生きるための思想

大学院博士課程を中退してフラフラ生きてる31歳の男です。社会学などの知見をもとに市場経済至上主義を批判して、生きづらさをテーマに記事を書きます(低所得、精神障害、非モテなどの弱者問題)。もともとは韓国で農村移住者を研究してた。金のかからない歩き野宿旅をしている(有料記事ノート https://note.mu/guide)。ツイッターで思う所をつぶやいてる。

結婚制度を問う

 

1.結婚制度は差別を生み出す

 

私は結婚制度を廃止すべきと主張する。

結婚こそ既婚者と非婚者の間に差別を生み出している。

人間関係にはいろいろあるが、性愛で繋がる関係やそこから生まれる親子の関係こそが最も深い人間関係であるという考えが支配するのはなぜなのか。

 

そもそも、人類は子孫を残し存続すべきだという論拠もわからない。地球に大きな環境的負荷をかける人類が滅ぶことは、他の生物にとって願ったり叶ったりのことであるかもしれない。


さらに、「性愛で繋がる二者とその子ども」だけを家族の単位として、制度的な優遇が与えられている。

 

結婚しているというだけで、税金の控除を受けたり、国民年金第三号被保険者として年金保険料が無料になったりする。

 

いかに仲の良い同性の人間関係であっても、扶養されていることで国民年金が無料になることはない。

 

その他にも結婚による利点とされるものは、シングル単位社会を提唱するの伊田広行によると、

 

「死んだ人の遺産を相続する権利を獲得できます。相続税・贈与税上の優遇もありますし、子どもを嫡出にできる、性行為をすることが社会的に承認される、重婚・姦通・不倫を排除(批判)できる、離婚妻・寡婦に保護がある、住宅獲得の際に有利になる、慶弔金(休暇)、結婚手当(休暇)、銀婚式賞与、子どもへの入学・進学手当、出産手当、家族入院手当などを得られる、介護や病院つき添いの権利(休暇、休業手当金)があるなどのさまざまな利点があります」

 

伊田広行、2008、『「まだ結婚しないの?」に答える理論武装』、光文社新書、p.146)

 

 

「まだ結婚しないの?」に答える理論武装 (光文社新書)
 

 

「これらは裏を返せば、結婚制度に入っていない者への不利益(差別)とつながっている」(ibid、p.146)のである。

 

「結婚して有利になるということが、同時に結婚しない人を不利にしているということ」(ibid、p.145)を意識しておかなければならない。

 

また、結婚によって理由のない社会的信用も生まれる。結婚は人格と結びついているとされる。結婚して家庭をもつ者が一人前として社会的に高く評価され、結婚していない人が半人前と言われたり差別されるのである。

 

結婚していても、人間的絆が切れて破綻した二者関係もたくさんある。結婚した者が人格的に優れているなんて保証はない。

 

 

2.経済と権力により強制される異性愛主義

 

M.ファインマンの言うとおり、私は夫婦や男女カップルを否定しているわけではない。それが、制度的に保護され正統とされる特権的なかたちであることを問題としている。

 

同性愛者どうしには一部を除き結婚は認められていない。結婚には愛だけではなく、生殖が発生しないといけない。つまり、子どもという将来の労働力を生み出すから制度的に優遇するということである。このことから、結婚制度が権力の側が必要とするものであり、資本制を支えてきたシステムだということがわかるはずだ。

 

そういったエコノミクスと人口増大の観点をベースに、男女の生殖をともなう二者関係を近代社会は人間関係における最上位の関係として位置づけてきた。これは、男女はつがいにならなければいけないという対幻想であり、「強制異性愛主義」を導く。近代社会が強調した異性愛主義によって、生殖をともなわない同性愛が「異常」とされてしまうのである。異性愛主義は差別をも生み出しているのである。人間関係において優劣をつけるシステムであると言っていい。

 

 

3.結婚制度がなくなれば暴力を容易に裁ける

 

フェミニストは100年以上前から結婚制度が虐待と暴力の温床であると言い続けてきた。男性を妻子の上に君臨する一家の頭とみなす、不平等で権力支配構造を持つ制度がそうなるのに何の不思議もない。制度的遮蔽が取り除かれるなら、社会のあらゆる成員の相互関係を規制する同じ基準で、あらゆる行為を裁けるようになるだろう。

 

(M.ファインマン『ケアの絆』p.127)

 

 

例えば、夫婦間の暴力(物理的でなくても)や、一方的なセックスは、「夫婦だから多少は我慢すべきだ」と多くの女性が忍従を強いられることも多い。家族という「私領域」には外部の者が立ち入ることも難しかった。結婚制度がなくなれば、こうした行為を容易に告発し犯罪化して法で裁くことができる。

 

 

この見方による結婚制度廃止の実際上の意味とは何だろうか。結婚が法的地位を失うために夫婦間のセックスには強姦が成り立たないという抗弁が使えなくなる。さらに、一部の暴力行為を、“家庭内”暴力と表現し、家庭外の暴力に比べれば深刻ではないかのような言い逃れもできなくなる。あるいは、他人どうしなら許されないのに、家族だからと野放しになっていた行為について、性的関係にある一方から他方に損害賠償請求ができる法理すらつくられるかもしれない。相手を情緒的・心理的に傷つけることが、故意による不法行為とされ、(ストーカー行為などの)ハラスメント、言葉による暴力、心理的虐待を禁じる基準を、他人だけでなく性的親密関係者にも適用できることになるだろう。

 

(M.ファインマン『ケアの絆』p.128)

 

 

 

 

ケアの絆―自律神話を超えて

ケアの絆―自律神話を超えて

 

 

 

 

 

結婚制度により、結婚しない者が不利になるのなら、そのような現行の結婚制度は民主的ではない。暴力も「結婚」の名のもとに沈黙を強いられることもある。差別意識をまず無くすためにも、私たちの結婚に対する特権的意識が変革を迫られなければいけない。

 

次回は家族について話そう。