生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

農産物の自給を主張する理由(2) 

 韓国農村で帰農者の有機農業の調査で見聞きしたことから、有機農法や自然農法で作った野菜は、市場で取引するのは避けるべしと感じてしまった。暫定結論は、「商品経済の場で農産物を取引しようというのが問題」。

 

〈事例〉

 「自然と調和した方法で農産物を育て地球を傷つけない生き方」などの理念を実践すべく、有機農法などで農産物を生産し知り合いなどに売っていても、野菜が商品となってしまう以上、消費する側からは「値段が高い」「見た目が汚い」「もっと美味しいものが食べたい」「本当に安全なの?」などの要求が出てくる。  

 

 消費者は安くて健康によく美味しいモノを欲する。なので、有機農産物同士での市場競争が激しくなって、結局、強者だけが生き残って、多くの有機農業家は疲労し消耗戦に陥る。  

 

 農産物を売って生計を立てようとしたら、農産物は商品市場において貨幣で取引されることになる。環境に負荷をかけない農法で育てた野菜は、規格に合わないため農協などは中々取り扱ってくれないという話はよく聞く。

 

 そもそも、農産物自体が市場での取引に弱い。

 

 農産物の販売で依拠するのが商品市場という、モノの取引に貨幣が介在する交換形式であるため。 貨幣の誕生以来、交換形式が「モノ⇔モノ」の物々交換から「モノ⇔貨幣⇔モノ」と貨幣が介在する商品市場での取引が支配的になった。これで、どんな人でも標準化されたモノを定まった価格で購買できるようになる(「貨幣の商品標準化作用」と名付ける)。貨幣はモノよりも常に優位にある。なぜなら貨幣には、どんな商品に対しても兌換性がある(と思われてる)ためで、時間がたっても減価しないため(*1)。  

 

 農産物は、劣化が速く工業製品みたいに規格化が難しいため商品市場での流通には脆弱。形が良くないもの、汚いもの、虫に食われたもの、など規格外の野菜たちは商品の地位から降格され価値の無いモノかゴミとして扱われる。有機・自然農法だったら規格にパスすることは難しくなる。エコ志向の消費者は、いろいろ注文と要求が多く、取引相手にするにはストレスがたまりそう。

 

 

 貨幣稼得手段として有機・自然農業をやるのはしんどいので、自給+αがいいと思う。  

 

 ただ、農家からは、小さくて形が汚い野菜を作ってると「下手くそ!」とバカにされる。山の木の実や植物で自分の飲むお茶とかをつくってると、「カネにならないと」とバカにされる。 現代社会では、商品市場で評価されるモノやサービスを提供できることがヒトとして一人前に扱われる。逆に、市場で価値あるモノ・サービスを提供できない人間はヒトとして扱われない。

 

 自分で作ったモノが商品市場で評価されなくても、自分で育てて食べて楽しんだらいいじゃん。おすそ分けとかしたら人から喜んでもらえることもあるので、近しい人との関係性を楽しめたら十分じゃないかと思う。

 

 Iターン者に多い「自然と人間が共生できる真の農業のあり方を追求し、みんなに食べてもらう」という理念はいいと思うが、自分のつくった野菜が商品市場で評価を受ける必要性はないでしょう。人に食べてもらいたいならタダであげればいい。

 

(*1)廣田裕之(2009)『シルビオ・ゲゼル入門 減価する貨幣とは何か』星雲社