生きるための思想

大学院博士課程を中退してフラフラ生きてる31歳の男です。社会学などの知見をもとに市場経済至上主義を批判して、生きづらさをテーマに記事を書きます(低所得、精神障害、非モテetc)。もともとは韓国で農村移住者を研究してた。ゆるく生きたいフェミニンな仲間が欲しいです!ツイッターで思う所をつぶやいてる。

「普通」からの解放

フロイト理論がマルクス主義とちがう点は、マルクス主義が抑圧からの解放をめざすのに対して、フロイトの理論は、抑圧への適応―精神分析医はこれを「治療」と呼ぶ―をめざすことにある。

 

上野千鶴子、1990、『家父長制と資本制』岩波書店、p.5)

 

 

 

ザックリ言うと、私たちを抑圧し苦しめるのは、市場経済ジェンダー規範である。

 

私たちは「家父長的な資本主義システム」によって苦しめられている。

 

マルクスは資本制下における資本家の労働者に対する搾取の構造を暴き出した。市場経済が資本家による抑圧のもとに成り立っていることは明らかだ。

 

だから、マルクスは我々が資本家に命ぜられて渋々おこなう「疎外された労働」ではなくて、支配−被支配の関係のない「自由な労働」を求めた。つまり、「市場」のレベルにおける抑圧からの解放と自由を求めた。

 

しかし、マルクスは「市場」における抑圧を暴いたが、「市場外」の抑圧は手をつけなかった。「市場外」、つまり、「家族」であり「ジェンダー」ある。

 

フロイトフェミニズムにとって欠かせなかったのは、家族を解明するためであった。

 

エディプス・コンプレックス」とは、ギリシャ神話に想を借りたらちもない妄想なのではなく、「息子が父になる物語」なのであり、それを通じて男の子が父との同一化を果たすメカニズムのことである。女性の側から見れば、それは、女児が「男根羨望」を通じて自分の劣等性を内面化し、「性支配」のもとへ組みこまれていくプロセスを意味する。

 

上野千鶴子『家父長制と資本制』p.5)

 

 

フロイトの心理学説は、いかに父と母、息子と娘になっていくかについての物語、つまり、「家族」という制度の再生産のメカニズムについての理論であった。

 

上野千鶴子『家父長制と資本制』p.5)

 

 

 

しかし、フロイト精神分析理論は、抑圧の構造を解明するが、抑圧からの解放を目指さなかったという。

 

私たちは、抑圧からの解放を求めて、ヒステリーのような心身症状を示しても、精神科医は私たちを「患者」として薬漬けにして「痛み」を麻痺させたり、認知行動療法などによって抑圧への再適応を強いる。それが「治療」と呼ばれる。

 

私たちが受ける理不尽に対して抵抗せず、私たちが感情を押し殺して適応するのが穏当であると見なされ、精神分析における治療はそれを手助けするもののように思われる。

 

抑圧に順応できる個人をつくることで、社会に対する牙を削ぎ落とすことは、個人の魂をつぶすことである。

 

「普通」の生き方ができない者に対して、「普通」を迫るというのは抑圧的で暴力的である。

 

仕事ができることが「普通」とされ、ジェンダー規範においては、恋愛ができたり結婚できたり子どもを育てることが「普通」だとされている。

 

「普通」に生きられずに、「普通」の社会通念に従えないから、それによって他者から見放され、苦しさを感じる人に対して、「普通」になることで社会への再適応を強いるのはファッショ的である。

 

 

しかし、世の中が求める「普通」とは、家父長的な資本主義を存続させるために要請されることである。

 

労働をして国家に税金をおさめ、結婚して子どもを生んで資本主義存続に必要な労働力を再生産させる必要がある。

 

全体のシステムを存続させるために「普通」の生き方を個人が強いられているのだ。

 

「普通」に潜む抑圧の機制を暴き出し、私たちは抑圧からの解放を求め、時に闘い、時に逃げることが必要である。

 

 

 

家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平

家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平