ、与えられることが期待できる社会ならば、人と人とは適度な距離を保つことができ、平和的な関係でいられる。平和な社会は、個人が十分に与えられることで可能になると言える。モースの『贈与論』からわたしが思ったことである(モースの『贈与論』については、参考文献⑥:山田広照さんの『可能なるアナキズム』での紹介にかなりを負っている)。

 

 善や幸福を遠くまで探しに行っても無駄である。それが存在するのは、平和状態、公共のためと個人のためとに交互にリズムよく行われる労働、蓄積され再分配される富、教育によって身につく互いの尊敬と寛大さの中なのである。

 

(M.モース『贈与論』、p.291)

 

 

6.小さな共産主義

 

 共産主義と聞くと、マクロな政治や経済のシステムのことだと思いがちだけど、市場によらないモノのやり取りや、人と人との関係つくり、相互扶助などミクロな領域での実践としての共産主義もある。今の社会における「生きづらさ」の問題に対して、人とのつながり、居場所、ケアなどが大切だと言われる。これらは非資本主義的であり、共産主義的なオルタナティブだと言える。大きな社会体制が変わらなくても、共産主義的な関係や取り組みはいたる所で実践されている。相互扶助の関わりである共産主義は、資本主義によって埋もれうまくオモテに出にくくなっている。そのような共産主義的な関係は非日常の瞬間の中でふと出てくることもある。人の中にある「共産主義的なもの」を何らかのキッカケで引き出したい。

 

 

7.「負債」関係をヤケッパチでつくる

 

 社会にうまく適合できず孤立しがちな人はどのように人間関係をつくればいいか。うまい方法がない。ヤケッパチである。西成の路上で闇市をしてたおっちゃんは、路上で人との関係をつくっていて居場所になっているように見えた。おっちゃんも生活保護だけで部屋の中に閉じこもると孤立してしまうだろう。道頓堀で路上生活をしている人は、物乞いをしながら路上での関係をつくっていた。

 

 わたしも路上で、人と話したり、投げ銭をもらったりする。また、モノや食べ物をあげたりもする。これが「負債」関係を生んでいると思う。人にモノをもらったりするのは手っ取り早く関係をつくるということだ。これで、かろうじて社会と関わっているのだと思う。無理やりな形でもしょうがない。うまく社会のレールに乗ることはできないが、しょぼく社会のすみっこで誰かと関わる感じでも精神的な安定にはよい。

 

 自分が声をかけられたり、関わってもらい何らかの負い目(=負債)を感じることで、自分もまた何か返礼しなきゃなという意思ができる。わたしが誰かから関係されているということは、わたしも社会に何かを「贈与」している見返りでもあるだろう。

 

 人が好意的に利益を度外視で自分と関わってくれることは、日常の中に立ち現れる共産主義的な関わりなんだと思う。利他やシェアの原理による共産主義的な関係は色んなところで見られるが、その関係は引きこもりがちな人には得がたい。でも、路上での何気ない出会いの中にそのような関係はふと現れる。断片的な共産主義を繋いでいけたらいいなと思う。

 

❖❖ 過去のブログ記事:ヤケパッチのすすめ ❖❖

ドゥルーズ/引きこもり/ノマド/個人単位 - 生きるための自由研究

 

 

8.「贈与」してくれる他者の存在

 

 引きこもりがちな人には、西成のおっちゃんみたいにいきなり話しかけてくれる人が実は助けになると思ったりする。自分から人と関わりにくい人には、多少強引にでも心の扉が開かれる経験が変化のキッカケになったりする。「ゆるい引き出し屋」みたいな人とうまく出会えたらよいと思う。非日常に連れて行ってくれるメンターのような存在がいたらいい。でも、そのためには色んなところに出かけたりして人との接触機会を増やすのが必要だと思う。

 

9.自分に合う居場所は自分でつくるしかなさそうだ

 

 カントは人を手段にしてはいけないと言った。人そのものを目的とすることが倫理的なのだと。つまり、人そのものに向き合われ、存在が尊重されたり、関係を楽しまれる場が居場所となる。

 

 人が手段としてモノのように扱われるのではなく、贈与や扶助がベースとなる共産主義的な人間関係をユートピアと呼んでみよう。ユートピアは、遠い国や山里の中、どこかの教団や共同体といった特別な所にあるわけではない。何気ない日常やその辺の道端でも、ふとした瞬間に現れたり、間に合わせでできてしまうものである。ただ、キッカケをつくるためには色々試したり、ズレた振る舞いが必要かもしれない。厳しい現実であるとは思うが、自分のユートピアをつくれるのは自分の実践にあると言えそうだ。

 

 

【参考文献】

①D.グレーバー(2009)『資本主義後の世界のために』似文社

②D.グレーバー(2011=2016)『負債論』似文社

③M.モース(1925=2009)『贈与論』ちくま学芸文庫

伊藤亜紗編(2021)『「利他」とは何か』集英社新書

⑤白波瀬達也(2017)『貧困と地域』中公新書

⑥山田広照(2020)『可能なるアナキズム』インスクリプト

社会のすみっこを居場所にする

 

 わたしが「引きこもりアイドル」を名乗って6ヶ月がたった。路上で、看板を立てて知らない人と話したり、投げ銭をもらったりしている。わたしとしては、自宅以外に引きこもれる場所を外につくっている感覚だ。路上に一時的なテリトリーをつくって、そこに引きこもり、たまに通りがかった人が絡んでくれて、孤独を紛らわすというやり方である。蜘蛛の巣をはって、誰かが来るのを待っている感じだ。

 

 最近は、山でとった野草を路上で人にあげたり、いらないモノや食べ物をあげて、お気持ちとして投げ銭をもらうこともある。ただ話し相手になったり、何もしなくてもお金や食べ物をもらうこともある(まぁ、物乞いです・・)。誰かから一時的にでも必要とされた経験、お金や食べ物をもらった経験は、また路上に出ていこうという動機になり、徐々に外でも居場所を増やしていく。街の片隅で出会った人や、たまに会う知人と、その場で一時的な社会(=居場所)をつくる。これを、しょぼい社会参加と呼びたい。「すみっこ暮らし」の実践だ。「すみっこの豊かさ」が伝わればと思う。

 

 

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【会った人】

 

 

 

◉ 海外放浪後に生活保護で暮らすおっちゃんとの交流

 

 今年2月の路上一揆で出会ったおっちゃんが、わたしの路上の居場所をよく通りがかって話をする。生活保護関連の話が多い。おっちゃんもあまり働かず海外放浪を繰り返し、貯金がないから老後は生活保護で暮らしている。わたしのような働けない(半)引きこもりの問題や、社会に適合できない人の事情をよく理解している。国民年金を払っても老後生活できるレベルの額をもらえないということから、「年金は払わずに自己投資に当てたらいい」とよくアドバイスを受ける。笑

 

◉ ギャルに絡まれる

 

 前に若いギャルの女の子に、女装姿がおもしろいから絡まれた。よく、わたしのいるところを通りがかって立ち話をする。わたしが何をしても「かわいいやん〜」と言われて、写真を撮られインスタに載せられる。街で男に追いかけられてウザかったという他愛もない話をして帰っていくこともある。マブダチ認定されている。笑

 

◉ 東大で火炎瓶500本投げたおっちゃんと話した

 

 扇町公園生存権のことをアピールしていたら、60年安保闘争学生運動をしていたおっちゃんに話しかけられた。東大の安田講堂で機動隊に火炎瓶を500本投げたそうだ。でも、機動隊にボコボコにされて3ヶ月入院してしまったそうだ。不動産関連の仕事をしていて、生活保護申請を手伝うこともあるという。「火炎瓶投げるの楽しくなかったですか?」と聞いたら、「楽しかった!」と嬉しそうにおっちゃんは答えた。むかしは、岸信介日米安保という大きな敵がいて、正当な理由をもってみんなが火炎瓶を投げて力を見せつけることができた。今は、火炎瓶を投げるなど外に力を向ける事がしにくいから、生きづらさを解消しようにも力の向け場がないのだと思う。何らかのやり方で自分の欲望や力を表現できて、「心の中の火炎瓶」を投げられることが生きづらさの緩和になるのではと思うんだけどね。火炎瓶の話からドゥルーズ的な欲望論が思い浮かんだ。

 

◉ 京大生に経済学の話をして投げ銭をもらった

 

 夜の三条大橋で「引きこもりアイドル」の看板を出してグダグダしてたら、京大生の人たちに話しかけられ、少しおしゃべりした。経済学部の学生だというので、投げ銭のことをゲーム理論の視点から話してみたら納得してもらえた。簡単に言うと、自分が困った時に知らない人から助けてもらえるなという「信頼」があれば、人は物乞いなどに気軽に投げ銭をするようになるという話だ。自分が誰かを助けても損しないという期待がないと、人は誰かを助けたがらない。という話をしたら、京大生から投げ銭をもらえた。笑

 

 

◉ 自転車で日本一周旅行するお姉さんと話した

 

 夜の路上でひとり寂しく立っていて、思い切って少し離れたところにいるお姉さんに「こにゃちは〜」と手招きしてみた。お姉さんは何だろうと応じてくれて、「引きこもりが路上に出て一発カマしてやろうと思ってます」と言ったら、「うちの兄も引きこもりなんですよ」と言われた。お姉さんはこれから自転車で日本を回るそうだ。テントを積んで野宿でいくそう。野宿旅行や歩き旅の話をして盛り上がった。野宿や旅の話ができる人がいて嬉しかった。投げ銭箱を見て、お小遣いももらった。もう、日本一周から帰ってきてるだろうか?

 

◉ わたしの路上活動は自助グループみたいだと言われた

 

 依存症からの回復や生きづらさの問題に関心のある方に声掛けしてもらった。わたしが、「最近はコロナで自助グループもやってないところが多いですね」と言うと、「ここって自助グループみたいやん?」と返事された。路上に突如現れる居場所のようなもの。それを聞いて、路上で気軽に生きづらさや諸々のことを話せる場をつくることが、自分の回復にもなっているのだと気づいた。

 

◉ 若いアーティストの人たちと路上飲みをした

 

 わたしの路上活動は、花やぬいぐるみでカラフルな場であるからか、アート系の人の目について、立ち寄ってもらいやすい。前に通りがかった方が、路上活動に関心をもって、ここで仲間を集めてダベりたいと言われた。芸術関連の若い人たちが集まって、酒を飲みながらワイワイした。絵やイラストが得意で西成でおっちゃんの似顔絵をたくさん描いていた人とも話ができた。悩める大学院生の方ともお話をした(わたしも大学院ドロップアウトとして話ができた)。

 

◉ おっちゃんがウィッグを買ってくれた

 

 路上にいらないウィッグを並べてたら、たまに気になって立ち寄る人がいる。一人のおっちゃんがウィッグが気になって立ち寄った。女装バーによく行っていて、「わしも女装してみたいんや〜」と金髪のウィッグをかぶって気に入ったようだった。いらないウィッグだからタダであげてもいいのだけど、おっちゃんが「これ、いくらなん?」と聞いたので、「お気持ちでお願いします」と言ってみたら、500円ほど投げ銭をくれた。おっちゃんは昼から飲み屋をハシゴしてて、酔っ払ってできあがっていた。おっちゃんに「おっちゃんの行ってる飲み屋は、引きこもりでも歓迎されますか?」と聞いてみたら、「大丈夫や。俺の名前を出せばいい」と自信満々に言ってたんだけど、大丈夫かな?笑

 

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◉ 路上でニャンニャンしてみたら・・・

 

 路上で通りがかった人にニャンニャン言ってみるとどうなるか?やってみると、面白がってくれる人もいる。通りがかった女性にニャンニャンと言ってみたら、振り返って話しかけてくれた。「あなたは、素晴しい。そうやって人を引き止める才能がある」と言われた。カウンセラーをやっている人で、引きこもりの人の話も聞くらしい。わたしがニャンニャンしてる姿を見て、こんなやり方もあるのかとすごく感動したようだ。「そのうち、いい人に出会えるから、出会いをチャンスに変えたらいいよ」と言っていた。でも、引きこもりの生き方がどうなるかは運ゲーである。だから、わけわからんことをやって、予期しないことを手繰り寄せるのもひとつの手かなとも思う。

 

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◉ 海外の方から1000円もらった

 

 8月のはじめに、四条河原町で路上アイドルとして通行人にあいさつしてたら、一人の男性がニッコリ笑って立ち去った。しばらくしたら、戻ってきて話しかけられた。海外の方で、これから寿司を食べに行くそうだ。わたしの投げ銭箱を見て「この箱なに?Donation(寄付)?」と聞かれた。わたしが、「そうです」と答えると、「なんでお金集めてるの?」と聞かれた。わたしは、「I'm poor.(貧乏だから)」と正直に答えた。すると、その人は財布から1000円取り出して手渡した。「これで、寿司食べなよ」と。大変ありがたい。正直に自分にはお金がないんだと言えば、お情けでお金をもらえることもある。金がないのは恥ずかしいことじゃないんだから、堂々と言えばいいんじゃないか。

 

 

◉ 路上のことは路上の人に聞け

 

 路上でどこで仕入れたのかわからないモノを売っているおばちゃんがいた。話してみたら、路上でモノを売っても警察に注意されない場所を教えてもらった。路上のことは路上にいる人に聞けである。むかしは、東京の路上でモノを売っていたけど、石原都政になってから路上で商売ができなくなったという。路上でワイワイするのが楽しかったと言っていた。夜中も路上にいて、みんなで夜通し酒を飲んでるそうだ。商売そのものよりも、路上で仲間とワイワイすることに楽しみを感じているようだ。

 

◉ 通行人からご飯をもらった

 

 ある日の夕方に王将の袋をもったお姉さんが通りがかって、「餃子おいしそうですね。僕も食べたいな〜」と言ってみたら、お姉さんが振り返って餃子をくれた。その後、チャーハンも持ってきてくれた。「いつも食べてるのでどうぞ」と。ありがたい。お腹が空いたら道の人に声をかけるとご飯がもらえるかもしれないぞ。

 

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◉ 留学生とパーティをした

 

 夏に、路上一揆で声をかけてくれて度々でくわす中国からの留学生と河原でチヂミを食べた。通りがかった人とも話した。この留学生からはご飯をよくもらった。わたしの装いや路上パフォーマンスを面白がってくれる。日本人とはご飯を食べて仲良くなったように見えても、その後に会うキッカケがないと連絡が途絶えてしまうという。日本では人と人とが理由なく気軽に会いにくい。日本人のATフィールドの話になった。

 

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◉ マッチングアプリの男性に振られたお姉さんの話を聞いてあげた

 

  ある日の夜に路上にいたら、突然お姉さんに話しかけられた。緊急事態宣言だから注意されるんちゃうかなと思ったのだが、飲み物を渡されて「ちょっと、わたしの話聞いてや」と言われた。マッチングアプリで出会った男性に振られて、話ができる相手を求めていたらしい。こういういかがわしい系の話は、身内には話しにくいから、わたしのような部外者だと話しやすかったのだろう。「どうやったら恋愛できるかな〜」と言われたけど、「人間関係は折り合いつけることじゃないですかね〜」と、社会と折り合いのつけられない半引きこもり人間が答えてみた。

 

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◉ どろぼう市のおっちゃんを見て思ったこと

 

 西成では闇市(どろぼう市)がやられている。早朝に街の一角で日用雑貨や電子機器、眠剤、違法DVDまで不許可で売っていて、多くの人で賑わってる。たまに、商店街で一人でポツンと雑貨やロキソニンを売っている人にも出くわす。はぐれ商人と言えそうだ。この前は、夜中の12時に商店街でおっちゃんが時計やらを売っていた。そのおっちゃんを翌日の朝も見たので、「おっちゃん、寝たん?」と聞いてみた。おっちゃんは商品は売れないけど、通行人に「買って」と声をかけて露天販売をしていた。おっちゃんと話しながら、しばらくその場にいた。すると、知り合いらしいおばちゃんが通りがかって、おっちゃんはお金をねだっていた。すると、おばちゃんは1000円をおっちゃんにあげた。別のおばちゃんは、玉出で買った食べ物をおっちゃんに分けていた。商売よりも人からもらって得るお金やモノの方が多いんじゃないか?通りがかったお兄さんがそのおっちゃんに向かって、「あんた、生活保護も年金ももらって、まだ金稼ぎするんかいや」と笑いながら声をかけていた。みんな顔なじみでおっちゃんのいるところが話し場になった。おっちゃんはなじられつつも街の中に包摂されている。違法だけど、路上で小商いをすることはおっちゃんにとっては街の人と交流する居場所なのかもしれない。

 

 生活保護の問題は、孤立しやすいことである。それは、「負債」関係をつくりにくいからだと言える。人から贈与が禁止されていたり、ちょっとした売り買いも収入申告しなければならず、贈与返礼・売買がやりにくい。もちろん、投げ銭をもらうのもやりにくい(アマギフくらいか?)。人と人とはモノやお金をもらったりあげたり、貸し借り、売り買いなどを介して関係が継続される。生活保護制度は、そういった人と人との関係をつくりにくくしている。

 

 そのおっちゃんをまた街で見かけたので声をかけてみると、闇市で稼げずにメシ代が足りないと言われて、「1000円貸して」とお金をねだられた。1000円わたしたら、「保護費の支給日に返すから、また来てや」と言われた。こういうやり取りからも、ツケができることで関係が続くのだと思った。まあ、おっちゃんは次会った時に1000円借りたことは忘れてると思う。笑

 

※ おっちゃんからはおすそ分けでアイスをもらった。

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◉ 公園で絵が売れた

 

 8月の終わりに扇町公園で、居場所をつくっていたら、チューハイを飲んでるおっちゃんと目があって、話しかけたらわたしの絵に興味をもってくれて500円で買ってもらった。女装した姿がソフトな感じで話しかけやすいと言ってもらえた。また、路上で何かよく分からない事をやってるのも面白がってくれた。おそらく、絵がよいというよりも、わたしの漂わせていたカオスなオーラで買う気分になったのだと思う。非日常は強い。みなさんも、絵を買ってくださいね。笑

 

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おわり:「すみっこ」はみんなに必要

 

 世間の中や身内には話せないことを、すみっこにいる人には話しやすいというのがある。多忙でしんどめな人も、わたしみたいにぼんやりした人に平和なものを感じて話してみたいと思うそうだ。みんな、「すみっこ」が必要なのだ。人が一時的に羽を休め居場所になるのが「すみっこ」なんだと言えそうだ。