高等遊民
私は大学院修士までとったのに、ニートとは誠に情けない。職歴が無いので、単純肉体労働にしか就けず、労働意欲を完全に失ってしまった。
ニート生活を続けていて、高等遊民という言葉が皮肉に聞こえてくる。
高等遊民とは、大学などで高等教育を受けた後も、ろくに仕事をせずに、読書や芸術鑑賞など文化的な趣味に毎日を費やす者たちである。
家が裕福で働かなくても親の財産などで生活できる恵まれた人たちである。
明治後期から昭和初期に、高等遊民と呼ばれる若者が増えて(毎年2万人〜2万5000人とも言われた)、社会現象となった。
当時の高等遊民ならびに大卒無業者の増加の背景には、大卒(当時は3%)でも就職難であったことや、軍国主義的な社会の雰囲気に適応できずに社会参加できない者がいたという事情があったという。
現代も、就職難であり、戦後は軍国主義の替わって労働至上主義が蔓延する社会になり、そういった労働環境について行けなくてニートになってしまう者がたくさんいる。
高等遊民がどのようなものかは、夏目漱石『それから』に出てくる代助が代表的だろう。
30歳になって仕事をせずぶらぶらしている代助に対して父親は忠告する。
「少しは人のために何かしなくては心持ちの悪いものだ。お前だって、そう、ぶらぶらしていて心持ちの良いはずはなかろう。そりゃ、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んでいて面白い理由がない」
「三十になって遊民として、のらくらしているのは、いかにも不体裁だな」
この父の言葉を聞いて代助は以下のように思っている。
“代助は決してのらくらしているとは思わない。ただ職業のために汚されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考えている丈である”
「働くことは、負けである」
テレビであるニートが言っていた言葉が思い返される。
私も労働なんかせず、語学の勉強や読書などをしていたい人間なので、代助と同じ心理をもっている。
また、高等遊民は、当時、危険思想とされた社会主義や共産主義、アナーキズムに馴染みやすく社会を紊乱させる存在とみなされた。
私も、労働は人間から優しさや思いやりを奪うものとして労働批判をしている。こんな考えでは労働を通した社会参加なんてできない。
以前の私は、労働教に完全に染まっていて、マジメに努力することを信条としていた。
しかし、大学院での研究の失敗、体調不良、アルコール依存症、躁うつ病、仕事が続かない、などがこの3年間におこり、完全に社会で戦う意欲を消失してしまった。
そんな中、今は働く意欲が沸かないので、2ヶ月ほどニート生活をしている。
誰か、養ってくれる人が現れないだろうか・・