ナマケタイヨ日記

大学院博士課程中退でフラフラしてる。あまり働かず、頑張らずゆるく生きていきたい。野菜の自給を目指す。社会学や人類学などを参考に生き方について書いていきたい。韓国語できます(TOPIK6級)。ゆるく生きたい仲間が欲しいです!ブログ読んで関心もたれたかたは連絡下さい 連絡先 haruka.omae@gmail.com

就活の失敗と博士課程進学

大学院に入り修士課程を終えて就職をするつもりだった。

 

しかし、学部に続き大学院でも就職活動は失敗する。

 

履歴書は上手く書けないし、面接では志望動機からして何を話していいか困ってしまう。

 

面接官からの「我が社に志望された理由は何ですか?」という質問に、「御社から面接に呼ばれたので縁があるのかなと思いました」とか言ってしまう。

 

ふざけているように見えるが、当時の私は必死だった。何も言うことが無いのだから。

 

次第に面接も苦痛になってくる。

 

大学は京都で、大抵の面接場所は大阪だった。私は面接が苦痛になると酒に逃げた。

 

京都から出かける前に酎ハイやカップ酒を飲んで大阪の面接会場に行くこともあった。また、行きの電車の中で、酒を飲みすぎてしんどくなって面接をキャンセルしたこともある。

 

就職活動中に東日本大震災が起こり企業の採用活動が一斉にストップする。

 

私は採用活動が休止している間に研究活動をしていたが、採用活動が再開したタイミングを見逃してしまい、これで就活は失敗したことになった。

 

休学して公務員試験でも受けるかなとか考えだした。

 

もともと、修士に進学する時、公務員を受けようと考えていたが、不器用でスペックの低い自分は研究以外の勉強に手をつける余裕がなかった。

 

ここで、ある知らせが飛び込んでくる。

韓国政府からの給与奨学金が当たったのだった。

 

これは、自分の研究への励みとなり自信がついた(実は簡単に受けられる奨学金だったのだが)。

 

このまま、就職したら自分の好きな韓国と関わることはできなくなる。

 

韓国に行ったり自分しかできないことをやるのは大学院の研究しかないのではないかと思うようになった。

 

そこで、何となく博士課程に進学しようと考えだした。

 

就職活動の失敗、給与奨学金の授与で自分の実力を勘違いしてしまい博士課程への進学を決めた。

 

研究者としての適性を全く欠いているにも関わらずである。

 

実力が無いにも関わらず博士課程に進学すると確実に失敗する。

次回は私が完全に潰れるまでの話をしたい。

 

(続く)

生真面目とアル中

前々回の日記(↓↓)の続きである。

 

nagne929.hatenablog.com

 

2010年、大学院修士課程に進学した。

 

生真面目であった私は、学部での就職活動の失敗と卒業論文が上手くできなかったことを反省して、大学院ではマジメに勉強をしていい修士論文を書き、就職もちゃんとしようと考えていた。

 

その心意気はよいだろう。

 

しかし、現実は上手くはいかなかった。

 

まず、大学院生活で勉強をちゃんとしなければいけないという思いは強くあったが、大学院で読む文献が理解できなかったり、ディスカッションについていけなかったりして、次第にコンプレックスが強くなり、自分への自信がなくなった。

 

このまま大学院でも上手く行かなかったらどうしよう。不安でどうしようもなくなった。

 

不安で勉強は手につかず、ネットで「大学院 中退」とばかり検索したり、大学院中退者のブログとかを読みあさっていた。

 

それで不安が紛れるわけでもなく、夜に家に帰れば酒を大量に飲んでいた。夜中はずっと酒を飲んでいた。

 

朝は二日酔いでしんどくて、大学に行くのは昼過ぎになってから。こんな生活を繰り返していた。

 

頭痛や焦燥感がひどくて、「これはうつ病ではないか」と思い精神科も受診して薬ももらったが効果はなかった。医者からは酒を控えるようにと忠告されたが辞めれるはずもなかった。

 

勉強にストレスを感じ大学に行くのが嫌なときは、家にこもって朝から酒を飲んでゲームをしている時もあった。

 

大学院に入って早々、酒浸りの生活になってしまった。

 

酒浸りや引きこもりになるのは怠け者だからと思われる節があるが、生真面目な人でも陥ってしまうと思う。自分のことが上手く行かないことに過度にプレッシャーを感じてしまい、それに耐えられなくなり、しんどくなって逃げてしまうのだ。意外に思われるかもしれないが、アルコール依存症に陥る人にはマジメな人が多い。少々いい加減な人ならストレスをためにくいからね。

 

さて、大学院だが、修士1年の夏にした調査が上手くいき、ゼミで褒められてから少々自信がつくようになった。

 

しかし、相変わらず夜に酒浸りになる生活は続いたまま。

 

昼過ぎに大学に行くのはいいが、そんなに集中力があるわけでもなく、勉強もいい加減であり、研究がちゃんと捗ったとはいいがたい。

 

生真面目な性格だから、大学院で研究をマジメにやりたいという気持ちは強かった。しかし、自分の意思とは異なり行動はちゃんとできなかった。

 

私の大学院時代はアルコール依存症とともにあった。

 

私のアルコール依存症については以下。

nagne929.hatenablog.com

 

 

私は、学部時代から酒の飲み方はひどかったが、大学院に入ってから飲酒の酷さはますます悪化した。 

 

私がアルコール依存症に陥ってしまった原因として、私にストレス耐性がなかったことがある。

 

自分が何か新しいことをしようと思うと不安になること。スペックが低いにも関わらず自分に課すハードルが高くてすぐ挫折する。持続力がなく何かを続けようとすると苦痛になること。

 

さらに、実家で父がアルコール依存症であり、父のもっていた焼酎をこっそりと飲めたので、私はアルコール依存症になりやすかった。隠れ飲みである。アルコール依存が進んだ者は、自分が酒を飲むことに後ろめたさを感じており、皆が見ている前では酒を飲まず、隠れて飲むようになる。

 

父の酒を盗んで飲むほどアルコール依存は進んでいた。

 

アルコール依存症になると、アルコールを手に入れるためならどんな手段も講じるようになる。

 

ホームレスになってカネがなくなっても、万引きしてまで酒を手に入れたといいう話を、断酒会の人が話しているのを聞いた。

 

酒浸りになりながらも、私の大学院生活は続いていく。

 

(続く)

引きこもりをこじらせないために

私は現在、半引きこもり生活をおくっているので、引きこもりについて気になって斎藤環氏の本を借りて読んでみた。

 

以下、『ひきこもり文化論』(ちくま学芸文庫)、『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(ちくま文庫)を読んで目に止まったことを書いていく。

 

不登校に関しては、「どうしたら学校に行けるようになるか」、引きこもりに関しては、「どうしたら社会参加できるか」に焦点が当たってしまうが、それらは別にどうでもいいことだという(『「治る」のか?』、p.34)。

 

斎藤氏は、「仕事に就くか否かといった問題は、今の社会にあってはほとんど「趣味の問題」ではないか」と述べている(『文化論』、p.227)。

 

一番大事なのは、「どうすれば本人がよりくつろぐことができて、最終的には元気になれるか」(『「治る」のか?』、p.34-35)であると斎藤氏は述べる。

 

 

 

ただし、引きこもっていても、家族以外の対人関係は必要だとする。

 

親密な他者が一人でもいたら大丈夫ということらしい。

 

対人関係が一人かゼロかでは生き方に大きな差が出てくるといい、対人関係がゼロの場合は生きるのが相当きつくなるらしい(『「治る」のか?』、p.43)。

 

しかし、現実には引きこもりが長期化すると対人関係がなくなってしまうケースが多いと思う。

 

私には親密な他者は同居人しかいない。家族以外での人間関係は一応あるが、社会的に孤立しているのは否めないだろう。オフ会などで友人を作っていきたいが。

 

phaさんなど友達の多いニートは羨ましい。

 

 

また、ひきこもりにとって「出会い」が大切だというが、出会いは人以外のものも含むという。

 

「人はみずからにとって大切な対象に出会い、それを愛することによって成長していく」(『文化論』、p.230

 

引きこもっている生活にも「出会い」はあるという。夢中になれる趣味などの出会いも立派な「出会い」であるという。

 

「ひきこもりながらも趣味に没頭する生き方は、愛すべき対象との出会いに満ちています。あるいは、何かを創造したり、鍛錬したりするとこ。その過程は、みずからの内なる他者とのリアルな出会いにほかなりません」(『文化論』、p.230-231

 

何らかの趣味や没頭できることがあれば、引きこもり生活でも人間的な成長ができるということか。

 

また、読書が好きな人は引きこもりから抜け出やすいという。

 

さらに、引きこもりをこじらせるのは、本人が自分に対して否定的なイメージをもってしまう時だという(『文化論』、p.234)。

 

引きこもり生活で辛くならないためには、何か自分が自信をもてることに没頭するなどして自己肯定感をもっておくことが重要なのだろう。

 

以上、引きこもるためのノウハウを斉藤氏の著書に基づいて書いた。

 

 

引きこもり生活をしんどいものにするのではなく、「元気に引きこもる」ことができて、引きこもりを「そろそろ抜け出したい」と思った時に困難なく抜け出すことができるようになればよいのだと思う。

挫折の始まり

私は、大学4年生になっても進路を決められずにいた。

 

進路のために何もしておらず、旅行に行ったり、サークルで遊んだりとテキトーな日々を過ごしていた。

 

当初は大学院に行って勉強を続けようかと漠然と考えていたが、大学院の準備もろくにできていなかったので、仕方なく、一年休学して就活をすることにした。

 

新聞社に就職したいと思っていた。しかし、バイトで時間を取られたり、自分の怠け癖のせいで、新聞社の入社試験の対策は全く手につかなかった。面接も全く準備不足でまともなことを何も言えなかった。

 

面接では、「社会をよくするために社会問題を提起する新聞記事を書きたい」と言ったが、面接官からは「社会をよくしたいなら国会議員とかになればいい」と一蹴されてしまった。

 

せっかく休学してまでやった就活はあっけなく敗北した。

 

情けなくなり、自分を責めた。なぜ、自分は目標を達成するために努力ができないのだろうかと。

 

就活から逃げて、もう2年ほど勉強しようかなと思い大学院への進学を考えた。

 

大学院の入試は何とかクリアーしたが問題はそれからだった。

 

卒業論文を書いている際に自分の能力不足に直面したのだ。

 

自分には、文献を読む能力や、文章を書く能力、論理的に考える能力などが全く無いことを知り愕然とする。

 

こんなんで大学院でやっていけるんだろうか?就活に失敗して大学院でも失敗する羽目になったら、もうおしまいではないのか?

 

そのような不安に苛まれ、パニックに陥る。

 

自分が大学院でも失敗して完全に負け組になったら、周囲からも笑われるのでないかというプレッシャーがあった。自分はそれだけプライドが高くて、周りからの評価を過度に気にしていた。

 

 

そのころから、ストレスからか頭痛や無気力状態がおこり、文献を読むことや文章を書くことがしんどくなっていた。考えることもしんどくなった。

 

この頃から、過度な飲酒が状態化し、アルコール依存に陥るようになった。

 

夜になると焼酎500mlのパックを一箱開けるような飲み方をしていた。朝には二日酔いでしんどかった。

 

こんな生活パターンで、まともに論文が書けるはずはなかった。なんとか卒論は書いたものの内容は薄っぺらいもの。

 

卒論を終えたのはいいが、状況は改善せず大学院生活もボロボロな状態になる。

 

(続く)

高等遊民

私は大学院修士までとったのに、ニートとは誠に情けない。職歴が無いので、単純肉体労働にしか就けず、労働意欲を完全に失ってしまった。

 

ニート生活を続けていて、高等遊民という言葉が皮肉に聞こえてくる。

 

高等遊民とは、大学などで高等教育を受けた後も、ろくに仕事をせずに、読書や芸術鑑賞など文化的な趣味に毎日を費やす者たちである。

 

家が裕福で働かなくても親の財産などで生活できる恵まれた人たちである。

 

明治後期から昭和初期に、高等遊民と呼ばれる若者が増えて(毎年2万人〜25000人とも言われた)、社会現象となった。

 

当時の高等遊民ならびに大卒無業者の増加の背景には、大卒(当時は3%)でも就職難であったことや、軍国主義的な社会の雰囲気に適応できずに社会参加できない者がいたという事情があったという。

 

現代も、就職難であり、戦後は軍国主義の替わって労働市場主義が蔓延する社会になり、そういった労働環境について行けなくてニートになってしまう者がたくさんいる。

 

高等遊民がどのようなものかは、夏目漱石『これから』に出てくる代助が代表的だろう。

 

30歳になって仕事をせずぶらぶらしている代助に対して父親は忠告する。

 

「少しは人のために何かしなくては心持ちの悪いものだ。お前だって、そう、ぶらぶらしていて心持ちの良いはずはなかろう。そりゃ、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んでいて面白い理由がない」

 

「三十になって遊民として、のらくらしているのは、いかにも不体裁だな」

 

この父の言葉を聞いて代助は以下のように思っている。

 

“代助は決してのらくらしているとは思わない。ただ職業のために汚されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考えている丈である”

 

「働くことは、負けである」

テレビであるニートが言っていた言葉が思い返される。

 

私も労働なんかせず、語学の勉強や読書などをしていたい人間なので、代助と同じ心理をもっている。

 

また、高等遊民は、当時、危険思想とされた社会主義共産主義アナーキズムに馴染みやすく社会を紊乱させる存在とみなされた。

 

私も、労働は人間から優しさや思いやりを奪うものとして労働批判をしている。こんな考えでは労働を通した社会参加なんてできない。

 

以前の私は、労働教に完全に染まっていて、マジメに努力することを信条としていた。

 

しかし、大学院での研究の失敗、体調不良、アルコール依存症躁うつ病、仕事が続かない、などがこの3年間におこり、完全に社会で戦う意欲を消失してしまった。

 

そんな中、今は働く意欲が沸かないので、2ヶ月ほどニートをして高等遊民生活をしている。

 

このまま、誰かに養ってもらえれば高等遊民生活を続けることができるのに。

ブラブラして生きていくには

『脱資本主義宣言』で有名な鶴見済さんが324日にツイートした内容

 

「学校や会社に頑張って通って死ぬほど疲弊するか、あるいは引きこもるか。概ねこのどちらかしかべない状では、いずれにせよ幸せにはなれない。ブラブラしながらそこそこ生きていくという「もうひとつの生き方」を作ることが最大の課題

 

ブラブラしながらそこそこ生きていく。

 

これが中々難しい。

 

実家暮らしなどであれば、月5万も稼げばいい生活ができる。

 

しかし、一人暮らし(シェアハウスでもいいが)となり家賃や水光熱費が発生すると途端に生活は苦しくなる。

 

家賃が2万円ほどでも、月収9万円くらいが必要だろう。

 

17000円のバイトだと週34日働くことになる。

 

バイトなど単純労働で週4で仕事をすることに耐えなければいけない。前回の日記にも書いたが私はとても耐えられない。

 

ブラブラしながら生きれるのは実家暮らしの人、ヒモの人に限定されるだろう。

 

実家暮らしでも、ブラブラしているには家族の理解が必要だろう。だから家庭環境にも恵まれていなければいけない。

 

ヒモなどで人に養ってもらう人は、人から好かれる能力が無くてはいけない。特に異性から援助されるためには相当の人格が必要となる。

 

結局、ブラブラしながら生きるのも、実家暮らしができるなど環境が恵まれているか、ヒモになることができる人に好かれる特別な能力があるかが条件だろう。

 

 

 

しかし、なんとかブラブラしながら生きていきたいものだ。

 

仕事をしないためには生活費を減らさなければいけない。

生活費の中でカギを握るのは食費だ。

 

私は、食費が月3万くらいだ。

 

しかし、食費を月1万くらいで生活している人もいる。大原扁理さんのように粗食を実践している人は食費は安い。

 

しかし、過食気味の自分は食費を削ることはしんどい。腹が減って耐えられない。何とか食費を減らしていきたいとは思っているが。

 

食費を減らすことができれば週3労働でもやっていけそうである。

 

ブラブラしながら生きるには、食費も重要となる。

 

 

 

ブラブラしながら生きていける人の条件は以下のようになる。

 

・実家に住める恵まれた環境にいる人(働かないことに家族の理解がある)。

・ヒモなどができる才能がある人。

・食費などが節約できる自己管理能力がある人。

 

結局、環境が恵まれているか才能や能力がなければブラブラできないということになる。

プレカリアート

Wikipediaに載っていた学歴難民という用語を見て自分のことだと思った。

 

「学歴難(がくれきなんみん)は、主に一流や難関と言われる名で有名名高い大学大学院を卒しておきながら、をしても一流(と言われる)に就できず、無職プレカリア非正雇用)になったり、希望するや自身のプライドのす地位に就けず不本意ないられたりしている人々をいう」

 

私は、大学院博士後期課程を病気で辞めて以降、底辺のバイトを転々としている。どれも最低賃金に近い単純作業である。もちろん不本意だ。

 

まさにプレカリアートである。今はニートであるが。

 

私は正社員になるつもりはなくパートで働きたいが、事務作業などの仕事には応募しても受からない。書類選考で落とされてしまう。

 

なので、肉体労働か単純作業に甘んじるしかない。

 

しかし、そういった仕事は長続きしない。

 

単純作業ができるようになっても何の満足感も得られないし、先の展望がない。そんなことを思うと、全く仕事をする意欲が沸かないのだ。

 

人間は今やってることが将来何らかの役に立つという希望がなければ、何もできなくなるのではないか。

 

肉体労働や単純労働以外にできる仕事はないが、それらの仕事には希望がもてず続きそうにない。

 

八方塞がりである。