生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

西成で0円マーケットをしました

たびたび西成に行っている。

 

今、日雇労働者の街である西成は再開発問題で揺れている。

 

3/31に閉鎖予定だったあいりんセンターは、活動家や労働者の抵抗により一階部分は開放されている。ここで寝泊まりしている野宿生活者の方がたくさんいる(90名ほどという報告も)。

 

センター開放闘争についてに記事。

https://antigentrification.info/2019/04/11/20190411agic/

 

貧困層が集住する地域が再開発され、街が小綺麗になったり地価が上昇することでそれまで住んでいた生活困窮者(生活保護受給者、低所得者、路上生活者など)が地域から追い出される現象は、ジェントリフィケーションと呼ばれる。

 

都市研究者である原口剛さんは、ジェントリフィケーションについて以下のように述べている。

 

「それまで貧しい労働者階級が住んでいた場所に、富裕層、ミドルクラスの人たち、それまで見られなかった人たちが次々と流入し、住み始めてくる。そして老朽化したぼろぼろの建物が次第に高価なものになっていき、家賃がどんどん上がっていく。 そうすることによって、それまでそこになんとか住まいを見つけていた労働者たちが住めなくなり、だんだんとそこから追い払われていく」

 

https://ja.scribd.com/doc/242577280/%E3%82%B7-%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

 

 

 

2月頃、早朝のあいりんセンターに行ったことがある。

センターの一階の吹きさらしの広場や、二階の建物内部で野宿していた人がたくさんいた。

 

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早朝のセンター1階。野宿している人の多さに圧倒された。

 

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センター二階部分。外気にさらされないので野宿している方が多かった。

 

あいりんセンターは野宿生活者にとっての最後の砦である。 そこに野宿してる人たちへの生活保障をしないまま、一方的にセンターを閉鎖しようとするなんて、「人でなし」という言葉以外出てこない。

 

 

●0円マーケットを主催

センターに来る野宿生活者の方たちに無料でいらない衣服をもらってもらおうと4/17(水)の午後に0円マーケットを主催した。

 

私が見てない間に衣服がいくつか貰われていったよう。よかった。

 

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センター内部で0円マーケット。衣服を供出した。

 

●西成の街めぐり

 

西成は安くて楽しい。最近はユーチューブで紹介され西成に行く若者が増えたそうだ。私もたびたび、ホルモン屋で食べたり、ドヤで泊まったりしている。

 

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西成の立ち飲み屋や食堂のメニューにはホルモンがある。写真はヤマキ鉄板焼き。ほかにもマルフク、、JR高架下の岩田屋食堂、などある。一人400円もあればホルモンやレバーをつつける。

 

 

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1泊1300円のドヤの様子。トイレや廊下にある灰皿のヤニの匂いが少し気になった。静かに過ごせる。

 

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商店街入り口の横にあるスーパー玉出。店の前に長細い台がありおっちゃんたちの酒盛り場になっている。惣菜が安い(カツ丼300円とか)。萩之茶屋丼なる惣菜もあった。

 

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西成にはワンカップ酒の自販機がたくさんある。おっちゃんが酒盛りしていることが多い。ここで酒を買って三角公園などで飲むなども西成の日常である。

 

 

●資本主義と貧困を考える

 

また、先程の講演の記事で、原口剛さんは、寄せ場と開発の歴史について以下のように指摘する。

 

釜ヶ崎とオリンピックの話っていうのは本当に重要なポイントだと思うんですね。特にこれは西成特区とも絡むんですけど、特区構想がはらむ様々な問題のひとつは釜ヶ崎の労働者の文化、日雇い労働者の記憶、あるいは釜ヶ崎の街としての記憶が単なる “問題地域” という一言で、あるいはイメージが悪いという一言で片付けられ、あまりにも軽く考えられてしまっていることです。つまり記憶の重層性、本来その街が持っているはずの重層性が見落とされているというのが、とてもまずいことだと思います。 釜ヶ崎の街は今単身の男性の労働者がほとんどで、そして労働者が高齢化していて、長期的には街の人口が激減していくだろうということが当たり前の初期設定としてイメージされています。 しかしそこからさらに問いを深めていくならば、なぜ釜ヶ崎が単身労働者の街になったのかということです。昔はそこには、例えば「じゃりんこチエ」や「あしたのジョー」の漫画を見たらそうですけれども、子どもがたくさんいるという姿が当たり前にあったはずなのです。しかしそれが単身労働者の街として塗り替えられていったんですよね。 何のために塗り替えられていったのでしょうか。1970年代に大阪の地で万博が開催されました。当時まだ若かった単身男性の日雇い労働力を大量に確保しておかないと会場の建設が間に合わない。そのために釜ヶ崎は単身男性労働者の空間へと、日雇い労働者の供給点へと変えられていった歴史があるんですよね。 そういう歴史があって今現在の議論が行われているということを考えると、これを当たり前の環境として措定するわけには決していかないでしょう。そうじゃないと資本主義が刻み込んできた戦後史の様々な物事に対する反省的な視点というのを僕らはごっそりと見落としてしまうからです。 目の前に東京オリンピックがあるという時に、こういった歴史の抹消によって本来活かされるべき反省的視点が未来に繋がっていかないこと、そこが一番まずいところなんです」

 

釜ヶ崎などの寄せ場が戦後の開発における労働力の供給源となり街の人口構成をも変えてしまった。寄せ場から送り込まれる先は、建設現場、原発など国の開発の最前線であっただろう。日本の資本主義はその発展のために低賃金労働力を必要とした。労働者は路上生活をおくったり、ドヤ、安い住居に住み、その日暮らしの生活をおくれるだけの賃金しかもらえず貧困から脱出できない。資本主義の発展の過程で、資本は貧困層貧困状態に置くことで、貧困層を労働へと駆り立て安価な労働力として延々と使い続けた。それが寄せ場の貧困の歴史であろう。そのような歴史の省察もないまま、「問題地域」として眼指され開発の標的にされている。釜ヶ崎を通して資本主義の歴史を振り返り、都市における貧困地域のあり方などを考えていかなければならないはずだ。