生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

素の自分を公開する。

私は、素の自分を公開してから、周りから人が離れていったが、わずかではあるが、新しい人間関係も生まれた。


「自分はこう生きてます」ということを、面と向かって言うことがしんどい、あるいは面倒なら、ネット上にでも書き散らしておけばいいのではないか。


対面では言うのが野暮ったい自分の情報をネット上に公開して、周りに知らせておくことが、自分に合った人間関係を作るのに有効だと思う。


それで、人が離れていっても、その人は自分にとって重要な人なのだろうか?自分を隠して表面上の付き合いでつながる人間関係は大切なのだろうか?


素のままの自分でいてOKな人を大切にすればよい。

ありのままの自分で生きたい(3)

大学院中退で職歴なしとなると正社員での就職は厳しくなる。


ハンディが大きい分、面接などでの対策を練らなければいけない。

 

それには、相当のタフさとパワーが必要。

 

でも、私にはタフさが無いし、パワーを出すほどのスタミナが残ってない。

 

ストレスがかかるコト避けて、ありのままのに生きたい。

ありのままの自分で生きたい(2)

大学院修士卒で、単純バイトをすることは、もちろん世間体を気にせざるをえない。

 

しかし、体調やメンタル的にしんどい仕事はしたくないという気持ちがある。

それが正直なところ。

 

自分に正直になり、それを公開することは中々勇気のいることだ。

ありのままの自分で生きたい

頑張りすぎる生き方を私はやめようと思ってる。

 

精神障害者であることが理由ではなく、自分に正直になって、ありのままの自分でいたいと思うから。

 

競争したくない。張り合いたくない。意地を張りたくない。


仕事選びでも、やりたい仕事とかはあるが、自分の体調や特性を考えたら、その仕事をこなせるかはハテナである。

 

なので、見栄を張らず、仕事は自分のできそうなコトをやるのが良いのかな。

(都知事選)働く時間を減らしていきたい

私が選挙などで重視することは、候補者が現在の日本の長時間労働や頑張りすぎなければいけない生き方を変革する必要を言及しているかにある。


都知事選で、小池さんがワークライフバランスについて都庁職員から残業ゼロを実施すると言ってるのは大きい。


鳥越さんも、生き方についてもっと言及した方がいい。

 

blogos.com

 

私は、仕事の時間を短くして、仕事から開放された時間に社会活動などに関わり人的ネットワークを広げることが重要だと考える(ブロガーなんかでもよいと思う)。

 

会社人間は人間関係が会社に固定されるため、退職後や無職になった時に人間関係を失うことになる。


孤独は危険だ。
孤独は寿命を縮めるという研究もある。

 


孤独を回避するためにも、仕事以外にいろんな活動をしてネットワークを広げるのがいいだろう。

弱さでつながりたい

またもや、頭が重く体調がかんばしくない。

 

私は、ネット上で自分の弱さを積極的に開示している。

 

弱さの自己開示が必要だと考えている。

 

自分の弱さが他人に見られることで、「社会には弱い人もいるんだ」という認識が広まり、マッチョな社会が少しでも弱さに寛容な社会になっていくと思う。

 

自分の弱さを認め発言することは勇気がいるが、他人にも優しくなれる。

 

そして、弱さでつながることで静かな社会変革もおこせるだろうと思う。

 

弱さを抱えた者が、弱さを抱えたまま、ありのままで生きていける社会が、私の希望する社会です。

 

 

マジョリティの生き方について行けない、しんどさを感じるのなら、マジョリティとは異なった言語コードを使って、自分の生きやすい世界を構築していくしかない。

 

その結果、マジョリティの世界も掘り崩されていく。