私は、若い人ほど保守やネオリベになびいていくのが理解できない。
若い人ほど、就職難や奨学金などで経済的困難に直面している。
しかし、若い人ほど自助努力や自己責任論を推し進めることに(消極的にでも)首肯し、お互いに競争する社会を形作ることに貢献している。
競争を向上心と呼んだりするが、その向上心とは、自分が社会の中でいい地位を占め競争に勝つことを目的とした、自己利益のためのものではないか?
自分を高めることはいいかもしれないが、それによって何を成し遂げたいのか?
勝ち組の人は、「自分みたいにしたら勝ち組になれるよ。負け組になりたくなかったら自分にならって勝ち組になりなさい」と競争をあおるばかりだ。
勝者がいれば、そこには多くの敗者がいる。敗者が敗者のままのんびり生きていくことを、勝者は「向上心がない」とたたく。
競争をあおるのではなく、お互いに弱さがあれば、その弱さを認め合い、弱いままで連帯できないものか?
競争ではなく、お互いの弱さを認め合い分かち合う交歓。
私は、そういう生き方を韓国の帰農者(田舎に移り住んで素朴に生活する人達)から学んだのだ。