生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

肩の力を抜いて生きる

私はニート生活をしているが、しんどさを感じる日々があった。

 

私は、生真面目な性格のせいか、せっかく仕事をせずにニート生活をおくるんだから、たくさんある時間をつかって何かしら有意義なことを成さなければいけないと考えてしまう。

 

しかし、自分が何も有意義なことができていなことに、いらだちを感じ、ストレスとなってしまう。

 

生活はだらしなく、いつも昼の2時か3時くらいに布団から出てくる。病気のせいで過眠になっているのもあるが、「自分、だらしないなぁ」と思い、つくづく自分が嫌になる。

 

昼頃に目覚めてからもパッとせず、1日の大半は悶々としている。ツイッターを見てダラダラしている時間が大半である。

 

理想のニート生活は、朝はちゃんと起きて、本を読み、韓国語の勉強もして、趣味的に絵を描いたり水泳などのスポーツも少しやって、時間を有意義につかうことであった。しかし、そんな立派な生活は全然できていない。

 

理想と現実のだらしない生活のギャップで、自己嫌悪に陥ってストレスになっていた。 

 

 

 

また、オフ会の主催もストレスになっていたようだ。

 

ニートや生きづらさを抱えた人たちの居場所を作りたいと思い、オフ会を開いているが、7回中5回は参加者ゼロで上手くいったとは言いがたい。

 

オフ会で人を集めなければいけないと、ツイッターmixiネット掲示板にオフ会の宣伝をして息巻いていた。

 

しかし、いろいろ労力を使って宣伝した割には、思ったように人は集まらなくて、がっかりして、それがまたストレスとなった。

 

この、オフ会の件でも、せっかくニートになったのだから居場所つくりという意味ある活動がしたいとやったが、オフ会は自分が思い描いていたとおりには上手く行かずに、しんどくなっていった。

 

理想が高すぎるのだ。

 

 

 

人間は、仕事をしていないと負い目を感じてしまうものだ。負い目を感じないために、仕事とは別の何か有意義なことをしなければいけない、と強迫観念的に考えてしまうのではないか。

 

私がそうだった。

 

そして、自分の思うようにコトが進まなくてストレスを抱えてしんどくなってしまう。

 

 

それで、反省した。

 

 

ニートで仕事をしていないことに負い目を感じ、何か特別なことをしなければいけないと思うのではなく、何も成さなくてもいいと思えることで、心穏やかになれるだろう。

 

 

肩の力を抜いて生活したほうがいい。

 

 

 

ニート生活はバラ色ということはなく、灰色の退屈な日々が淡々と続くのだと思っておいたほうがいい。

 

そして、物事はたいていは上手くいかない。上手くいったらラッキーだと考えておく。