生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

性差別と生存権

 生存権の保障は経済基盤が脆弱になりやすい女性にこそ求められる。資本主義のシステムにおいては女性が不利な立場におかれる。労働がジェンダー化されており女性を低賃金・構造的劣位の地位に押し留めている。このため女性が経済力をもつのが難しく、女性が男性に経済的に依存する状況がなかば強制され女性が自立できなくなる。生存権の保障により個人の経済的自立を達成することで他者への従属が排除され、個人の自由が確保される。生存権に基づく生活保障がなされることが性差別の解消に寄与する。

 

・女性の仕事は安くてキツイ

 

 育児(保育)・介護・看護など女性ジェンダーがつきまとう労働は賃金が低く抑えられる。女性が担う労働とみなされているがゆえに賃金が低いのである。これらの仕事は家事や育児など無償労働の延長として見られ二流労働として扱われる。ケアは女性が無償で提供すべきというジェンダーロールがあるため、それらを労働化したら安価になってしまうのである。保育士資格をもつが実際に保育士として働いている人は5割程度である。安すぎる給与水準であるにもかかわらず重責を任されるなど労働条件が悪いため保育士の就業希望者が少ないのだという。待機児童問題は保育士不足が大きな原因であるが、保育士の労働条件が悪いという職業におけるジェンダー差別が保育士不足をもたらしているのである。介護士不足も同様に低賃金問題に起因している。

 

・キャリア女性も困難である

 

 男女雇用機会均等法の成立以後に、女性にも総合職という働き方が広がるようになった。それまでは企業に入社する女性は男性社員を和ませる「職場の華」という位置づけであり、男性社員の花嫁候補であった。女性が企業の中でキャリアを積むことは念頭に置かれてなかったのである。女性にとってもOLという立場は結婚までの腰掛けとして機能していた面もある。均等法の成立以後、女性にもキャリア社員となる道が開かれたが、女性社員は男性並みの働きぶりを期待されつつも女性として男性社員に気配りする能力も求められる。女性社員を男性社員の補助的な立場におしとどめるジェンダーロールも根強い。まだまだガラスの天井は分厚く、女性が企業の重要ポストに就く機会は十分に開かれてない。育児・家事が女性に求められるジェンダーロールは根強く女性は育児などに時間を取られて男性社員並に働けない現実もある。

 

 そもそも、総合職は男性に有利な働き方である。総合職=年功システムとは家族主義(=性別役割分業的な発想)に基づく雇用形態である。年功システムは家族賃金制を採用しており、給与取得者が家族全員を養うことを前提に給与水準が設定されている。比較的高い給与を得られるかわりに一日のほぼ全ての時間を労働に費やすことを求められる。このような仕事一辺倒の働き方は労働者のケアや家事を担う配偶者の存在を前提としている。男性は仕事/女性は家事というジェンダーロールがまだ強い中、総合職社員には男性が多くなり、総合職男性の妻となった女性は家庭に入り家事・育児の担い手となる。総合職的な働かせ方とは企業のために生活の全ての時間を捧げる男性と、その男性を家事によって支える女性の存在がいることで成り立っている。女性が総合職となり男性社員と伍して働こうとしても、妻が何でも世話してくれる男性社員と同様には働きにくい。総合職は男性優位の働かせ方であり、女性が勝ち残れない仕組みとなっている。このため、女性は働き続けることへの意志を冷却させられ結婚することに希望を見出すのである。女性の専業主婦志望者は現代でも多いのである。

 

 家族において「夫が仕事/妻が家庭」という役割分担となっても夫婦で話し合って決めたのならば民主的だと言えるだろうか?否である。男女の賃金格差が大きく、企業における昇進システムも男性優位になっており、職場環境やビジネス慣行は男性的にできており、女性が働くには不利である。女性が男性集団の中で働くことで感じる居心地の悪さ、女性ということで見くびられたりセクハラを受けること、妊娠中や育児中における女性の働きにくさと周りの無理解や嫌がらせ、などなど労働において女性の置かれる条件は悪い。結婚をする際に男女のどちらが離職するかとなると女性が働き続けるより男性が働き続けたほうが経済的なメリットとなるため、大抵は女性が職をやめ家庭に入ることになる。社会における性差別構造によって性役割分業(男は仕事/女は家)が強制されている。民主的な家族というのは幻想である。

 

生存権の保障は支配/従属の関係からの解放をもたらす

 

 以上、述べたようにジェンダー化された労働システムにおいては女性が不利になる。そもそも資本主義というシステム自体が本質的に女性差別を生み出すのである。「生む体」をもつ女性は労働生産性において不利であり二流労働者の地位に陥りやすい。資本主義の中で男女が非対称的な労働者となり、ジェンダー構造上不利な立場におかれる女性は貧困に陥りやすい。貧困になり経済的自立ができない者は誰かの経済力に依存せざるを得ない。ここに、経済的に弱い女性が経済力のある男性に依存・従属する仕組みができあがる。つまり、結婚が女性にとっての生活保障として機能しているのである。結婚して家庭内暴力などが起きてもすぐに離婚ができないのも女性が経済的自立しにくく福祉など生活保障(生存権保障)が乏しいからである。このような性差別構造がある中での結婚システムは男性に女性を従属させるように機能している。

 

 貧困は自立の妨げになる。経済的な自立ができないことで誰かの経済力に依存せざるを得ないからである。経済力の格差は権力勾配を生み出す。養う/養われるという関係は支配/従属の関係を生み出す。生存権の保障はこのような支配/従属の関係を解消する。つまり、自由が保障されるようになる。

 

 日本における社会保障は個人単位ではなく家族単位でなされ、一人一人が経済的に自立することを目指すのではなく家族単位で経済的に充足していればよいという発想である。この発想では家族の中の個人の貧困が見逃されてしまうし、問題化もされない。実家ぐらしの引きこもりやフリーター、経済的ネグレクト、主婦の困窮などは家族単位発想により問題化されない貧困である。特に主婦の貧困・孤立については結婚しているから問題ないとみなされている。個人単位発想に基づく生存権の保障こそが求められる。