生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

引きこもりをこじらせないために

私は現在、半引きこもり生活をおくっているので、引きこもりについて気になって斎藤環氏の本を借りて読んでみた。

 

以下、『ひきこもり文化論』(ちくま学芸文庫)、『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(ちくま文庫)を読んで目に止まったことを書いていく。

 

不登校に関しては、「どうしたら学校に行けるようになるか」、引きこもりに関しては、「どうしたら社会参加できるか」に焦点が当たってしまうが、それらは別にどうでもいいことだという(『「治る」のか?』、p.34)。

 

斎藤氏は、「仕事に就くか否かといった問題は、今の社会にあってはほとんど「趣味の問題」ではないか」と述べている(『文化論』、p.227)。

 

一番大事なのは、「どうすれば本人がよりくつろぐことができて、最終的には元気になれるか」(『「治る」のか?』、p.34-35)であると斎藤氏は述べる。

 

 

 

ただし、引きこもっていても、家族以外の対人関係は必要だとする。

 

親密な他者が一人でもいたら大丈夫ということらしい。

 

対人関係が一人かゼロかでは生き方に大きな差が出てくるといい、対人関係がゼロの場合は生きるのが相当きつくなるらしい(『「治る」のか?』、p.43)。

 

しかし、現実には引きこもりが長期化すると対人関係がなくなってしまうケースが多いと思う。

 

私には親密な他者は同居人しかいない。家族以外での人間関係は一応あるが、社会的に孤立しているのは否めないだろう。オフ会などで友人を作っていきたいが。

 

phaさんなど友達の多いニートは羨ましい。

 

 

また、ひきこもりにとって「出会い」が大切だというが、出会いは人以外のものも含むという。

 

「人はみずからにとって大切な対象に出会い、それを愛することによって成長していく」(『文化論』、p.230

 

引きこもっている生活にも「出会い」はあるという。夢中になれる趣味などの出会いも立派な「出会い」であるという。

 

「ひきこもりながらも趣味に没頭する生き方は、愛すべき対象との出会いに満ちています。あるいは、何かを創造したり、鍛錬したりするとこ。その過程は、みずからの内なる他者とのリアルな出会いにほかなりません」(『文化論』、p.230-231

 

何らかの趣味や没頭できることがあれば、引きこもり生活でも人間的な成長ができるということか。

 

また、読書が好きな人は引きこもりから抜け出やすいという。

 

さらに、引きこもりをこじらせるのは、本人が自分に対して否定的なイメージをもってしまう時だという(『文化論』、p.234)。

 

引きこもり生活で辛くならないためには、何か自分が自信をもてることに没頭するなどして自己肯定感をもっておくことが重要なのだろう。

 

以上、引きこもるためのノウハウを斉藤氏の著書に基づいて書いた。

 

 

引きこもり生活をしんどいものにするのではなく、「元気に引きこもる」ことができて、引きこもりを「そろそろ抜け出したい」と思った時に困難なく抜け出すことができるようになればよいのだと思う。

挫折の始まり

私は、大学4年生になっても進路を決められずにいた。

 

進路のために何もしておらず、旅行に行ったり、サークルで遊んだりとテキトーな日々を過ごしていた。

 

当初は大学院に行って勉強を続けようかと漠然と考えていたが、大学院の準備もろくにできていなかったので、仕方なく、一年休学して就活をすることにした。

 

新聞社に就職したいと思っていた。しかし、バイトで時間を取られたり、自分の怠け癖のせいで、新聞社の入社試験の対策は全く手につかなかった。面接も全く準備不足でまともなことを何も言えなかった。

 

面接では、「社会をよくするために社会問題を提起する新聞記事を書きたい」と言ったが、面接官からは「社会をよくしたいなら国会議員とかになればいい」と一蹴されてしまった。

 

せっかく休学してまでやった就活はあっけなく敗北した。

 

情けなくなり、自分を責めた。なぜ、自分は目標を達成するために努力ができないのだろうかと。

 

就活から逃げて、もう2年ほど勉強しようかなと思い大学院への進学を考えた。

 

大学院の入試は何とかクリアーしたが問題はそれからだった。

 

卒業論文を書いている際に自分の能力不足に直面したのだ。

 

自分には、文献を読む能力や、文章を書く能力、論理的に考える能力などが全く無いことを知り愕然とする。

 

こんなんで大学院でやっていけるんだろうか?就活に失敗して大学院でも失敗する羽目になったら、もうおしまいではないのか?

 

そのような不安に苛まれ、パニックに陥る。

 

自分が大学院でも失敗して完全に負け組になったら、周囲からも笑われるのでないかというプレッシャーがあった。自分はそれだけプライドが高くて、周りからの評価を過度に気にしていた。

 

 

そのころから、ストレスからか頭痛や無気力状態がおこり、文献を読むことや文章を書くことがしんどくなっていた。考えることもしんどくなった。

 

この頃から、過度な飲酒が状態化し、アルコール依存に陥るようになった。

 

夜になると焼酎500mlのパックを一箱開けるような飲み方をしていた。朝には二日酔いでしんどかった。

 

こんな生活パターンで、まともに論文が書けるはずはなかった。なんとか卒論は書いたものの内容は薄っぺらいもの。

 

卒論を終えたのはいいが、状況は改善せず大学院生活もボロボロな状態になる。

 

(続く)

 

 

nagne929.hatenablog.com

 

高等遊民

私は大学院修士までとったのに、ニートとは誠に情けない。職歴が無いので、単純肉体労働にしか就けず、労働意欲を完全に失ってしまった。

 

ニート生活を続けていて、高等遊民という言葉が皮肉に聞こえてくる。

 

高等遊民とは、大学などで高等教育を受けた後も、ろくに仕事をせずに、読書や芸術鑑賞など文化的な趣味に毎日を費やす者たちである。

 

家が裕福で働かなくても親の財産などで生活できる恵まれた人たちである。

 

明治後期から昭和初期に、高等遊民と呼ばれる若者が増えて(毎年2万人〜25000人とも言われた)、社会現象となった。

 

当時の高等遊民ならびに大卒無業者の増加の背景には、大卒(当時は3%)でも就職難であったことや、軍国主義的な社会の雰囲気に適応できずに社会参加できない者がいたという事情があったという。

 

現代も、就職難であり、戦後は軍国主義の替わって労働至上主義が蔓延する社会になり、そういった労働環境について行けなくてニートになってしまう者がたくさんいる。

 

高等遊民がどのようなものかは、夏目漱石『それから』に出てくる代助が代表的だろう。

 

30歳になって仕事をせずぶらぶらしている代助に対して父親は忠告する。

 

「少しは人のために何かしなくては心持ちの悪いものだ。お前だって、そう、ぶらぶらしていて心持ちの良いはずはなかろう。そりゃ、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んでいて面白い理由がない」

 

「三十になって遊民として、のらくらしているのは、いかにも不体裁だな」

 

この父の言葉を聞いて代助は以下のように思っている。

 

“代助は決してのらくらしているとは思わない。ただ職業のために汚されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考えている丈である”

 

「働くことは、負けである」

テレビであるニートが言っていた言葉が思い返される。

 

私も労働なんかせず、語学の勉強や読書などをしていたい人間なので、代助と同じ心理をもっている。

 

また、高等遊民は、当時、危険思想とされた社会主義共産主義アナーキズムに馴染みやすく社会を紊乱させる存在とみなされた。

 

私も、労働は人間から優しさや思いやりを奪うものとして労働批判をしている。こんな考えでは労働を通した社会参加なんてできない。

 

以前の私は、労働教に完全に染まっていて、マジメに努力することを信条としていた。

 

しかし、大学院での研究の失敗、体調不良、アルコール依存症躁うつ病、仕事が続かない、などがこの3年間におこり、完全に社会で戦う意欲を消失してしまった。

 

そんな中、今は働く意欲が沸かないので、2ヶ月ほどニート生活をしている。

 

誰か、養ってくれる人が現れないだろうか・・

ブラブラして生きていくには

『脱資本主義宣言』で有名な鶴見済さんが324日にツイートした内容

 

「学校や会社に頑張って通って死ぬほど疲弊するか、あるいは引きこもるか。概ねこのどちらかしかべない状では、いずれにせよ幸せにはなれない。ブラブラしながらそこそこ生きていくという「もうひとつの生き方」を作ることが最大の課題

 

ブラブラしながらそこそこ生きていく。

 

これが中々難しい。

 

実家暮らしなどであれば、月5万も稼げばいい生活ができる。

 

しかし、一人暮らし(シェアハウスでもいいが)となり家賃や水光熱費が発生すると途端に生活は苦しくなる。

 

家賃が2万円ほどでも、月収9万円くらいが必要だろう。

 

17000円のバイトだと週34日働くことになる。

 

バイトなど単純労働で週4で仕事をすることに耐えなければいけない。前回の日記にも書いたが私はとても耐えられない。

 

ブラブラしながら生きれるのは実家暮らしの人、ヒモの人に限定されるだろう。

 

実家暮らしでも、ブラブラしているには家族の理解が必要だろう。だから家庭環境にも恵まれていなければいけない。

 

ヒモなどで人に養ってもらう人は、人から好かれる能力が無くてはいけない。特に異性から援助されるためには相当の人格が必要となる。

 

結局、ブラブラしながら生きるのも、実家暮らしができるなど環境が恵まれているか、ヒモになることができる人に好かれる特別な能力があるかが条件だろう。

 

 

 

しかし、なんとかブラブラしながら生きていきたいものだ。

 

仕事をしないためには生活費を減らさなければいけない。

生活費の中でカギを握るのは食費だ。

 

私は、食費が月3万くらいだ。

 

しかし、食費を月1万くらいで生活している人もいる。大原扁理さんのように粗食を実践している人は食費は安い。

 

しかし、過食気味の自分は食費を削ることはしんどい。腹が減って耐えられない。何とか食費を減らしていきたいとは思っているが。

 

食費を減らすことができれば週3労働でもやっていけそうである。

 

ブラブラしながら生きるには、食費も重要となる。

 

 

 

ブラブラしながら生きていける人の条件は以下のようになる。

 

・実家に住める恵まれた環境にいる人(働かないことに家族の理解がある)。

・ヒモなどができる才能がある人。

・食費などが節約できる自己管理能力がある人。

 

結局、環境が恵まれているか才能や能力がなければブラブラできないということになる。

プレカリアート

Wikipediaに載っていた学歴難民という用語を見て自分のことだと思った。

 

「学歴難(がくれきなんみん)は、主に一流や難関と言われる名で有名名高い大学大学院を卒しておきながら、をしても一流(と言われる)に就できず、無職プレカリア非正雇用)になったり、希望するや自身のプライドのす地位に就けず不本意いられたりしている人々をいう」

 

私は、大学院博士後期課程を病気で辞めて以降、底辺のバイトを転々としている。どれも最低賃金に近い単純作業である。もちろん不本意だ。

 

まさにプレカリアートである。今はニートであるが。

 

私は正社員になるつもりはなくパートで働きたいが、事務作業などの仕事には応募しても受からない。書類選考で落とされてしまう。

 

なので、肉体労働か単純作業に甘んじるしかない。

 

しかし、そういった仕事は長続きしない。

 

単純作業ができるようになっても何の満足感も得られないし、先の展望がない。そんなことを思うと、全く仕事をする意欲が沸かないのだ。

 

人間は今やってることが将来何らかの役に立つという希望がなければ、何もできなくなるのではないか。

 

肉体労働や単純労働以外にできる仕事はないが、それらの仕事には希望がもてず続きそうにない。

 

八方塞がりである。

80年代の韓国ソング

재 취미는 K-POP를 듣는 것인데 특히 80년대 노래가 좋아합니다.

 

私の好きなことはK-POPを聞くことであるが、特に好きなのは80年代のK-POPである。

 

歌に影があり渋いのだ。

 

こういった趣味はマイナーすぎて誰もわからない。

 

日本人で知ってる人は指で数える程度だろうが。

 

 

 

①ナミ『悲しい人縁』

www.youtube.com

 

 

②李ウナ『微笑みを浮かべて私を見送る姿のように』

www.youtube.com

 

 

③ウォンジュニ『愛はガラスのようなもの』

www.youtube.com

 

 

④チェホソプ『季節が過ぎれば』

www.youtube.com

 

 

⑤ジャンヘリ『私に残った愛をあげます』

www.youtube.com

派遣で酷い目にあった。

昨日は、1ヶ月半ぶりに仕事をしてきた。

クロネコヤ◯トの引越し部門での1日の派遣だった。

 

とにかく酷い目にあった。社員が酷かった。

 

年下の社員にちょっとしたことでもめちゃくちゃ怒られる。しかも、常に威圧的な態度と言葉で接してくるからホントに不快でうんざりした。

 

派遣ではじめて現場に来て何もわからない相手に対し容赦なかった。

 

年下の社員はタメ語でいつも命令してきた。

育ちが悪いのであろう。まともな礼儀がない。

 

私は年上、年下関係なく仕事など公の場では両者ともお互いに敬意を表して丁寧語を使うべきだと考えているのだが。

 

 

こういうブラックな労働の場では、目上の者は目下の者に対して指導と称して威圧的な態度で相手を支配するやり方が横行している。

 

恐怖による支配である。

 

恐怖による支配で、仕事ができるようになるのか?恐怖と緊張のあまり、心の安定感をもってちゃんと仕事ができるのか?

 

また、恐怖による支配によっては、人として大切な思いやりや優しさは育まれない。人間的な成長は望めないのだ。

 

仕事や部活となると、人間は鬼畜に変わってしまう。

 

労働は諸悪の根源だ。

 

仕事ができるかどうかが唯一の価値尺度となり、人の感情などは価値のないものとして扱われる。

 

また、仕事ができない人間には指導と称してイジメにも匹敵するような酷いことをしてもいいとなる。

 

労働は人から感受性を奪い、イジメを容認している。

 

 

 

なんだか、今回の派遣で精神的にダメージを受けて、労働意欲が失われた。

 

仕事は人間の基本だというが、働く意欲を失わさせる社会って何なんだよ。

 

もっと働きやすい社会にならなければならない。