生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

「無縁」のすすめ

 

【目次】

 

 

1.「無縁」の可能性

 

 わたしたちは社会の中で生きていくためには何らかの評価されるポジションを得て、世間の期待に応える役割を演じていかなければいけない。それができないと、「村八分」にされ、社会から冷遇されたり、制裁を受けたり、存在さえも無視されてしまう。引きこもりの人などが働けずに社会的な役割を果たせていないと、存在そのものが蔑ろにされてしまう。このように、生きづらさの問題は社会で要請される役割を遂行できずアイデンティティの獲得ができないことで、存在を否定されたりないがしろにされることで生じている。だから、わたしたちは世間で評価される生き方を実践するために、世間的価値を内面化する。わたしたちの行動は、「正しさ」を基準にしているのではなく、世間的な「役割」や「立場」に基づいている。学歴、職業、役職といった地位を獲得するだけでなく、交友関係、恋愛相手、家族、居住地域などの関係性もテコにして自分の「立場」を獲得している。世間で期待される役割というのは会社・地域・家族の領域であり、これらは連動している。仕事ができない人は会社で居場所をなくし、職を失うと地域で立場を失う。家族を形成できない人は世間では評価されにくい。子どもを産み育てられないセクシャル・マイノリティや非婚者は、家族主義の要請する役割(=男女をカップルとするシスヘテロ規範)を果たせないから社会から差別されてしまうのだ。

 

 世間に包摂されていないのは「無縁」という状態だ。「無縁」は、世間からつまはじきにされマイナスの状態であり差別の対象にもなりやすい。しかし、歴史家の網野善彦は、「無縁」を既存の社会秩序やしがらみからの離脱として肯定的に捉えた。世俗の人間関係から解放されることで生じる自由、そして、「無縁」による連帯(=マルチチュード)の可能性があるという。

 

 

2.「世捨て人」として世間からズレる生き方

 

 昔は出家などで《俗》の領域から《聖》の領域にジャンプすることで主流秩序からズレた生き方が可能だった。超絶してしまうと、労働をはじめ世俗的な義務を免責されるようだ。宗教的存在となることが世間の風圧をかわすことにもなった。

 

 西行法師(1118〜1190)は、武士の家のサラブレッドとして生まれた。妻子をもち順当な人生をおくっているように見えたが、23歳の若さで出家して家族のもとを去った。理由は、友人の死に無常を感じたとか、政争に明け暮れる世の中に嫌気がさしたからなどと言われる。あちこちで庵をつくり放浪の人生をおくった。保元・平治の乱では西行の旧知の人のたくさん死んでいった。そのような動乱の中、世の中から距離をおき西行は花鳥を愛で人生をおくった。お遍路や熊野古道などで歩いていると各地に西行が放浪で訪ねて詩を詠んだ碑がある。このように、出家という形で「世捨て人」となり世間からズレて各地をブラブラして生きていた人は多くいたのだろう。

 

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10月に熊野古道を歩いていると西行の訪ねた跡をみつけた。巡礼として各地を放浪していたのだろう。

 

 

 

 鴨長明(1155〜1216)は下鴨神社の神官であった父のもとに産まれ、神官となり主流秩序の真ん中を歩む予定でいた。しかし、親族間での抗争や嫌がらせにより神職に就くことができず、出家して京都郊外の山中の庵で隠居生活をした。その後も、どのようなポストにも就けず、隠居しながら俗世間のことを書き記したのが『方丈記』。4畳半の方丈の間で静かに暮らしながら失意のうちにこの世を去った。しかし、長明は、就職ができないことをよそに、琵琶と和歌の腕を磨きつづけ和歌集にも入選している。和歌の分野でも定職には就けなかったが、無頼のミュージシャンとして趣味に生き、世間とはズレたところで居場所をみつけていたのかもしれない。

 

 

3.超越した存在としての「無縁者」

 

 網野善彦によると、中世では遊女や河原者(皮革業者)、物乞いなどは、神仏や天皇に仕える芸能民とみなされていた。鍛冶、番匠(=大工)、鋳物師などの手工業者、さらには遊女、白拍子、猿楽など芸能民などは、天皇に直属する供御人や、神仏に直属する神人、寄人として高いポジションを得ていたという。彼らは蔑視される対象ではなく、一般の平民がもたない能力をもつ超越的な存在と見られた。そして、「無縁」性を帯びているから神に近い存在として神聖視された。

 

 南北動乱以降における天皇や神仏の権威の低下、13世紀後半以降の貨幣経済の浸透や識字率向上など文明化により非人や遊女への差別意識が生まれた。非農民は《聖》から《賤》へと転落していく。遊女は遊郭に閉じ込められ、非人は被差別部落に囲われるなど、地域ごと差別の対象となる。人の職や地位の意味付けが時代の文脈により恣意的に変わっていくのがわかる。神聖なポジションにあった「無縁」の人々が、差別される対象になったことで、彼らの救済のために発展したのが親鸞日蓮などの鎌倉新仏教だという。信・不信、浄・不浄を問わず全ての人が救われると教える一遍上人は、踊り念仏という今で言うロックコンサートのツアーのような感じで全国を行脚した。多くの人を動員した踊り念仏は秩序を脅かすものとして権力からは批判の的になった。

 

 

4.「無縁者」が社会に亀裂を入れる

 

 「無縁者」というのは非日常の存在である。固定性がなく、主流秩序の日常性とはズレたところにいる。社会からはなんだかよく分からない得体の知れない存在と映る。「畏れ」の対象でもある。規範からズレているので、人々をあっと言わせ意識を攪乱させる。規範に適合しない人が、マジメに規範に従おうとするのではなく、存在そのものが規範からズレていたり、規範からズレる実践をすることで、規範そのものに風穴が空いていく。ジェンダーセクシャリティの文脈ではクィア的実践と呼ばれる。規範をつくりだす日常性を揺るがすような非日常的実践が、硬直した主流秩序に亀裂をいれるパワーをもつかもしれない。

  

 旅人、行商、芸能民、遊女など社会の周縁で生きてきた「無縁者」は、オモテの社会からは抑圧されつつも、オモテの人々に非日常をもたらす《聖》なる存在でもあった。陰で生きつつも、時にオモテの社会に顔を出してみんなをあっと言わせる。平地人を戦慄せしめていた。

 

 以前、知り合ったホステス経験者の人は、ホステスの仕事を「夢を売る仕事」だと語っていた。街ですれ違っても話すことがない見ず知らずの人たちが、酒の席で自分の身の上話や込み入った話をする。日常とは違う非日常モードであるから可能となる。非日常を提供する仕事なのだ。「夜の街」は、サラリーマンなどの日常を支える非日常の領域として社会を統合する役割を果たしているのだ。

 

 旅の非日常性も面白い。旅をすることで非日常モードに入る。旅をしてると気が乗って人に話しかけやすくなったりする。また、旅をしてる人には話しかけやすく、立ち話から始まり自分の突っ込んだ話をしたりすることも多くなる。ヒッチハイクで気軽に車に乗せてもらったりと、恩を受けたり恩を着せたりがしやすくなる。人は旅人に対して日常モードとは違う対応をする。無礼講的な楽しさがある。このように、旅人は自分だけでなく、周囲も非日常モードに巻き込むパワーをもつ。日常に生きる人たちにささやかな非日常をもたらしている。

  

 「無縁」の状態になることで、人のしがらみの深みに足をすくわれなくなるかもしれない。人間というのは相手との適度な距離感や緊張感があれば、だいたいはいい人でいられる。人は関係ができてくるとコントロール欲求や上下関係が生じる。旅での一期一会の出会いが楽しいのは、人間のよい側面だけ見れるからかもしれない。

 

 

●参考文献

 

網野善彦『日本中世に何が起きたか』角川ソフィア文庫