生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

ヒッチハイクの思い出

(以前noteに書いた記事を転載)

 2019年8月にヒッチハイクで少しだけ旅行をした。和歌山にて『貧困と差別』についての研修を聞きに行った後に、なんだか和歌山をブラブラしたくなって思い立ったのがヒッチハイクで旅行することだった。

 2日間、ヒッチハイクで合計4台の車に乗せてもらい、和歌山→湯浅→御坊→田辺→白浜と進んだ。計70kmほど交通費をかけずに移動ができた(電車で移動したら1700円ほどかかる距離)。乗せてくれたのは老夫婦の方や、広告屋のおじさん、イケメンのお兄さん、カフェで働くお姉さんなどである。

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 まず、乗せてもらう車を止めるために大きめのノートに行き先をマジックで太めに書き、道路の横でそのノートを掲げて道行く車に見えるようにする。10分でヒッチハイクできた時もあったし、車が全く止まってくれず1時間以上暑い中突っ立っていた時もあった。車がなかなか止まってくれないと諦めの気持ちが湧く。夏の暑い時期や冬の寒い時期は、ヒッチハイクで車を止めるまで外に立っていなくてはならないので過酷である。

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 乗せてもらえれば、ドライバーはヒッチハイクに理解ある人だから基本的に居心地は良い。ヒッチハイクする人はそこそこいるようだ。海外の人が多いという。海外ではヒッチハイク文化が盛んなのだろう。乗せてもらったから何かしら話題を提供しなければいけないというのはあるので、ある程度は話をする。しかし、ほぼ沈黙でもなんともなかった時もある。ヒッチハイクは本当に話が苦手な人には向いてないかもしれない。また知らない人と狭い空間をともにすることが苦であればきついかもしれない。

 歩いて移動するにはお金がかからない代わりに体力を消耗する。ヒッチハイクは車に止まってもらうためのアピールが大変だったり、車に乗せてくれたドライバーとの会話をするなど、それが苦に感じる人にとってはしんどいだろう。ドライバー側もヒッチハイカーに配慮したりと何かと気をつかうこともある。0円で何かをなすことには、様々なところで負担をかけたり人の好意に助けてもらわなければいけない。私たちは面倒臭さや人とのやり取りを金を出すことで省いており快適さを買っているといえる。

 今回のヒッチハイクを思い立ったのは以前ツイッター経由で会った旅好きの青年との会話からである。その人はヒッチハイクでの旅が好きで、四国や九州を車を乗り継いで一周したこともあるそうだ。ドライバーとの会話を楽しんだようである。時には説教されたこともあったというが。また、ドライバーの個人的な悩みなどを聞いて、その人が感極まって泣いてしまい、逆にお礼をされたというエピソードも聞いた。非日常における出会いにおいては、普段は周りに話せない自分の個人的なことを打ち明けたりしやすいというのがあるのだろう。一期一会の面白いところである。今回もこの青年から聞いたやり方でヒッチハイクを試みた。なかなか、体力勝負であるがまた機会があればやってみたい。

 

写真① 湯浅はしょうゆの名産地で蔵が並ぶ地区がある。

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写真② 田辺の海 夕方にぼんやりと

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