生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

エゴマ長者になろう

 

 9月の初めから中旬に野生のエゴマがたくさん採れた。エゴマは同じところに毎年たくさん生えてくる(大葉も同じ)。なので、群生しているところを見つけると、毎年たくさん採れる。このように繁殖力が高い野菜が野山で勝手に生えて、それを調達できると食料確保にはかなりいいのではないか。今年の晩夏は葉野菜が高騰しているので、葉類を野山で調達できることは助かると思う。また、野山で食べれるものを見つけるのは「あそび」として楽しみがある。エゴマは韓国などでは焼き肉に包んでたくさん食べる。エゴマの料理はすぐには思い浮かばないけど、いろいろ料理してみた。香りがいいので冷奴のつけあわせとかもいいと思う。

 

※ エゴマは大葉に似ていて、いい香りがするのですぐわかる(似たもので香りがしないのは食べない方がいい)。エゴマの葉は幾何学的で芸術的だ。

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※ エゴマは野山や河原で群生している。意外と身近にあるかもよ。

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【目次】

 

 

 

1.エゴマ料理のつくレポ

◉ エゴマのチヂミ

 

 チヂミの粉に、エゴマの葉を刻んだのを混ぜてごま油で焼くだけです。香りがいいんだわ。路上でみんなにあげたら好評でした。

 

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◉ エゴマのビビンククス

 

 ビビンククスの作り方は簡単で、韓国人の知り合いに教えてもらった。

 

コチュジャン、醤油、ごま油、ごまを適量まぜてタレをつくる

②そう麺などを茹でて氷水で冷やす

③タレに麺を混ぜる

④野菜などの具をのせる

 

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◉ エゴマのペペロンチーノ

 簡単です。ペペロンチーノに刻んだエゴマをあえるだけです。香りがひきたちます。中々すばらしい。

 

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◉ エゴマのキッシュ

 

 キッシュつくりが上手い人には簡単だと思うが、わたしはイマイチだった。肉食や卵などを控えているため、豆腐と豆乳などで作った。正直、自分が作ったのはあまり美味しくなかったな(フライパンで生地焼いたらめっちゃ固くなった)。こういうアイデアもありますよということで。

 

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※ 参考にしたYoutube動画

 

www.youtube.com

 

 

◉ サムギョプサル(わたしは大豆ミート

 

 焼いたり煮た肉や大豆ミートエゴマの葉で包んで食べるだけです。ごま油、塩、こしょう、コチュジャンなどをつけて食べる。ご飯やキムチを挟んでもおいしい。

 

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◉ ガパオライス

 ガパオソースがあれば簡単です。ソースはヴィーガン対応のものもあります(ツイッターの知り合いがヴィーガン食品として紹介していた)。

 

大豆ミートを湯がく

②ごま油で玉ねぎのみじん切りを炒めて、途中から大豆ミートも入れて炒める

③ガパオライスのもとと、刻んだエゴマを入れて炒める

④ご飯の上に載せたら完成

 

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◉ しょうゆ漬け

 韓国版ごはんがススム君ですね。おろしニンニクなどで作れば手間がかかりません。作れば保存が効きます。ご飯に包んだり、チャーハンにしたりと色んな使いみちがあると思う。

 

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※ チヂミに包んで食べるとおいしい

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※ しょうゆ漬けのレシピは以下を参考

簡単☆ご飯によく合うエゴマの葉の醤油漬け by ★おぺこ★ 【クックパッド】 簡単おいしいみんなのレシピが358万品

 

 

2.野山の食べ物で縁ができる

 

 エゴマをたくさん採ったから、路上でおすそ分けしたり、売れないかなと思って持っていった。いつもの三条大橋にいると、Twitterでわたしのことを知っている人がたまたま通りがかってお話しをしたついでに、エゴマを渡した。また、前に路上で出会った友人を呼んで少しわけた。エゴマでつくったチヂミも少し売れた。「これ山で採ったエゴマなんですよ」と言うと、驚いた反応をされる。野山で採取したものは意外性がありツカミになって興味をもってもらえる。人と話すキッカケつくりにもなる。文末のリンクにある過去ブログでも、野生の食べ物をみんなで採ったり食すのは農漁村では一つのイベントであり、みんなが会って楽しむ非日常の「祭り」になっていると書いた(マイナー・サブシステンス)。

 

※ 来年もエゴマ配達員やります。今年のエゴマは路上で箱買いされました(1500円)!

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※ 路上でおすそ分け。エゴマの認知度は低いし、野生のものはみんな怖がって手にしたがらない。笑

 

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【過去ブログ】採取の意義について書いたのでまた読んでみてください

 

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西成一揆②(21年9月16日)

 

 2021年9月16日に、2回目の西成で生存権を求めるしょぼい路上一揆をしました。6月以降3ヶ月ぶりだ。ホワイトボードに書いたのは前回と同じ内容で、①一律給付金を求めよう、②生活保護費UPだった。日程は思い立って急に決めた。

 

 今回は、前日に神戸の山でエゴマを取ったので、エゴマを使ったチヂミを路上で焼いた。これは、めちゃくちゃしょぼい炊き出しの試みでもあった(お金がある人からはお気持ちをもらった。笑)。食べ物があると交流のキッカケがつくりやすい。食べ物をつくる様子を行き交う人にさらしていると、目につくので興味をもってもらいやすい。みんなでご飯を食べながらあれこれ話すのがいいと思った。

 

 

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三角公園の横でしょぼい路上一揆をやった。この日は人が少なく穏やか。

 

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寄ってくれた人にチヂミを焼いてふるまった



❖❖ 前回の西成での路上一揆 ❖❖

 

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1.路上活動の様子

 

 三角公園の横で、通り行くおっちゃんたちに挨拶をしながらやっていた。だいたいの人は笑顔で「いいやん」と言ってくれたりいい反応があった。目があったイカツイおっちゃんに「僕、社会にうまく馴染めないんです〜」と言ってみたら、「馴染まんでいいわ。あんた、路上でチヂミ焼いとったらええねん」と返された。路上でチヂミを焼く半引きこもりにも居やすい場である。笑

 

 途中、通りがかったおっちゃんと「生活保護費安いな」とか、「給付金は必要やな、選挙で得票目的に自民党は金を出さんやろか」という話をした。前回の記事でも書いたとおり西成あいりん地区は生活保護率が40%と高い。この日は、おっちゃんたちから生活保護費がどんどん下がって生活がキツくなっているという話を聞いた。炊き出しに並んでいたおっちゃんとも話ししたが、このところ引き下げストップ裁判も負け続けているので、保護費は下がり続けるだろうという諦めの機運がある。チヂミをつまみながら話してくれた。ただ、「エゴマって食べても大丈夫なんか」と食べるのをとまどう人もいた。笑

 

 路上一揆では立ち寄ったおっちゃん同士が、近くに住んでいるということで話しあっていた。よもやま話をしたり生活のことについて話ていたようだ。西成は人と人との距離が近いように思えるけど、近くにいる似たような境遇の人を意外と知らないこともある。井戸端会議をしてお互いを知れる場になっていいと思った。

 

 生活の話をしながら、自分たちがつくった釜ヶ崎の歌を歌ってくれたおっちゃんがいた。三角公園の舞台でよく歌っていたそうだ。ビール片手に歌ってくれた。生活費は少ないけどゆるい歌を歌って楽しみを得るのも、おっちゃんにとっての生きていく知恵なのだと思う。タバコ代の引き上げもキツイなと言っていた。最近はコロナで他人の吸ったシケモクも口にくわえにくいなと笑いながら話した。笑

 

❖❖ おっちゃんの歌:いいじゃないの ❖❖

 


www.youtube.com

 

 

 

 途中から引きこもり関連や生きづらさなどでよく話をする友人が来てくれた。また、通りがかったおっちゃんと話したり、「チヂミ食べましょう」と呼びかけたら寄ってくれたお兄さんと路上飲みをしながらワイワイして充実した一日となった。その人には、自分のことを「僕は働く気のない引きこもりです」と紹介したら、「俺も働く気ないで。生活保護やで」と返されて、大変話しやすかった。路上では、働いてないことをすごくラフに言い合えたり、生存権などで話が通じる人にも出会える。このように、路上では、これまでの居場所やコミュニティ、SNSなど、どこでも出会えなかった主流な価値からズレた人とも出会える。路上のほうがいろんなチャンスや偶発的な出会いが起きて楽しい。

 

 また、芸人風のおっちゃんが歌を歌ったり一発ギャグをかまして場を沸かせてくれた。引きこもりがちで人に話しかけるのがしんどかったり、話すキッカケが得にくい人たちには、こういう突拍子もなく話したり絡んでくれるおっちゃんがありがたい存在になると思う。知らないおっちゃんも気軽に立ち寄ってワイワイしやすいのが西成。おっちゃんがウィッグを欲しがったので、プレゼントしたらサインを渡された。笑

 

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路上でチヂミ焼いてたらお客さんが来た。西成は野良猫が多く、猫たちはおっちゃんたちによく世話をされている。

 

 

2.引き続き投げ銭(お気持ち)もお願いします

 

 今回の西成の路上活動で、これまで頂いた投げ銭の総額が7万円を超えた。もらったお金は路上での食事の準備などに使うことが多い(あと、西成でお金がないおっちゃんに寄付したりする。酒代に消えてるかもしれないが・・笑)。食べ物をつくって路上でみんなで食べる試みは続けたいので、今後も投げ銭での応援をお願いしたいです。寒くなってきたら野菜のスープを作ろうと考えている。

 

 あと、9月の終わりから、西日本をブラブラして即席の居場所を作っていく旅をする予定。まずは、福岡の知り合いのところに行って、路上で何かやって交流できそうな人を見つけていこうと思います。その後は、テキトーにブラブラします。訳のわからん旅だが、何かしらみんなが楽しめるようなものになると思うので、またお気持ちを頂ければ嬉しいです。

 

 

◉ ゆうちょ銀行(普通)

 

金融機関コード:9900

店番:448

口座番号:1207633

 

 

◉ PayPay

 

ID:harucafe88

QRコード

 

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使わない化粧品でお絵かき

 

 すごく、いい趣味になりそうな事をみつけた。

 

 いらない化粧品などで、お絵かきをする。もう使わなくて捨てるだけの化粧品とかを絵の色付けにつかってアートにする。まったく技術がなくても簡単にできる。自分の中でちょっとした革命なのだが。しかも、色づきがほのかでいい。アイシャドウの使わない色とかを有効利用するなど。前に、路上で描いたイラストに色付けしたかったけど、色鉛筆やマジックなどもっていなかったからアイシャドウで替わりに色付けしてみたら、いい感じにできてよかったのが発端。

 

 外出して、絵が描きたくなった時に、もっている化粧品で簡単に色付けができる。本来は顔の化粧にために使うものを、絵という別の用途につかうのも何やらズレた試みで自由を感じないかな。動物実験などをしてないCrueltyfreeの化粧品がアニマルライツとしてもいいですね。

 

 

 

【おえかき】

 

◉ ひまわり

 

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◉ ぶどう

 

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◉ ゆるい猫

 

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◉ しかめっつらのシカ

 

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◉ 雨やどり

 

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◉ えびたん

 

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◉ 市電

 

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4コマ劇場(10)

4コマ劇場はついに50作超えたぞ〜

 

 

経験をもとに、ビックリした事や楽しかった事を描いています。非日常的な人との出会いで少し元気になると思うよ。

 

しょぼい漫画家を名乗りたいので、見て楽しければ、Paypayで投げ銭もお願いしますのだ。

 

【目次】

 

 

 

◉ バクチ打ちのおっちゃん

 

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◉ ウィッグ2

 

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◉ ウィッグ3

 

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◉ 哲学者のおっちゃん

 

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◉ 手配師のおっちゃん

 

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4コマ劇場でクスッとしたらpaypayで投げ銭もお願いしますのだ〜

 

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BIが導く個人単位の社会:脱資本主義/ジェンダーフリー/ノマド

 

 

 ベーシックインカムにより個人単位の社会が導かれることを書いていきたい。個人単位の直接給付金は社会の仕組みや価値を組み替える大きなインパクトとなる。BIは単なる生活補助金であるだけでなく、お金が資本主体から個人主体のものとなり(お金のコモン化)、人々の資本からの解放につながる。また、ジェンダー差別に対抗する作用をするため家父長制規範が揺らいでいく。さらに、社会のあり方も定住型からノマド型に変えていく作用がある。

 

 ❖❖ BIは社会のコモンを取り戻すことになるかも(市場経済からの大転換) ❖❖

 

 

 

【目次】

 

 

1.貧困はコモンの私物化で生じる

 

 資本主義は「私的所有の原理」により成り立つ。資本主義は資本によるコモン(社会的共通資本)の私的所有(=商品化)を正当化する。資本主義における格差はコモンの私物化により生じていると言える。

 

 水道民営化が批判されるのは、水というコモン(社会的共通資本:みんなが必要として誰の所有物でもない共有物)が私的に独占されてしまうからだ。

 

  本来みんなの共有物だったコモンを特定の誰かが独占して、それを金儲けの道具にするというのは、強奪と言えるのではないのか。街のおっちゃんが河原で勝手に畑つくったら怒られてしまうが、利権企業が公園や山林といった公的なものを開発や商売のために私物化するのは平然とおこなわれる。ナイキが宮下公園の商業化のために野宿者を追い出した事例など。

 

  みんなの共有物を誰かが独占して営利化すると、独占した人が儲ける一方で、みんながそれにアクセスするにはお金を払わなければいけなくなる。持つ者と持たざる者に二分され、これが格差を生む構造となっている。レント資本主義の正体だと言える。

 

 例えば、日本語を使うことで日本語の発明者にその使用料を払う発想はとらないだろう。言語は、私的所有されるものではないと思われているからだ。そうであるなら、人が生きるのに必要な水や食料などのコモンにも高い金を課すのはおかしいという話にもなる。

  

 資本主義は、生産のあらゆる要素を財として市場化する。みんなの共有物であるコモンすら「商品」として独占の対象とするのを正当化する。K.ポランニーによると、本来は生産のために存在したわけでない、労働、土地、貨幣などのコモンが「商品」となることで市場経済は形成される。資本主義は、コモンの商品化という擬制(フィクション)の上に成り立っていると言える(K.ポランニー、『新訳 大転換』、pp.120〜125)。 

 

 

2.労働の脱商品化:個人と社会を守る「社会権」としての生活保障

 

 資本主義以前には、人は労働によらず自らの生存を維持できた。市場経済が普遍化することで、個人の福利厚生が貨幣関係に依存させられるようになる。労働契約以外に人々が再生産する手段を奪われ、人々が商品化されたという(アンデルセン、2001、『福祉資本主義の三つの世界』、p.23)。

 

 市場経済では労働力も商品とされる。しかし、労働力を徹底的に商品化すると、人の生命維持や労働力の再生産もできなくなり、資本主義が自壊してしまうという自己矛盾に陥る。アンデルセンによると社会主義とは、労働力の商品化への対応として現れたという(pp.49-50)。労働が商品化されると、労働者は賃金と引き換えにみずからの労働力のコントロール権を放棄する。つまり、労働の商品化こそ経営者の権力の源泉で、人の間に差別と格差を生む。これを放置すると社会破壊となる。商品とは互いに競合するものだから、競争が激しくなれば価格は下る。労働が商品化されるほど、労働条件は悪くなる。個人も社会も資本主義の破壊から守られるためには、労働が脱商品化される必要があり、そのために現金給付が「社会権」として正当化されると言える。

 

 アンデルセンは、社会的扶助や社会保険が導入されただけでは、労働の脱商品化はあまり進まず、生存権の保障には不十分であるという(p.23)。

 

 もし給付が少なく社会的なスティグマが伴うならば、救貧制度は、最もひっ迫した層を除いて他の人々すべてを強制的に市場に参加させることになろう。19世紀に多くの国で出現した救貧法が意図したことはまさにこのことであった。同様に、初期の社会保険プログラムのほとんどは、人々の労働市場におけるパフォーマンスを最大化するように周到に設計されていた。

 

アンデルセン、2001、p.23)

 

 

 日本の生活保護制度も利用率が2割と低い。給付額が不十分であり、制度利用で社会的な差別も受けるので、人々は制度の利用をためらう。低賃金でも労働に従事しようとするので、むしろ人々を労働に駆り立てる仕組みになってしてしまっている。現行の生活保護制度は、個人の生存権保障を確実にするための制度ではなく、資本主義をアシストするための制度となってしまっている。最後のセーフティネットとしての生活保護制度の改善を求めつつ、最初のセーフティネットとしてのベーシック・インカムの導入を求めたい。困窮してから金を配るのではなく、防貧の観点からも事前に金を配っておき、人々の生活に余裕をもたせておくのがよい(*1)。

 

 

3.お金のコモン化:お金の分配方式を資本中心から個人中心に

 

 資本主義における格差はコモンの私物化により生じていると述べた。さらに言えば、資本主義における貧困は、お金が交換の手段にとどまらず、お金自体が「商品」としての比重を増していることで生じていると言える。

 

 お金が商品化されることで生じる利益は利子である。利子収益を目的に、金融取引はなされる。現代の貨幣制度は、銀行が利子目的でお金を勝手に発行できるようになっている。むしろ、利子目的でしかお金をつくれないシステムになっている。お金が「商品」として扱われ、人々の手からお金が離れていっている。BIなどの現金直接給付は、お金をみんなの生活を成り立たせるコモンと位置づけ、一人ひとりに個人単位でお金を配分することになる。これは、お金の脱商品化とも言える。

 

 以前のブログでも書いたが、現在の貨幣制度ではお金の発行権が民間銀行にある。民間銀行や企業の利益が優先されてお金の発行や流通がコントロールされるシステムになっている。現代の貨幣制度では、人々の生活のためにお金がつくられるのではなく、民間銀行が中央銀行から得たお金を、企業などに貸し出すことでお金は生まれている。お金自体が利子収益を生む「商品」として流通させられる過程が、銀行の貸し付けに伴う信用創造と呼ばれる。

 

 市中に出回るお金は、民間銀行が貸し付けることにより生じる。企業が貸し付けを受け、企業の経済活動を通して賃金などの形で庶民にお金がやっと届く。しかし、民間銀行が貸し出しを渋ったり、企業が内部留保などでお金を貯め込むと庶民にはお金が回らなくなる。アベノミクスでは、日銀の資金が国債の買い取りで民間銀行に回った(年80兆円規模)。しかし、それらの資金を民間銀行が市中に貸し出さず、準備預金として貯め込んだままだった。お金の流通が銀行の都合でコントロールされる貨幣制度をとる限り、いくら金融緩和をしても、人々の手にお金が届かないことが示された。

 

 お金はみんなの生活を成り立たせる公共的なもの(コモン)だという認識に戻ると、お金の発行を資本の都合に委ねるのではなく、人々の生活のために政府がお金を発行し直接給付する方式は「貨幣の民主化」(コモン化)を後押しする意味があると言える。

 

 

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4.BIによる債務奴隷からの解放

 

 原則、資本主義での私的所有は労働により正当化される。労働によらないお金の発生であるベーシック・インカムは一種の贈与であって、私的所有の原理に反していると言える。MMTに基づく現金給付は、「私的所有の原理」の相対化となる(これは、大澤真幸さんの著書により得た視点)。

 

 MMTにおける租税貨幣論によると、貨幣は政府の「債務証書」である。貨幣が流通するのは、人々が貨幣によって納税を強いられ、貨幣を獲得するための経済活動に従事し、貨幣経済が成り立っているからである。いつのまにか人は国家から負債を押し付けられ、税金によって負債を返さなければいけないと思わされている。その税金で納めるお金を集めるために労働に従事している。つまり、資本主義では人は生まれながらに債務奴隷にさせられていると言える。この、債務奴隷化からの解放がBIにより可能になるのではないか。

 

 

5.BIはジェンダー・フリー(個人単位化)を後押しする

 

 「家族単位から個人単位へ」をテーマとする過去のブログ記事でも何度も書いたが、シスヘテロ規範の家族主義(婚姻主義)がジェンダーにおける富の格差を生んでいる。最低賃金があまりにも低いのを正当化するのは、パート女性などの非正規雇用者は世帯主に養われることが前提となっているからである。最低賃金の低さはジェンダー差別に基づいていると言える。つまり、女性だからということで安い賃金が正当化され、お金の取り分を少なくされている。これは、能力の問題というよりも制度による差別の問題だと言える。ロスジェネ以降に多い低収入の非正規男性もこのジェンダー差別のワリを食っているのである。非正規雇用の拡大は、男性の二分化を生んでいて、リーダーシップのある正規職男性を「一流の男性」とする一方で、能力や地位で劣る非正規男性を「二流の男性」として女性的地位に置いている。非正規差別の本質はジェンダー差別である。誰かに扶養されることを前提にした低い賃金(家族給システム)は、ジェンダーに基づきお金の配分を不平等にしている点で構造的な差別であると言える。

 

 

nagne929.hatenablog.com

 

 

 資本主義は男女の賃金格差がないと成り立たないと言えるのではないか。次代再生産のために、「男女のカップル」を家族として、生殖と養育とケアを家族の中の女性に担わせる。これを可能にするには、女性を低賃金にして男性の下に養われる構造を作り出すしかない。この家族規範を支えるのが、最低賃金の低さや社会保障が世帯単位であるという家族主義(ジェンダー差別)なのだと言える。家庭内で夫婦の不仲が続いたり、DVにあっていても、女性が逃げ出せないのは低賃金のため経済的自立ができなかったり生活保障がないためである。BIがあれば、不本意な夫の下から家を飛び出して経済的自立もしやすくなる。婚姻関係にとらわれない自律した生活を女性が選択できる。BIが家族規範を弱め、ジェンダー差別の不利益を低減する大きな効果がある。BIは個人単位の社会を後ろから支える。家父長制の支持者には面白くない制度である。さらに、家族の中にいるがお金がない主婦や引きこもりなど、家族主義の制度では救済できない層にお金が届くようになる。個人単位のBIは家族主義の壁を超えるのだ。

 

 

6.BIと賃金保障(個人単位化)はセットでおこなう

 

 イギリスにはBIに相当する制度があった。1795年〜1834年に施行されていたスピーナムランド法である。労働者のプロレタリア化から守る目的で導入されたが、社会が衰退してしまい、BIの失敗例として言及されることがある。

 

 スピーナムランド法は、人々に生活保障をすることで、労働市場の形成を阻み、市場経済から社会を保護したものとしてK.ポランニーの『大転換』で紹介されている。スピーナムランド制度は、仕事をしていない人だけでなく、仕事をしていても賃金が一定水準に満たない人も補助した。しかし、これを口実に雇い主は賃下げをして、労働生産性も下がっていった。働いても稼げないのだから、労働者の労働に対するモチベーションも下がっていった(労働倫理の衰退)。スピーナムランド法では、生活保障がなされるが、その分、賃金の引き下げがなされて、労働者が労働によって経済的自立しにくくなってしまった。最低賃金や労働条件の規制がないままBIを導入すると、雇い主が賃下げをしてしまい、労働者が労働で自活できなくなり、貧民の位置に人々が押いやられた歴史の例だといえる。

 

 このスピーナムランド法の事例を引用して、BIを導入するとみんな働かなくなり、酒浸りの人が増えたりして社会が退廃すると指摘される。しかし、この失敗は、生活保障が生み出した問題ではなく、低賃金構造が生み出した問題である。社会にディーセントな条件の仕事がなければ働く気は起きないだろう。ならば、労働条件をよくして働いてもちゃんとした対価が発生する雇用体系にしなければいけない。時給1500円以上で、個人が働いて一人で経済的自立できる水準の最低賃金にならないといけない。これは、つまり個人単位の雇用体系にしなければいけないということだ。これまでもブログで指摘したが、今の日本の最低賃金は被扶養を前提としていて、これはジェンダー差別に基づく家族単位のシステムに基づく。BIの導入と個人単位のシステム構築は平行して進める必要がある。

 

 

7.BIで人は働かなくなるのか?

 

 人は存在証明を求めるもので、労働はその手段として大きなものだ。BIがあっても生活するには不十分な額であろうから多くの人は労働をする。社会への寄与度が労働や所得で図られる社会が続く限り、人は承認を求めて進んで労働をしようとする。BIが導入されても仕事をしない人は社会で居心地が悪いだろう。BIがあれば、人々がよりよい仕事に就こうとする意欲をもち行動に移すのは過去の実験結果からも指摘されているようだ。BIは、酒やタバコ、ギャンブルなど即席的快楽のために使われるのではなくて(1%未満)、人々に経済的・精神的な安定をもたらし、よい条件の雇用を探すための支えとして使われたという。自己実現欲求の支えとしてBIが機能する可能性が大きいと言える。

 

アメリカでのBI実験に関する記事】

https://ledge.ai/california-stockton-re-posting/

 

 

8.BIはノマド型社会を後押しする

 

 何かしら人は社会の中で人との関わり合いを求め居場所をつくりたいと思う。そのために活動をする。しかし、一定の収入が保障されれば、その活動が賃労働一辺倒ではなくなるかもしれない。BIにより労働への従属が弱まれば、労働以外での社会的承認も得やすくなり、いろいろな活動をする人がでてくる。より多くの賃金を生み出すことだけが豊かさであり社会的な価値なのだろうか。芸術家は稼げない人が大半で、フリーターの掛け持ちをしている人も少なくない。だからといって、彼らの芸術活動がなければ社会には何とも言えない「空白」が生まれるのではないか。稼げなくても創作活動を続けることができると、人生の冒険をして、ワクワクするような生き方もできるようになる。それが、イキイキした社会をつくり、社会の健全化や多様化にもなるのではないか。流動的になりノマド的で抑圧の少ない社会にもなる。浮足立って微熱を帯びた社会になる。むしろ、今は社会が冷え切っているから安易にアルコールやなどのハードドラッグに頼り、ハイになろうとしてしまうのではないか。BIは単なる生活補助金という意味を超えて、社会の価値体系や人の生き方を定住型からノマド型に変えるものにもなる。社会のあり方を根本から変えてしまうものになりうる。

 

 

【注】

(*1)

ベーシック・インカムは、竹中平蔵や維新の会などの発言のために、社会保障費の削減を正当化するための道具にされるのではないかと悪いイメージが広まってしまった。社会保障の削減のためのBIは論外だが、かといって、今の社会保障制度のすべてをそのまま維持するのではなく、BIの導入に伴い、不必要となる制度は廃止・縮小していくのが現実的だと考える。もちろん、生活保護制度は個人単位化や保護費引き上げなどをして、最後のセーフティネットとして機能させないといけない。

 

 

【引用・参考文献】

《文献》

◉ 伊田広行(1998)『シングル単位の社会論』、世界思想社

◉ 井上智洋(2021)「第五章 銀行中心の貨幣制度から国民中心の貨幣制度へ」、高橋真矢編、『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』光文社新書

◉ 大澤真幸(2021)『新世紀のコミュニズムへ 資本主義の内からの脱出』、NHK出版新書

◉ G.エスピン=アンデルセン(1990=2001)『福祉資本主義の三つの世界』ミネルヴァ書房

◉ K.ポランニー(1944=2009)『新訳 大転換』、東洋経済新報社

 

《ネット記事》

“月5万4000円のベーシックインカム実験「働かない人が増える」「タバコや酒に使われる」は誤り、アメリカで意外な結果が明らかに”

https://ledge.ai/california-stockton-re-posting/

 

 

【関連記事】

 

◉ 「定住型からノマド型」(個人単位化)に関する記事

nagne929.hatenablog.com

 

 

 

4コマ劇場(9) アイドル編

引きこもりが勝手にアイドル名乗って3ヶ月がたったよ。

 

【題目】

 

 

◉ 祝・アイドルデビュー

 

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◉ 知らない人への話し方

 

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◉ アイドル活動①

 

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◉ アイドル活動②

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◉ アイドル活動③

 

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路上で物乞いしたら元気になった話

 

【目次】

 

1.路上で投げ銭をもらうと元気になった

 

 題名の通りだ。30代の半引きこもりのおっさんが女装して「引きこもりアイドル」を名乗って路上で投げ銭をもらうようになった。はっきり言うと「物乞い」である。自分でもケシカランことだと思う。でも、普通に考えて欲しいのだけど、仕事もできないし、社会保障もない、家族にお金をせびるのも気が引けるとなったら、お金の供給源がなくなるわけだ。じゃあ、路上で物乞いするしかなくなるのではないか。何をやっても上手くいかないのだから、これはもう、ヤケッパチになってしまえと思った。

 

 と書いたものの、路上で投げ銭をもらうのは意外に楽しい。物乞いまがいのことは惨めに思われるけど、実際やってみると人の好意を受けてエンパワーされるのだ。

 

 でも、路上で投げ銭もらう活動は体力使うし、あんまりヤヤコシイことは起こしたくないから、ほどほどにはしときます。

 

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 引きこもりが路上で通行人にお金をせびっている姿を見たら、95%の人はケシカランと思うだろう。それは、まあ常識だ。でも、心の中でケシカランと思っている人は話かけてくることもなく素通りする。心の中で何を思っているかは見えないので、アンチの声は聞こえないわけである。声をかけてくれる人は、路上で何かやっている人に興味をもったり、引きこもりに理解がある人、派手な女装姿を楽しんでくれる人などだ。つまり、褒めてくれる人や自分のことで楽しんでくれる人が話しかけてくるので、プラスのバイアスがかかり、テンションや気分のよさが爆上がりになる!笑

 

 「アイドルです」と言ってる訳のわからないキャラだから、頭のネジをゆるめて羽目を外すができる。通行人に話しかけてもらえるし、好意の言葉をもらえるし、お金がもらえるし、ご飯がもらえるし、話し相手ができる。正直、物乞いしたらいい事だらけなんだけど・・笑。

 

 

 衆目の前に自分の姿をさらすこともまたエンパワーになりうると思う。自分の生きざまを緊張の中で開示することの効果というものもあると考える。安全でない自助グループのようなもの。Twitterでわたしがアイドルを名乗って路上で投げ銭もらっていることをつぶやいても、反応はほとんどない。しかし、路上では話しかけてくれたり、投げ銭してくれる人がちょいちょい現れる。わたしのような人を目の前にしたら、ウズウズして何か話しかけたくなるのかもしれない。ネットでは感じられないリアルな現前の熱量の作用じゃないだろうか。

 

 

2.路上でもらったもの

 

 投げ銭なのか物乞いなのかよくわからない事をしてると、いろんな人からお金をモノをもらえる。でも、集まるお金は大したことがない。お金が目的なら最低賃金のバイトをした方がマシだ。でも、人から直接もらったものは好意の塊である。金額そのものではない生温かさに価値を感じるのだ。労働を介さない金の授受には、人との関係がキモになる。この感覚は値段にしがたいプライスレスなものだ。

 

① 留学生の話し相手として

 

 ロリータ・ファッションに興味があり、わたしの格好にも何となく興味をもってくれた留学生の女性がいる。路上の居場所として日本語の練習の場として、わたしを見かけたら遊びに来てくれる。わたしを見かけたら、「はるちゃん、今日も仕事してるね〜」と声をかけてくれる。差し入れでドリンクをもらったりする。

 

② ギャルにウケた

 

 「引きこもりアイドル」を名乗って女装姿をさらしていたら、通りがかりのギャルの女の子に、「なにこれ、おもしろ〜」と言われてウケた。「めっちゃ、かわいいし〜」と言われ、写真を撮られまくってインスタに投稿された。ついでに、投げ銭をもらった。ワイワイするのが好きなようだ。

 

③ 夕食のおにぎりをいただく

 

 「引きこもり」というワードが気になり話しかけてくれた女性がいた。中高年に引きこもりや精神障害を抱えた人が多いねという話になった。こうやって路上でワイワイやって人と話すキッカケがつくれると元気になるんじゃないかと語った。生きづらさを感じる人は、「ケアされるよりもケアする側に回るのがいい」というわたしの話にも納得してもらえたようだ。夕食にと、デパートのおにぎりをもらった。

 

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④ お姉さんに手を振ったらジュースをもらった

 

 天王寺の駅前で投げ銭活動してて、通りがかった仕事帰りのお姉さんに「ばいばーい」と言って、手を振ったらジュースをもらった。お姉さんも微笑んでくれた。心温まる思い出だ。

 

 

⑤ たまに女装をしてる方から投げ銭もらう

 

 自分もたまに女装をして街を歩いているという方から投げ銭をもらい、お話もした。女装など変身をすると違う自分になれて心地いいという話を聞いた。わたしが、「街で写真撮られたりしませんか?」と尋ねたら、そういう経験はないそうだ。わたしはよく写真を撮られるので、わたしの女装姿はなかなかイケてるということじゃないのかな?笑

 

 

3.路上で暮らす人達との交流

 

 7月のはじめに、大阪の道頓堀で「引きこもりアイドル」の看板を置いて投げ銭をもらった。道頓堀には、物乞いで暮らす人達がいる。その中の80代のおばあちゃんとお話をした。おばあちゃんの方から話しかけてくれた。雨で人出が少ないから今日はお金があまりもらえないと話した。お金をくれる優しい人もいれば、タバコの吸殻を投げてくるひどい人もいるそうだ。おばあちゃんは物乞いや路上生活で何かトラブルがあると警察に連絡して助けてもらうこともあるという。「警察と消防にはすでに届け出を出しとる」と言っていた。ええっ,警察公認の物乞いって、すごい・・。物乞いの人も警察と共存関係にあるようだ。おばあちゃんは戦中生まれで、焼夷弾が降ってきて鼓膜が破れた話などをしてくれた。「B29にやられた〜」と言っていた。おばあちゃんの肩もみをして500円のお小遣いをもらった!

 

 わたしのように訳のわからない人が突然やってきて物乞いを始めても、もともとその地域で物乞いをやっていた人たちの反応はみんな好意的だった。親身になって話をしてくれたり、物乞いの事情を教えてもらえる。自分たちと同じようなことをしている人に親近感を覚え、話が通じると思うからいろいろ話しかけてくれたのだと思う。一時的ではあるけど、仲間として迎えてもらえた。あるおっちゃんは、「物乞いは運や」と言っていた。普通はまったくお金は入ってこないが、たびたび1万円札をもらってバズることもあるという。わたしが次の日仕事があるからと帰りの挨拶をすると、「あんた、仕事なんてやめて、路上で飯食ったったらええやんか。わしなんてもう仕事やめて数年たつわ」と言われた。わたしが物乞いのような事をすることで、地域の路上生活者の人と共通の話題ができて交流ができた。つまり、相手と同じ地平に立つことで連帯意識が生まれたのだと思う。これは、一般社会のレイヤーから路上のレイヤーに入るということだ。ウラの領域に飛んでしまった感があった。

 

 その日のエビス橋の夜は、アイドル活動で投げ銭をもらうわたしと、ナンパ師、ぼったくりバーの客引きがひしめきあう空間になった。

 

 

 4.「労働」って何だろう?

 

 「物乞い」は軽犯罪とされている。見せしめ的に捕まるケースもあるようだ。でも、わたしはアイドル活動の投げ銭を名目にしているので、このへんは他の路上パフォーマーと変わらない(多分ね・・笑)。「物乞い」はなぜケシカランと思われるのか?労働主義に反するからだろう。働きもせずに他人にお金をせびるのはケシカランという勤労道徳があるためだ。でも、労働って何だろう。何らかの利益を生み出した対価としてお金をもらう行為が一般的には労働だと思われる。しかし、物乞いの人は、その姿を路上で見せて人に憐れみの情を抱かせたり、その場での話相手になるなど、相手の心を突き動かしてお金をもらっている。そう考えると、物乞いの人はお金をもらってはいるが、それと引き換えに目に見えない何かを対価として与えているのだ。いかなる時でも、他人からお金をもらうことは何らかの対価が発生している。通行人の人が道頓堀の物乞いのおっちゃんを見て、「あんなの、みっともないわ」と言ったが、「いや、僕は立派な金稼ぎだと思います」と言い返したんだけどね。汗水たらして苦労して金を稼げというが、物乞いの人も一日中外に立ってそれこそ汗水たらしている。物理的な体力消耗としてはかなりものじゃないのか。それなら、どうでもいい仕事で大金稼げるブルシットジョブなんかは何なんだろう。コロナがひどくてもオリンピックを強行して、そのおこぼれに預かる利権企業などは「物乞い」と呼ばれないのはなぜか。富裕層や利権集団は株や税金の配当など不労所得をたくさん得られるが、下々の人たちは安い給料で労働していろと暗に言われている。結局、お金の配分を正当化する根拠が支配者側に有利に設定されている構造が分かってくる。

 

 物乞いをする人は、通行人を脅してお金を巻き上げるわけでもないし、お金を渡すかどうかは通行人の完全な任意である。ただ、路上に座っているだけなのに、不当に貶められているなと思う。それを考えると、貧しい人からも税金を強制的に巻き上げて、あまつさえ税金を利権集団で独り占めできるようなシステムの方が悪質だと言える。

 

 

 5.投げ銭活動すると居場所がつくれる

 

 女装をしたりアイドルの看板を掲げたり、投げ銭を求めているいろんな情報を路上でちらつかせて、自分の存在そのものが他人を引き寄せている。自分が他人の意思や行為に働きかけている点で、わたしは路上で権力を行使していることになる。物乞いは衆目に自分を晒したりお金をもらうが、これにより他者に従属するだけではない。自らの存在感を路上で示し他者を動かしているので、むしろ場を支配しているとも言える。わずかなお金でも、自分の生きざまや自由にふるまう姿を晒して、自分の身一つでお金を得ているという自負も感じられる。自分が路上の人からいろんな好意を受けて、関係の中で生きているんだという実感を得られる。自分の自信にもなると思う。このように、自分を主体とした場がつくれるという点で、一時的な居場所にもなるのだ。