生きるための自由研究

脱・引きこもりできそうにない半引きこもりです。

しょぼい一揆:路上でできる一人アピール

 

 

 2021年2月11日に京都の路上でひとり一揆をやった。生存権を求めるアピールだった。一律給付金の支給と生活保護制度の改善(扶養照会の条件緩和)などをホワイトボードに書いて、通行人に見せていた。同じことは年始から数回した。途中、友人がチューハイ片手に遊びに来てくれた(西成によく出かけて面白い人と絡んだり、引きこもりの事情や貧困問題について詳しい)。その友人とダラダラ話していたら、通りかかったフォトライターの方と話した後に写真をとってもらい、ブログで紹介された。いきなりモデルになってしまった。通りすがりの酔っ払いのおっちゃんから大した理由もなくお小遣いをもらったりもした(カオスや)。さらに、アナーキー生活保護利用者のおっちゃんが通りかかって、生活保護利用者が置かれている状況や、働かない生き方の心構え(笑)について話を聞いた。このように、ひとり一揆をやったら、モデルにもなれて、お小遣いももらえて、アナーキーなおっちゃんとも知り合えて、一挙四得となった!

 

 路上を一時的な〈コモン〉 として、みんなに開かれた対話型アジールにできる可能性を示唆したい。これにより、固定された場所や同一の人間関係でない遊動的な居場所として、権力が生じにくい人との関わり合いをつくれないだろうか。

 

 今までも、街でブラブラしてるおっちゃんと話になって、変な話やケシカラン話をして楽しんでいた。今回のように生存権のアピールをして、話しかけてくれた人と生存権のことや社会問題について対話するのも心地いいなと感じた。対話もケシカラン話も両方好きです。

 

 

【目次】

 

 

1.フォトライターの方に写真を撮られてモデルデビューした

 

 路上アピールをしながら友人とダラダラ話をしていたら、通りかかった人が話かけてくれた。コロナにおける生活保障について話をしていて、生活保護については、保護費をもっと上げるべきだと語った。そうしないと、保護を利用しても生活が困窮したままになる。利用しにくいのは保護制度に不備がありすぎるからだという話をした。また、「首相が「最後に生活保護がある」と言ったのだから、役所に行ったら「首相が生活保護を取れと言ったから、取らせてください」と窓口で言ったらいい」と話して、みんなで「それ、いいですね〜」と言い合った。首相がお墨付きを与えたのだから、みんな堂々と生活保護を申請しよう。また、森喜朗の問題について、「今までの政治への怒りが爆発して、森喜朗を追い込んだ。性差別発言をする偉い人をちゃんと退陣させることができたのは、ジェンダー平等にとって大きなことではないか」と話した。話を終えた後、フォトグラファーであり街で出会った人を写真に撮ってブログで紹介しているとのこと。わたしについても写真で撮ってもらった。女装してからモデルをやってみたいなと思っていたが、路上でいきなりモデルデビューを果たしてしまった。立派なカメラに撮られるのは初めてで、これでも緊張しましたのよ。

 

 

f:id:nagne929:20210213164034j:plain

撮影してもらった写真(モデルデビュー作)

 

 

f:id:nagne929:20210213171846j:plain

 

 

f:id:nagne929:20210213171915j:plain

みかんで話のきっかけつくり

 

 

2.酔っ払いのおっちゃんにお小遣いをもらった

 

 先のフォトライターの人が去った後、通りがかりのおっちゃんが「お前かわいいの〜」といきなり言ってきて、財布から1000円を取り出して手渡した。おっちゃんは顔を赤くしてめっちゃ酔っ払っていて機嫌がよかった。生存権のアピールをしていると言ったのだけど、それには反応してなくて、とにかくわたしの格好がお気に入りだったみたいだ。何か容姿をいじられそうだったので、先手をとっておっちゃんにありがとうと言って抱きついたら、ウワーと驚かれササッっと離れていった。女装して見た目のジェンダーをズラして、見てくれを「変わった人」にしていると、物好きや変わった人が話しかけてくる。男性的な格好でゴツゴツした感じよりも、女性ジェンダーをちょっとチラつかせてソフトな感じにした方が、人が接しやすくなると思う。「変わった人」になってスキをつくることで、街の知らない人と話すきっかけがつくりやすいと思う。まさか、お小遣いをもらえるとは。美人は得することもあるよね〜。笑

 

 

3.アナーキーなおっちゃんから生活保護の実情と、脱労働のススメを聞いた

 

 その後、自転車で通りがかったおっちゃんから生活保護についていろいろ話をしてもらった。おっちゃんは生活保護を利用して暮らしている。生活保護利用者が置かれている問題として、消費税が上がったにも関わらず、保護費が削減されているため生活が逼迫していると言われた。消費増税対策はおこなわれたが、それらは生活保護利用者には適用されないという問題を聞かせてもらった。おっちゃんは、年金生活者支援給付金が支給されても、収入認定されてしまい役所に没収されるそうだ。これはおかしいと役所に訴えていて、役所の対応次第では裁判をしたいとも語っていた。

 

 この問題については、みわよしこさんの『生活保護のリアル』に記事を見つけたので抜粋しておく。

 

 消費増税の前に、値上がりが生活を圧迫している。しかし、食料品には軽減税率がある。低所得層には「プレミアム商品券」、年金生活者には「年金生活者支援給付金」がある。クレジットカード利用者には、ポイント還元もある。 

 

 政府が準備している対策は、消費増税そのものや便乗値上げに対して、十分な手当てにはならないかもしれない。しかし一般低所得層の人々は、それらを並べて「まあ、これで、なんとかしなくては」と考えることができる。 

 

 生活保護で暮らす人々には、そのすべてが無縁だ。もしも、225000の商品券が入できる「プレミアム商品券」を入したら、差5000が召し上げられる。年金生活者支援付金を得たら、その分が生活保護費から減額される。クレジットカードの使用は禁止されているため、ポイント還元の恩恵もない。

 

 理由は、生活保護費が「健康で文化的な最低限度の生活」を保障しており、生活保護で暮らす以上、その「最低限度」の範囲で生活することが求められていることにある。

 

 

(引用記事のリンク、4-5ページ面)

diamond.jp

 

 

 また、生活保護利用者の生活は厳しくなっているが、その窮状について声が上げにくくなっているという。片山さつき橋本徹などの政治家や有力者が生活保護バッシングをしたため、生活保護に対するスティグマが強まり、利用者をより肩身の狭い立場に追いやっているという。このように生活保護利用者は政治により無力化され、現代社会の「いけにえ」にさせられていると語った。生活保護では芸術や文化が楽しみにくいという。文化は高所得層だけが楽しめばいいものではなく、庶民や貧しい人もある程度楽しめるものでないと文化として成り立たない。多くの人が消費活動や文化的な楽しみができてこそ文化や経済が活発になり社会が成り立つと語った。資本主義は完全な競争とすると社会が壊れてしまう。低賃金で過重労働させていると労働者の再生産はできず、貧困層を増やすと消費活動が停滞して資本主義が成り立たなくなる。資本主義は再分配を通してしか維持できないとするピケティの考えが頭を巡った。

 

 「ぼく、引きこもり気味であまり働けないんだけど、将来は生活保護を考えています」とおっちゃんに言うと、「それでいい。働かなくても、堂々と生きたらいい」と答えてくれた。おっちゃんもゆるく生きたい志向で脱労働を勧めていた。働かなくてもブラブラ遊んでいたらいいと語った。アナーキーだ。若い頃からゆるく生きたくて、働いてみたり失業保険で暮らしたり、タイで10年くらいブラブラして、最後のシメで生活保護を取ったそうだ。あまり働かずゆるく生きてる人と出会って話を聞けるのは大変心強い。今度、おっちゃんのところに遊びに行かせてもらう予定です。

 

 

4.匿名の存在として「対面」することで自由な対話空間が現れる

 

 このように、路上でひとり一揆をしてたら予期せぬことが起こった。生存権についてアピールしていると、思わぬ人と出会って対話ができたり、意外なことが起こって非日常空間が立ち現れる。一揆は「祭り」なのだ。わたしは、生存権のアピールそのものよりも、路上で何かしらアクションをすることで意外なことが起こるのを楽しみにしている。スピンアウトによって予定調和でないことを楽しむ。思わぬ出会いを楽しむ。レヴィナスは、他者とは無限の可能性なのだと言っていたそうだど、自分の広がりは他者によって可能になる事が多い。「個」の自己完結の孤独を破るのが他者の存在だ。時には見知らぬ他者の中に自分を投げ出していくことも大切だと思う。路上には無数の他者がいる。路上は宇宙なのだ。

 

 たくさん人がいる集会などは街の通りがかりの人も近寄りにくいけど、一人や少数でだらだらしながらアピールをしていたら街の人が話しかけやすくなる。声を荒げたり左翼用語を連発して威嚇するようなアピールをしていると人も近づきにくいだろう。マスでなくて個として市民と向かい合うなら、交流や対話もしやすくなるとも思う。目の前の個人に開かれている姿勢を見せることも大切だろう。

 

 今日は街で知らない人と生存権のことを話し合ったけど、対話の可能性について思ったこととして、立場の弱い側に対して聞く耳をもつこと、他者に対して開かれていることは前提となるだろう。相手にこちらの話が聞かれる余地があると感じた時、対話の可能性は生まれる。相手が「顔」として現れるのではなく、「壁」となると対話はできなくなる。路上での出会いは、世間や共同体から離れた「無縁」という立場の人にはピッタリだ。固定された集団ではなく、その場その場の出会いに重きを置き、「いま・ここ」を生きる実践になる。一期一会の出会いで生温かい思い出を積み重ねる人生もいい。しがらみから離れると人は思っている事を言いやすくなる。しがらみの中にいると、わたし自身が語るのではなく、しがらみの論理でしか語ることができなくなる。しがらみを離れ匿名の存在になることで、一人称の「わたし」が語り出すことができる。人は世間の立場を離れた「無縁」な存在になることで自由になれる。人は匿名の存在になってこそ言いたいことを言うことができ、対話をも可能にする。路上で出会う人は、みな一時的に平等に接することができる。立場や階級を離れた「対面」に可能性を感じる。

 

 奇跡はいずれ起こるだろうか。しかし、奇跡は何気ない小さな非日常やズレの集積の上で起こる。完全なる偶然はなく、常に偶然は何かの結果である。だから、しょぼいわたしたちにできることはズレる実践の反復のみなのだろう。

 

※今後は、路上での見知らぬ人との「対面」について考察していきたい。

 

Youtube】 


ひとり一揆(2/11)

 

 

【以前やった路上での活動】

 

 コロナ以前に引きこもりへの生存権保障(社会保障の個人単位化)についてビラ配りを何回かした。新聞記者の方や、引きこもりの甥をもつ人と話をして問題を説明できた。そこでも対話ができた。

 

note.com

 

 

【過去の関連記事】

 街や公園にいる緩そうなおっちゃんに声をかけて話ができることがよくある。西成ではよく見ず知らずのおっちゃんと話をする。いきなりギャグを言ったりアカン話をする変わったおっちゃんが多い。変わったおっちゃんとの出会いで心が軽くなる。超絶である。生きづらい人は変わったおっちゃんに出会って頭のネジを緩めていくのがいいと思う。

 

◉ 意識的にスピンアウトすることで非日常をつくる

nagne929.hatenablog.com

 

 

◉ 主流の価値から反転したアジールについて

nagne929.hatenablog.com

 

nagne929.hatenablog.com

 

◉ 「無縁」という匿名の存在になることについて 

nagne929.hatenablog.com

 

 

◉ 聞く姿勢をもち双方に変化をもたらすような対話がエンパワーにつながる 

nagne929.hatenablog.com